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月夜海は、誰が為に想ふ。  作者: 朝霧唯凪
第一章 : 巫、現世に在り
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11、不純なる黒き影

常世神社に戻った朧は、境内のベンチに小夜が座っていることに気付いた。


「小夜様」


声を掛けると、小夜は気付いて「おかえり」と言ってくれた。


「寒いのにどうしたんですか」

「ちょっと外の空気吸いたくなって」

「そうですか……中入りますよ」


小夜は頷くと、立ち上がる。朧の顔を見上げた。


「神祇統監機構って、何かあったのか?」

「ああ……」


朧の顔が曇ったのを見て小夜は慌てた。


「い、言いたくないんだったら言わなくていいからな」


「いえ」と、朧は視線を下に落とす。この件は、小夜にも共有しておかなければならない。

朧は小夜と共に巫殿へと歩き出した。


「あの、伝えないといけないことがあります」

「な、何だ……?」


小夜の顔が強ばった。


「来週から神祇統監機構、上層部の視察が入ることになりました」

「しさつ……?」


ピンと来ないのだろう。小夜は首を傾げた。


「ええ」


朧は頷くと、簡単に説明した。途端に小夜は訝しげな顔になる。


「何だそれ。必要なのか?」

「やっぱそう思いますよね……」

「ていうか何で急に視察が入るんだ?」

「えっと……」


禍が増えていると言うことは、彼女が役目を果たせていないと伝えることと一緒だ。


─出来れば言いたくないんだが……。


言うのを躊躇う朧を見て、小夜は真剣な顔になる。


「これは私も知っておくべきことだ。ちゃんと話してくれ」


そう言われ、仕方なく朧は口を開いた。


「ここ数年、禍の発生件数が増えているようなんです。それで上層部の奴……方たちが神祇がきちんと執り行われているか現場で確認をしたいと」

「……なるほどな」


小夜は、ぽつりと呟いた。


「気分を害されたらすみません……」

「何で朧が謝るんだよ。禍の件数が増えているんだったら上が見に来るのは当然だろ。私たちはいつも通りにやればいい。そうだよな?」


受け入れるのが早い小夜を見ると、上層部に詰めかけて完敗した自分が恥ずかしくなってきた。


「そうですね。いつも通りしっかりお役目を果たしているところを見せつけてやりましょう」


そう言うと、小夜は力強く頷く。その真っ直ぐな瞳に、朧の胸の奥に溜まっていた澱のような不安が、少しだけ形を変えていく。自分一人が背負い込もうとしていた重圧を、彼女が軽々と、けれど真剣に分かち合ってくれた気がした。

それからの一週間は、嵐の前の静けさのような日々だった。桐生と篠原と共に本殿と巫殿を隅々まで清め、泊まり込みとなる視察部隊のために、足りない備品を買い出しに回る。小夜もまた、自分にできることを探して忙しなく動き回っていた。


「朧、ここ電球切れてるよ」

「えっ」


買い出しから帰ってきた朧はその言葉を受けて、ガックリと肩を落とす。


「ごめん……」

「いえ、大丈夫です。すぐ買ってきますね」


入り口付近の社務所横にある長屋には巫女たちが住んでいるが、彼女たちは掃除の時ですら奥へは顔を出そうとしない。小夜を「穢れ」として忌避する彼女たちにとって、拝殿より先は決して関わりたくない禁域なのだ。

本殿には中央治安統制局実働部隊から派遣された桐生、篠原と、神祇統監機構から派遣された護衛三人しか住んでいない。だだっ広い本殿を掃除するには明らかに人手が足りなかった。


「朧様、全体の掃除は終わりました」

「あぁ、ありがとうございます」

「……あ、小夜様。そこは俺がやりますよ」


忙しなく準備に追われるほど、心だけが静かに凪いでいくような、奇妙な落ち着かなさが朧の胸を占めていた。

そうして一週間が経ち、神祇統監機構、及び中央治安統制局から十名ほどやってくることになった。


「あ、来たな」


午後四時になり、小夜と共に境内で待っていると、ふもとの方から「バタン、バタン」といくつものドアが閉まる無機質な音が響いてくる。姿は見えなくとも、招かれざる客たちが到着したことは、空気の震えで分かった。

小夜は普段通りだが、朧は不安で胸がいっぱいだった。


「あのですね、小夜様。嫌なことがあれば何も喋らなくていいので。てか嫌なことなくてもあの人たちとは喋らないでください」


過保護な朧を見て、後ろに立っている桐生と篠原が苦笑している。


「そんな訳にもいかないだろ。朧の立場も悪くなる」

「いやそうかもしれないですけど……」


車から降りたスーツの軍団が石段を登ってくる。普段、常世神社は人気が全く無いため、この光景は異様だった。

やがて先頭の一人が境内に足を踏み入れた。頭を下げようとする小夜を見て慌てて止める。小夜は不満げに朧を見た。


「……何で止めるんだよ」

「立場としてはこちらが上です。わざわざ下げる必要はありません」

「そうですよ、常世の巫様」


先頭に立っていた強面の男性が微笑んだ。朧より一回り大きな体格と、隙のない立ち居振る舞い。その堂々とした恰幅の良さが、場に強い威圧感を与えている。


「初めまして、私は神祇統監機構幹部の黒瀬と申します。視察統括責任者を務めることになりました。以後お見知り置きを」


黒瀬は、礼儀正しく頭を下げた。

その動きだけは完璧に整っているのに、どこか測るような間があった。

笑っているはずなのに、目だけが笑っていない。


「神代小夜だ。よろしく」


小夜がそう挨拶すると、黒瀬は「よろしくお願い致します」とまた深く頭を下げた。


「これから二週間ほど神祇執行の実地確認と、周辺諸々の査定を担当いたします」


淡々とした口調が境内に落ちる。

小夜は一歩も引かずに、その視線を受け止めていた。

朧は横に立ちながら、肺の奥に溜まった緊張を吐き出すように、無意識に呼吸を整える。


「今から霊山に向かわれる所ですよね。案内をお願いします」

「ええ……小夜様行きますよ」


横を通り過ぎて石段を下り、車に向かう。黒い集団がぞろぞろとついてきた。

小夜を先に車に乗せて視線を上げると、見知った顔と目が合った。


「えっ……」


驚いて思わず漏らしてしまう。また後でな、とその男性は口を動かすと目の前の車に乗り込んだ。朧も運転席に乗り込む。


「知り合いがいたのか?」


その様子を見ていた小夜が尋ねてくる。朧はシートベルトを付けて頷いた。


「実働部隊にいた時の上司が来てたんです。多分護衛として派遣されたのかと」

「朧の上司か!」

「……何で嬉しそうなんですか」


朧はエンジンをかけると車を動かす。サイドミラーから黒塗りの車がついてくるのが見えた。


「実働部隊の時の朧の話とか、聞かせてくれないかな」

「……やめてください。結構黒歴史があるんですよ」


小夜は嬉しそうに笑う。


「朧の黒歴史かぁ。朧って今より昔の方が無茶してそう」

「まあ……否定はしませんけど」


小夜と話していると、どうしても気が緩んでしまう。


─しっかりしろ。


サイドミラーに映る自身の瞳を厳しく見据え、朧はハンドルを握り直した。

高速に入ると、小夜はいつものように眠ってしまう。

隣から聞こえる柔らかな寝息とは対照的に、車内には逃げ場のない静寂が居座り、朧の心臓の鼓動をより鮮明に浮き彫りにした。


─いつも通りにやればいいんだ。

 

深呼吸をして逸りそうになる気持ちを抑え込む。霊山を目指して淡々と車を走らせた。

やがて麓へ着き車を止めると、背後にぴったりとついてきていた後続車も、音もなくその動きを止めた。

朧はゆっくりと運転席を降り、冷え始めた外気を吸い込む。そして、いつものように助手席へと回り込む。


「小夜様、着きましたよ」


優しく声を掛けると、小夜はゆっくり目を開けた。


「……着いたか」


眠たそうに目をこすりながら、車の外へと出る。


「うう、寒い……」


小夜の風よけになりながら朧は後方を見る。後ろからも車のドアが開く音が続き、黒瀬がゆっくりと歩いてきた。


「ここから先が霊山ですね」


興味深そうに霊山を見つめている。


「資料では確認していますが、実地で見るのは初めてです。いやぁ、思ってたよりも大きいな」


その視線が、ちらりと小夜へ向く。朧は一歩だけ、小夜の横に立つ位置をずらした。


「……朧、行くぞ」


短くそう言って、先に歩き出す。その背中を見て、黒瀬は小さく息を吐いた。


「では、視察を開始しましょうか」


その一言で、空気が完全に視察の場へと切り替わった。朧は視線を下にしながら鳥居へと向かう。いつもは二人の足音なのに、今日は後ろから何人もの足音が聞こえてくる。


「朧」


不安げな顔をしている朧を見て、小夜は声をかけた。


「大丈夫だよ」

「……ええ」


鳥居をくぐり、朧はそっと後ろを振り返った。黒瀬に続いて黒い集団が鳥居をくぐる。一歩、また一歩と境界を越えてくるたびに、しんと静まり返っていた聖域に「外の世界」が混ざり込んでいく。聖域が侵されたように感じた。

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