11、抗えぬ理
電車が止まり、朧は目を覚ました。
いつの間にか眠っていたらしい。
朝の空気を吸い込みながら、朧は常世神社へ向かった。
神社の近くの角を曲がった瞬間、甲高い笑い声が聞こえてきた。五十代くらいの女性二人がこちらに歩いて来るのが見える。見覚えのある顔で朧は俯きがちに横を通った。
「いやぁねぇ」
ねっとりと、女性の声が聞こえてきた。
「穢れてるのに歩き回られたら困るじゃないの」
その女性は、一か月前最愛の夫を亡くした人だった。
人の死は運命で定められているというのに、小夜たちにつっかかってくる。
わざわざ常世神社まで赴いて人殺し、人殺し、と叫ぶ女性を押さえるのには時間が掛かった。
「可哀想に。文雄さん、まだ四十半ばだったんでしょう?」
「そうよ。病気などなかったのに。きっとあの巫様に殺されたんだわ」
「常世の巫様なんている意味あるのかしらね」
バッと朧は振り返った。まさか振り返ると思わなかったのだろう。「きゃあ、怖い」と二人は走り去っていく。朧は舌打ちを軽くついて歩き出した。
─何も知らないくせに。
人の死は運命で決まっていることを知らない人が多すぎる。彼女の抱えている苦しみなど知らないくせによく人殺し扱いできるものだ。
苛立った気持ちのまま常世神社に着き、巫殿へと向かう。
今日は行き違いになったようで剱持とは出会わなかった。その代わりに「子細なし」と連絡が入っており、朧はお礼のメールを返信すると携帯をしまった。
鍵を開け、巫殿に入る。
─まだ寝ているか。
中は静まり返っており、物音ひとつしない。
朧は靴を脱ぐと、小夜の部屋へと向かう。ノックをして顔を覗かせると抱き枕を抱えた小夜が眠っていた。途端に、苛立っていた気持ちがしぼんでいく。
─よかった。
ホッと息をつくと、朧は部屋の戸を閉めた。
今日も一日が始まる。朧は朝食の準備をし始めた。
先に朝食を取り終えると、携帯を取り出す。神祇統監機構の視察について上層部に直接問いただしたいことがあった。
─なんて言うべきか。
画面を睨みながら考えていると、足音がして小夜が姿を現した。一人で起きたことに驚きつつ、朧は声を掛ける。
「おはようございます、小夜様。今起こしに行こうと思ってたんですよ」
「おはよ……」
そう言ってから小夜は目をパチパチさせた。
「ん……あぁ、そうか、帰ってきてたのか」
「ええ、昨日の神祇も問題ありませんでしたか」
「……うん」
小夜はコクリと頷いた。
「朝ご飯用意するので座っておいてください」
「ありがとう」
朧は携帯を置いて立ち上がると、トースターに食パンを入れる。ちらりと小夜を見ると、外をぼーっと見ていた。
「今日は晴れるみたいだな」
「そうですね。けど寒いので神祇までは中にいるんですよ」
「朧は過保護だなぁ」
「過保護で悪かったですね」
黄金色に焼けた食パンを皿に移すと、小夜の前に置いた。
「ありがとう」
お礼を言うと、小夜は小さくかじる。そして、何か言いたげに朧を見た。
「どうかしましたか?」
「あ、いや……十六夜家の皆さん元気だったかなって」
「ああ、元気そうでしたよ」
「そうか。昨日何ともなかったか?」
小夜には当主の問題のことも、縁談のことも言っていない。朧は「ええ」と微笑んだ。
「すみません。少し電話してきていいですか?」
「いいよ」
朧は携帯を手に取ると、自室に向かう。着信履歴から神祇統監機構へ電話をかけた。二回呼出音が鳴り、女性の声が聞こえる。
『はい、こちら神祇統監機構です』
「十六夜と申します。調整官の永見さんはいらっしゃいますか」
『永見ですね。確認致します』
保留音が流れる。しばらくして音が途絶えた。
『変わりました、永見です。どうかされましたか』
「上層部に直接確認したい案件があります。面会可能な時間を至急ご提示していただきたいです」
『……少々お待ちください。上層部へ取り次ぎの可否を確認いたします』
通話が一度保留状態になる。数秒ののち、永見の声が戻った。
『許可が下りました。内線で上層部へお繋ぎいたします』
─最初からそうしてくれ。
ため息をついて朧はベッドに腰を下ろす。次の瞬間、通話は再び途切れ、機械的な呼び出し音へと切り替わった。
『鷹宮だ』
ぶっきらぼうな低い声が聞こえて、朧は気持ちを切り替えた。
「すみません、十六夜です」
『永見から聞いた、視察の件だな』
「ええ、直接お会いしてお話したいことがあるんですが」
少し間が空いた。
『午後からは会議がある。対応できるのは昼までだ。今日が無理なら来週になる』
「ありがとうございます。すぐに向かいます」
朧は通話を切ると、上着を羽織って鞄を手に持つ。小夜はまだテーブルで食べていた。出かける支度をしている朧を見て目を瞬く。
「え、どこか行くのか」
「すみません、神祇統監機構に急用ができまして」
「分かった」
「昼過ぎには帰ります。護衛の方にも説明しておきますので警備はご心配なく……あ、後お昼ご飯なんですが」
一気にまくし立てる朧に、小夜は呆れて言った。
「自分でできるから大丈夫だ。急用なんだろ、早く行けって」
「すみません……行ってきます」
朧は急いで巫殿を出ると、本殿へ向かった。桐生へ事情を伝え、後を任せると車へ乗り込む。
四十分後、朧は神祇統監機構の庁舎へ到着した。
黒灰色の巨壁のような建物は、ただ機能と威圧だけで造られたような無機質さを放っている。
─行くか……。
朧は気を引き締め、庁舎の中へ足を踏み入れた。




