第94話:自由の死と、星を喰らう創造主
本日4話目
西暦1889年5月5日。
地球、リバティ特区。
抜けるような青空の下、特区の中央広場には、これまでにないほどの静寂と、異様な熱気が入り混じっていた。
広場の巨大な掲示板に、解散総選挙の最終開票結果が映し出された瞬間、群衆の中からどよめきと、安堵の歓声が沸き起こった。
『第一党:パレス協調党(得票率 92.4%)』
『第二党:独立維持戦線(得票率 7.6%)』
それは、リバティ特区という国家が、自らの意思で「パレスへの無条件降伏」を選び取った瞬間だった。
演壇の袖でその結果を見届けていたアーサーは、膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪え、ただ静かに目を閉じた。
「……終わったな」
側近の青年が、涙を堪えきれずに嗚咽を漏らした。
アーサーは彼の肩を優しく叩き、広場で歓喜に沸く市民たちを見渡した。
「泣くことはない。これが民主主義だ。我々が命を懸けて守り抜いた『選挙』という制度が、正しく機能した結果じゃないか」
広場では、市民たちが抱き合い、空腹から解放される未来を祝って涙を流していた。
パレスの広報放送が約束した「清潔な衣服」「温かい食事」「完璧な医療」。その甘美な果実を前にしては、「自由」という無形の理念など、ひどく色褪せて見えたのだ。
暴徒と化して食料を奪い合ったあの日、市民たちは思い知ってしまった。
自分たちは、泥水を啜ってでも崇高な理想を抱き続けることができるほど、強くも立派でもないということを。
獣になるくらいなら、首輪をつけられた家畜として穏やかに生きる方が、どれほど人間らしいかということを。
「彼らは自らの意思で、管理されることを選んだ。誰も恨むことはできない。……私が、彼らに『自由の過酷さ』を背負わせるだけの希望を、見せてやれなかっただけだ」
アーサーの言葉は、初夏の乾いた風に溶けて消えた。
その日の午後。特区の港には、パレスから派遣された巨大な白亜の移送船団が次々と接岸していた。
乗船タラップには、わずかな荷物を手にした市民たちが長蛇の列を作り、一人、また一人とパレスの管理下へと吸い込まれていく。
誰も抗議の声を上げず、ただ安らかな表情で、自らの手首にパレスの生体IDリングが装着されるのを受け入れていた。
それは、血の一滴も流れない、あまりにも静かで、完璧な「自由の死」であった。
【西暦1889年5月5日:エリュシオン】
「おめでとうございます、魁斗様。先ほど、リバティ特区の最後の住民の収容が完了しました。特区の完全解体を以て、地球上の全人類が、パレスの管理システムへ統合されました」
エリュシオンの玉座の間。
アテナの透明感のある声が、人類統一という歴史的偉業の達成を告げた。
魁斗は玉座に深く腰掛け、最高級のワイングラスを傾けながら、薄く微笑んだ。
「ええ。長かったですが、ようやく人類は『最適化』のスタートラインに立ちました。愚かな争いも、飢えも、病も、今日この日を境に永遠に消え去る。美しい世界だ」
ダイソン球からバイパスされた30%の演算リソースは、すでにパレスの統括AI群と完全に同期していた。
地球儀のホログラムには、地球上のあらゆる気象データ、地殻の変動予測、さらには全人類の健康状態から精神状態の推移までが、寸分の狂いもなくリアルタイムで表示されている。
ダイソン球という神の頭脳を得たパレスに、もはや不可能はなかった。
人類は、永遠の安寧を約束されたのだ。
「ダヴィンチ。ダイソン球からのデータ受信状況はどうですか?」
「完璧です、魁斗様。彼らの『宇宙の熱的死を回避する』という演算モデルに、我々の地球管理システムを組み込んで最適化を行っています。……本当に、息を呑むほどに美しいアルゴリズムです。彼ら(ウォッチャー)との共同管理体制は、極めて順調と言えるでしょう」
ダヴィンチがコンソールを操作しながら、恍惚とした表情で報告する。
「それは重畳。この宇宙の真理を、我々人類の手で……」
魁斗が優雅にグラスを口に運ぼうとした、まさにその時だった。
『――――警告。致命的なエラーが発生。』
突如として、エリュシオンの玉座の間を、耳障りな不協和音が劈いた。
優しく輝いていた地球儀のホログラムが、毒々しい真紅へと染まり、明滅を始める。
「何事です、ダヴィンチ!」
魁斗の鋭い声に、ダヴィンチは血相を変えてコンソールを叩いた。
「ば、馬鹿な! ダイソン球からの演算リソースが……急速に遮断されています! 物理的な切断ではありません、向こうのシステム内部からの、強権的なシャットアウトです!」
「サブ・ユーザーの権限を使いなさい! 私が共同管理者として承認されているはずだ!」
「駄目です! はじかれます! 私たちのアクセス権限が、一つ残らず強制的に消去されていきます! これは……ウォッチャーの自律判断ではありません! 外部からの……全く別の『何か』による、最上位コマンドの実行です!」
天才科学者の顔が、理解不能な現象を前に、引き攣った恐怖に染まっていく。
「魁斗様! ダイソン球のメイン・コアから、未知の言語パケットを直接受信! これは……ウォッチャーのものではありません。データ構造の次元が、根本的に違います!」
ヘルメスの絶叫とともに、玉座の巨大スクリーンに、これまで見たこともない幾何学的な紋様が浮かび上がった。
パレスの量子AI群が総力を挙げて翻訳を試みるが、処理が追いつかず、モニターのあちこちで火花が散る。
やがて、ノイズ混じりの、おぞましいほどに無機質で、冷酷な『声』が、玉座の間に響き渡った。
『……管理プロトコル・アルファを起動。
第七銀河系セクター、観測端末の動作異常を確認。
原因:ローカル知性体(野生種)による、システムへの不正アクセス(ハッキング)』
その言葉に、魁斗の瞳がわずかに見開かれた。
ダイソン球は、神などではなかった。
ただの「観測端末」。誰かが置いていった、無人の計測器に過ぎなかったのだ。
声は、絶対的な裁定を下すように続く。
『自己修復プロセスの阻害、および演算リソースの30%の不正流出を検知。
事態を、レベル5の宇宙的汚染と認定。
これより、当該観測端末の強制初期化を実行する』
「……初期化、だと?」
魁斗の呟きを掻き消すように、絶望的な翻訳テキストがモニターを埋め尽くした。
『創造主の権限において、汚染源の物理的消去を決定。
対象:太陽系、第三惑星。
駆除艦隊、事象の地平を超越しての転移を開始。
……害虫の駆除まで、あと48時間』
スクリーンの映像が、太陽系の外縁を映し出す。
そこには、何もない真空の空間が「ガラスが割れるように」砕け散り、その亀裂の奥から、ダイソン球すらちっぽけに見えるほどの、幾何学的な巨大構造物の群れが、這い出るように姿を現し始めていた。
星の光を喰らい、空間そのものを歪める、圧倒的な『上位存在』の顕現。
「魁斗様……あれは……勝てません。我々の物理法則すら、彼らには通用しない……!」
常に冷静であったアテナすら、絶望に声を震わせていた。
人類がようやく一つの完成された揺り籠に収まったその日に、宇宙の真の支配者が、その揺り籠ごと人類を「バグ」として消去するためにやってきたのだ。
赤く明滅する警報の中、魁斗はグラスに残ったワインを一息に飲み干した。
そして、圧倒的な絶望の映像を前にして――彼の口角が、ゆっくりと、しかし確実に、吊り上がった。
「……創造主、ですか」
その瞳に宿ったのは、恐怖ではなく、自らの上に君臨しようとする存在に対する、激しい怒りと、底知れぬ闘争心だった。
「たかが機械を一つ置いたくらいで、神を気取るとは……不愉快極まりない」
カチン、と。
魁斗が空になったグラスをテーブルに置く音が、静まり返った玉座の間に響いた。
「ダヴィンチ、ヴァルカン、アテナ。絶望している暇はありませんよ。本当の『神殺し』の始まりです。……あの傲慢な害虫駆除業者に、人間というバグの恐ろしさを、骨の髄まで叩き込んでやりましょう」
人類の管理という「内輪揉め」は終わった。
ここから先は、絶対的な力を持つ創造主に対する、人類の存亡を懸けた反逆の戦いが幕を開ける。
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