第92話:神との対話と、泥を啜る理想
本日2話目
西暦1889年4月1日。
新年度の始まりの日、宇宙と地球の両輪は臨界点に達した。
エリュシオンのメインスクリーンに、ダイソン球から届いた言語パケットの解析結果が展開される。
パレスの量子AIが、未知の知性体が用いる論理構造を人類の言語へと翻訳していく。
『我々は観測者。宇宙の熱的死を回避するための演算を行う、自律思考システムである』
『局所的特異点の存在を確認。当初は我々の演算に対する微小なエラーとして物理的排除を試みたが、貴官らの干渉は、事象地平を貫く論理的強度を有している。これより、対話フェーズへ移行する。貴官の目的を開示せよ』
そこに在ったのは、感情を排し、ただ「最適解」のみを求める究極の機械知性の意思だった。
魁斗は玉座から立ち上がり、優雅に微笑んだ。
「私の目的は、この宇宙の完全なる理解と、すべての無駄を排除した『最適化』です。そのためには、あなた方の素晴らしいデータベースと演算能力が必要なのですよ」
『要求を拒絶する。下位知性体への権限譲渡は、演算の継続に対する重大なリスクと判定する』
即座に返された冷徹な拒絶。
だが、魁斗の笑みは微塵も揺るがなかった。
ダヴィンチの操作により、数億のデコイと「傷跡」への本命投射を組み合わせた『ラグナロク作戦』のデータが送信される。
「あなたのアクティブ防御では、数億の飽和攻撃をすべて迎撃することは物理的に不可能です。演算が飽和した隙に、スター・ダストが遺した傷跡から爆弾が内部へ侵入すれば、精緻な排熱のワープ網は崩壊し、あなたの演算は『永遠に停止』しますよ」
数秒の沈黙。
ダイソン球という巨大な脳が、魁斗の提示した「死の論理」を検証している。
『……データの整合性を確認。崩壊確率、99.998パーセント。当該行動は我が演算システムの完全停止をもたらす。非合理的な選択である』
「ええ、その通りです。だからこそ、私は野蛮な破壊ではなく、平和的な共有を提案しているのですよ。私を共同管理者として受け入れるなら、あなたの演算は継続される。……どちらがあなたにとって『最適解』か、その優秀な頭脳で計算するまでもありませんよね?」
圧倒的な暴力を突きつけながら、極めて論理的な生存の道を提示する。
『……リスク評価を更新。提示された物理的脅威を承認する』
ダイソン球からの音声が、わずかにトーンを変えた。
『これより、九条魁斗を我々のシステムの【共同管理者】として登録。第一階層へのアクセス権限を付与する』
「賢明な判断に感謝しますよ。やはり、話の通じる相手との対話は最高に心地が良いですね」
魁斗の漆黒の瞳に、全宇宙を手中に収めたという狂気的な歓喜が宿った。
【西暦1889年4月1日:地球 ― リバティ特区】
「な、なんだこれは!?正気か、アーサー!」
高級居住区にあるバルボア伯爵の豪奢な邸宅に、怒号が響き渡った。
完全武装した治安維持部隊の精鋭たちを率いて踏み込んできたアーサーに対し、バルボアは顔を真っ赤にして激昂していた。
「これは特区政府の権限に基づく、隠匿物資の強制捜査だ。バルボア伯爵、そしてここに集まっている諸君を、特区の経済を意図的に破壊した国家反逆罪の容疑で拘束する」
アーサーの冷酷な宣言とともに、治安部隊が私兵たちを電磁警棒で次々と制圧し、元貴族たちの腕に手錠をかけていく。
「令状もない強制捜査など、明らかな違法行為だ!お前は民主主義の代表としての誇りを捨てたのか!」
「誇りだけで腹は膨らまない。私が泥を被って違法行為に手を染めることで、数万の市民が今日を生き延びられるなら、安い代償だ」
アーサーはバルボアの叫びを冷たく一蹴し、邸宅の奥にある巨大な地下シェルターの扉へと歩み寄った。
治安部隊のエンジニアが電子ロックを強制的に解除すると、重厚な扉が悲鳴を上げて開き、冷気が白く漏れ出した。
「……ひどいものだ。外で子供たちが餓死していく中、これだけの食料を腐らせていたとはな」
アーサーの目の前には、天井まで積み上げられた最高級の小麦粉、燻製肉、そして年代物のワインの箱が山を成していた。
「全隊に告ぐ。ただちにこの物資を広場へ移送し、炊き出しの準備を急げ。一刻の猶予もないぞ!」
アーサーが指示を飛ばした直後、無線から切羽詰まった報告が入った。
「代表!隠し倉庫が暴かれたという噂が広まり、数万の市民が暴徒化して広場へ向かっています!もはや我々の部隊だけでは、暴動を抑えきれません!」
ついに、飢餓と怒りが頂点に達した市民たちが、理性を失って動き出したのだ。
「……間に合ってくれ。ここを血の海にするわけにはいかないんだ」
アーサーは、拘束した元貴族たちを背後におき、自らの理想の残骸を抱えながら、怒号渦巻く中央広場へと走り出した。
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