13、雨の名残日
次の日は朝から雨だった。雨音が響く中、朧はいつものように小夜の部屋に向かう。
「小夜様ー」
小夜は布団に包まって、身動ぎ一つしない。
「小夜様、朝ですよ」
「……まだ寝れる」
「起きてください」
一回八時に起こしに来たのに全く起きなかったのだ。時計の針は十時を回っている。
「さすがに不健康ですよ」
「不健康で何が悪いんだ……」
朧は無言で布団を引っ張った。「寒い!」と悲鳴が上がる。
「布団泥棒……」
「起きたら返します」
「横暴め……」
そんな攻防をしていると、チャイムが鳴った。
「何だ?」
「おそらく視察の方かと」
「何しに?」
「……ちょっと見て来ますね」
朧は布団を放すと、玄関に向かう。人影が見えた。
「はい」
ドアを開けると、傘をさした御影が立っていた。
「あ、朧おはよう」
「おはようございます。どうかされました?」
すると、御影は「いや」と言葉を濁した。
「黒瀬さんが小夜様の体調を聞いてこいっておっしゃるから」
「体調を?」
朧は怪訝な声を出す。訝しげな部下の様子を見て、御影は苦笑いをして頷いた。
「今日の神祇に影響しないか確認したいんだってさ」
自分で聞きに来たらいいのに、と朧は思ったが、それはそれで嫌だな。と即座に前言を撤回した。
「そうですか。小夜様はいつも通り元気ですよ」
「分かった。ありがとう、伝えておくよ」
「……もしかしてこれ毎日やるんですか?」
「……恐らく」
朧はガックリと肩を落とした。尊敬する上司と話せるのは嬉しいが、この確認に意味があるのかとは思ってしまう。
「じゃあ、そろそろ戻るな」
「あ、はい。ありがとうございました」
御影が立ち去ろうとした時、
「あっ、御影さん!」
いつからいたのだろうか。後ろから小夜の声が聞こえた。御影は足を止めて振り返る。
「お昼一緒にどう?」
そう聞かれて御影は、目を瞬かせた。
「小夜様、それは……」
朧は御影の忙しさを考えて止めようとしたが、小夜は気にせずに話しかける。
「巫殿で食べよう」
「有難いんですが、俺はそのような身分ではないので……」
御影が申し訳なさそうに言うと、小夜は口を尖らせた。
「あーあ、朧の昔の話聞きたかったんだけどなぁ」
「ちょっと小夜様。無茶言わないでください」
「ご飯食べる場所は決まってるのか?」
小夜は朧の言葉を無視する。朧は息をついた。
「境内内であればいいですけど……」
「じゃあ食べに来い!」
小夜があまりにも嬉しそうなため、御影は「なら……」と頷いた。
「よし、決まりだな。朧、何か作ろう!」
「ええ……」
「……俺は朧の手料理食べたいな」
御影がポツリと呟いた。そう言われると、朧はグッと言葉に詰まってしまう。
「……味の保証はできませんからね」
朧が観念したように言うと、御影は少し笑った。
「では、お昼はお邪魔させてもらいますね。十二時には向かいます」
「うん」
御影はようやく去っていく。雨の中に後ろ姿が遠ざかっていった。
「朧、何作る?」
「……あのですね、小夜様」
朧は呆れたように言った。
「何だ、また説教か」
「隊長は忙しい上に、黒瀬さんの護衛として来てるんですよ。誘ったら動きにくくなるでしょう」
「……朧も嬉しかったくせに」
「……」
─バレている……。
朧は言葉に詰まってしまった。小夜は意地の悪い笑みを浮かべて台所へと向かう。
「朧オムライス作れるよな。オムライス作ろう」
朧は諦めて小夜の後を追う。
「いいですけど、材料ありましたっけ」
「あるんじゃないか?」
二人で冷蔵庫を覗き込む。
「……どこにオムライス作る材料があるんですか」
朧は冷蔵庫の中を指差した。あるのは玉ねぎとベーコン、それから少しの牛乳だけだ。
「卵ならあるぞ」
小夜が得意げに取り出したのは、卵が二つだけ入ったパックだった。
「三人前のオムライスをどうやって作れと」
「気合い」
「料理は気合いじゃありません」
朧が即答すると、小夜は不満そうに眉をひそめた。
「昨日まではもっとあったんだ」
「誰が使ったんですか」
「……ホットケーキを焼いた」
朧は深いため息をついた。
「焼きましたね」
「楽しかった」
「俺は後片付けが大変でした」
小夜は視線を逸らす。どうやら反省はしていないらしい。
「じゃあ何作るんだ?」
冷蔵庫を閉めながら小夜が聞く。朧は戸棚の中を確認した。
「あ、パスタがありますね」
乾麺が一袋残っている。
「ベーコンと玉ねぎで十分でしょう」
「おお」
小夜はあっさり頷いた。
「御影さんも食べるかな」
「食べますよ」
むしろ彼は何でも美味しそうに食べる。
「よし、じゃあパスタで決まりだな」
朧は頷いた。
「後二時間もあるのか。何する?」
そう言われて朧は部屋の中を見渡した。昨夜小夜が読んでいた本、やりかけの課題がローテーブルの上に散らばっている。
「……掃除に決まってるでしょう」
「ええ……」
小夜は露骨に嫌な顔をする。
「読み終わったなら自室に持って帰ってください。課題は終わったんですか?」
「お父さんみたい……」
「誰がお父さんですか」
小夜は答えずに、ソファにゴロンと横になる。
「あっ、こら」
「まだ二時間もあるんだ。後でやるよ」
朧はため息をつくと、小夜をじろりと見る。
「……散らかってると隊長に怒られますよ」
「え?」
「普段は優しいですけど、そういうの意外と厳しいですから」
小夜はむくりと体を起こした。
「そういえば、御影さんってどういう人なんだ?」
─どういう人、か。
朧は考え込む。
「御影隊長は面倒見が良くて、優しくて」
「うんうん」
「仕事ができてめちゃめちゃ強くて……」
「うん」
「なのに凄い謙虚で部下からも上からも信頼されてて。それに隊長は一人一人のことすごい理解してくれてるんです。部下がたくさんいるのに心に寄り添ってくれるというか」
朧がまだ話そうとしていると、「なるほど。分かったからもういいぞ」と小夜に止められた。
「とりあえず朧が尊敬しているすごい人なんだな」
「ええ、それはもちろん。あ、隊長の化け物みたいな話聞きます?」
「聞きたい」
小夜は即答した。朧は笑って椅子に腰を下ろす。そうして時間は過ぎていった。
時刻は十一時半。二人は慌ただしく台所で料理をしていた。
「もう隊長来ちゃうじゃないですか!」
「話し終わらなかった朧が悪いんだぞ!」
「小夜様が全てのことに首突っ込むからでしょう!」
騒ぎながら具を切り、炒めていく。パスタを無事茹で終わり、お皿に盛り付けたところで巫殿のチャイムが鳴った。
「小夜様、出て貰えますか?」
「はーい」
小夜が玄関に向かい、扉を開けると御影が立っていた。
「ちょうどいいタイミングで来たな。出来てるぞ」
「ありがとうございます。お邪魔します」
御影は靴を揃えると、小夜に案内されて中に入る。ちょうど朧がパスタの載ったお皿を並べたところだった。
「あ、隊長。出来ましたよ」
「すまん。大変だっただろ」
「いえ……」
朧が首を振ると、小夜が机から身を乗り出した。
「朧は御影さんが来てくれてすごい喜んでたんだぞ」
「あっ、小夜様……」
その様子を見て、御影は嬉しそうに笑う。
手を洗った御影が椅子に座り、ようやくご飯を食べることになった。
「頂きます」
御影が口に運ぶのを朧はドキドキしながら見る。
「美味いな」
途端に朧は笑顔になる。
「ホントですか!」
「ああ、さっぱりしてて食べやすいよ」
「良かったな、朧」
「ええ」
─間に合って良かった……。
朧がホッと息をついた時、
「……ということで!」
小夜が耳元でいきなり大声を出し、朧は仰け反る。
「耳が……」
「朧の過去について聞かせてもらおうか」
「俺がいない時に話してくださいよ……」
黒歴史の数々を思い出すと居た堪れなくなる。そんな朧の様子を見て御影は苦笑している。
「いいだろ、別に。本人がいるから面白いんだぞ」
小夜は笑うと、御影の方に身を乗り出した。
「朧は昔どんなんだった?」
御影は「そうですね……」と懐かしむように、静かに呟く。朧は嫌な予感がして、そっと視線を逸らした。
─絶対にろくな話じゃない……。
そんな予感をよそに、御影は懐かしそうに話し始める。
雨音の響く巫殿には、穏やかな時間が流れていた。




