第96話:メビウスの棺、反転する星の海
本日2話目
西暦1889年5月10日。太陽系への侵攻開始から四日後。
銀河の暗黒星雲の奥深く、創造主の真の本拠地である巨大恒星系。
その絶対の聖域に、突如として空間の亀裂が走り、パレスの強襲艦隊が姿を現した。
航海統括のコロンブスの正確無比なナビゲーションにより、敵の長距離センサーの死角を突いての完璧な奇襲跳躍であった。
「さあ、お仕事の時間だ。マスターの設計図通りに、神様の庭を更地にしてやろう」
重土木統括のヘラクレスが、豪快に笑いながら宇宙用重機の起動レバーを引く。
彼らの眼前に広がるのは、太陽系へ数千億の艦隊を送り込んでもなお、星系全体を幾重にも覆い尽くすほどの絶望的な防衛艦隊と巨大要塞群だった。
創造主の備蓄する物量は、文字通り底なしである。
しかし、魁斗が指示した戦術は、その「数」と正面から撃ち合うことではない。
敵の防衛システムの「物理的な基盤」を根こそぎ破壊する、極めて合理的な局所破壊工作であった。
地下資源統括のハデスが率いる無人の巨大ボーリング艦隊が、敵の防衛ネットワークの要となる中枢要塞群の死角へ直接取り付き、その分厚い装甲を文字通り「採掘」して内部機構をドリルで粉砕していく。
圧倒的な数で迫る防衛艦隊が陣形を整えるより早く、ネットワークの接続点を次々と物理的に削り取っていったのだ。
「敵の防衛網、次々と機能不全に陥っています! マスターの計算通り、奴らの連携ネットワークの要をピンポイントで叩き潰しています!」
コロンブスの報告の通り、敵の無尽蔵の物量同士の連携を強制的に分断することで、電撃的な強襲からわずか数時間で、敵本拠地の防衛機能は実質的に半減するに至った。
「よし、長居は無用だ。マスターが太陽系で『後片付け』を終えるまで、適度に暴れ回ってやろう」
パレスの反逆の炎は、神の玉座の喉元に、確かな火傷を負わせていた。
そして、西暦1889年5月18日、午後2時。
太陽系では、侵攻開始から十二日に及ぶ極限の遅滞戦闘の末、ついに決戦の時が訪れようとしていた。
全方位から中心に向けて静進を続けてきた数千億の銀色の艦隊は、木星軌道外縁へと到達した。
彼らはもはや「軍隊」ではなく、太陽系を内側から押し潰す「巨大な収縮する殻」そのものであった。
その総質量が生み出す潮汐力により、木星の衛星群の軌道がわずかに揺らぎ始める。
エリュシオンの司令室には、緊迫した空気が張り詰めていた。
最前列には、戦術統括のカルマ、強襲統括のヴォルフ、設計統括のダヴィンチら、パレスの最高幹部たちが控えている。
そして、魁斗が座る絶対的な玉座の背後には、彼に心酔する五人の妃たちが、我が子を抱きながら静かに寄り添っていた。
大英帝国のアリス、フランスのイザベラ、プロイセンのルイーゼ、ロシアのアナスタシア、アメリカのメアリー。
かつて列強の誇り高き令嬢だった彼女たちの瞳には、目前に迫る世界滅亡の危機に対する「恐怖」など微塵も存在しない。
あるのはただ、絶対的な支配者である魁斗が、この無粋な銀色の群れをどのように手玉に取り、打ち砕くのかという「熱狂」と「狂信」だけであった。
「敵最前列、最終防衛圏『ルビコン・ライン』に接触! 質量による包囲圧搾、回避不能! このまま突入されれば、惑星間の重力均衡が完全崩壊します!」
ダヴィンチが、切迫した声で叫ぶ。
敵は一隻一隻が「ワープ装甲」を展開しており、正面からの攻撃をすべて「別の座標」へ転送して無力化している。
一兆近い弾丸を撃ち込もうと、そのすべては敵艦の表面で消え去り、銀色の壁は一歩も揺らぐことなく進み続ける。
だが、司令席の魁斗は、その光景を前にしてもなお、ルイーゼが淹れた紅茶のカップを優雅に口に運んでいた。
「ご苦労様でした、ダヴィンチ。我々のオートマトン群は、実によく敵を『密集』させてくれました。……おかげで、彼らの無敵の装甲を『致命傷』に変える準備が整いました」
「……装甲を致命傷に? 何を仰っているのですか、マスター!」
魁斗がコンソールに軽いタッチで最終コマンドを入力した。
「彼らの装甲は、攻撃を受けた瞬間に空間の『入口』を開き、無害な場所へ『出口』を開いてエネルギーを捨てることで成立している。……ならば、その『入口と出口の両方』をハッキングし、直結させてあげればいい」
魁斗がメインスクリーンの表示を切り替える。
そこには、球状に展開していた数千万のオートマトン群が、敵のワープ装甲のプロトコルを強制的に奪い取り、書き換えた図が映し出された。
「チェックメイトです。……プロジェクト『メビウス』、空間の縫合を開始しなさい」
その瞬間。
木星軌道上に迫っていた数千億の艦隊にとって、信じがたい事態が発生した。
彼らが前進し、木星の重力場や防衛兵器と接触してワープの『入口』を開いた瞬間。
魁斗のハッキングによって、その『出口』が、太陽系の反対側から突進してくる「味方の巨大戦艦の鼻先」に強制接続されたのだ。
『――――!? 空間座標の直結エラー。論理矛盾。回避不能。』
敵艦隊の無機質な通信が、エラーの奔流に飲み込まれる。
全速力で中心へ向かって進んでいた銀色の艦隊は、不可視の境界線を越えた瞬間、自分たちの開いたワープの出入口を通じて、真正面から進んでくる味方の艦隊と「正面衝突」するルートへ投げ出された。
太陽系の「北」から侵入した艦隊が吸い込まれた入口が、「南」から突入してきた艦隊が展開しているワープと直結する。
「東」の艦隊が進もうとした空間が、「西」から進んできた部隊の目の前と結びつく。
「彼らにとって、自分たちが前進しようとする空間そのものが『味方の正面』に直結したのです。止まることができない巨大な質量は、互いを粉砕し合うことしかできない」
魁斗のタクトが閃く。
引き起こされたのは、数千億の艦隊による、前代未聞の「完全なる同士討ち」であった。
太陽系を押し潰そうとした凄まじい質量が、魁斗の座標操作によって、互いに「真正面」から激突する関係へと強制的に組み替えられたのだ。
ワープ装甲という盾から、味方の超質量が突っ込んでくれば、防げるはずがない。
宇宙空間で、無数の太陽が同時に生まれたかのような、目を焼く閃光が連鎖する。
自分たちが前進する力そのものが、そのまま自分たちを粉砕するハンマーへと変わる。
「敵艦隊……正面衝突による連鎖崩壊を開始! 凄まじい誘爆です! 太陽系を包囲していた銀色の壁が、自らの質量によって自壊していきます!」
ダヴィンチが、信じられないものを見るような目でモニターを見つめている。
圧倒的な絶望をもたらした数千億の星の海が、まるで不可視の壁に激突して砕け散るガラス細工のように、次々と宇宙の塵へと変わっていく。
「素晴らしい……! ああ、なんて美しく、完璧な破壊……!」
背後で、フランスの令嬢イザベラが、恍惚とした吐息を漏らした。
「感情も知性も持たない鉄屑どもが、我が君の神算の前に自滅していく……。やはり魁斗様こそが、この宇宙で唯一の絶対者ですわ!」
プロイセンのルイーゼが、冷徹な笑みを浮かべて主の背中を讃え、アリスやアナスタシアたちも、己の主がもたらした圧倒的な勝利に、陶酔の眼差しを向けている。
「質量と数に頼るだけの単細胞な神様には、少々難しすぎる迷路だったようですね。彼らが『密度』を高めれば高めるほど、この正面衝突の確率は100%に収束する。……文字通り、自分の力に押し潰されたのですよ」
午後2時30分。
十二日間に及んだ極限の緊張感は、わずか数十分で、見事なまでの静寂へと変わった。
生き残ったごく少数の敵艦も、統率を失い、推進機構を破壊されて虚空を漂うだけの鉄屑になり果てている。
創造主が絶対の自信を持って送り込んだ飽和攻撃は、一人の人間の知略と、敵の技術を逆手に取った「空間の直結」の前に、完全な敗北を喫した。
「さあ、カルマ、ヴォルフ。勝利の余韻に浸るのは後です。……コロンブスから、敵の本拠地の防衛網を半減させたと報告が入っています」
魁斗はゆっくりと立ち上がり、ホログラムに映し出された銀河の海図を見据えた。
「今度はこちらから、『神の玉座』へ引導を渡しに行きましょうか」
魁斗の冷徹な声が、エリュシオンの司令室に響く。
人類と神の、生存を懸けた知恵比べは、今、パレスによる容赦のない逆襲のフェーズへと移行しようとしていた。
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