第91話:神を屠る一撃の設計図
西暦1889年3月30日。
人類の究極の進化と、この宇宙の真理を手に入れるためのダイソン球攻略作戦は、最終段階へと突入していた。
エリュシオンの戦略室。
ホログラム投影されたダイソン球の三次元構造図を前に、ダヴィンチが緻密な解説を続ける。
「魁斗様、ダイソン球の完璧な防衛と生命維持のメカニズムが完全に解明されました。彼らは装甲表面の任意の箇所に、必要に応じて局所的な反重力フィールドを展開し、物理的な衝撃を完全に無力化しています。そして、内部に封じ込めた恒星の規格外の熱は、装甲内部に設けられた無数の排熱孔から、マイクロワープ技術を用いて宇宙空間の別の座標へ強制的に転送し、冷却を行っているのです」
「なるほど。限られた修復リソースと排熱システムを、極めて効率的に運用しているというわけですね。非常に美しい管理です」
魁斗は、スター・ダストが穿った無数の微細な傷跡を指差した。
「ですが、この傷跡は塞がっていません。我々が放った数兆の縮退微粒子は、今もなお装甲表面で猛烈な衝突を繰り返している為、修復ナノマシンが穴を埋めようとした傍から、後続の微粒子がそれを削り取っていく……つまり、彼らの修復速度を、こちらの物理的な破壊速度が上回っている状態ですね?」
「おっしゃる通りです。ダイソン球といえど、全表面を同時に修復し続ける無限のリソースはありません。現在、彼らはこの一点の修復に演算能力とエネルギーの相当量を割かざるを得なくなっており、結果として他の区画の防御が相対的に『薄く』なっているのです」
「数兆の塵の自爆による、計算されたリソースの強制消費か。実に私好みの、理にかなった嫌がらせですね」
「ええ。そこで本命の『神々の黄昏作戦』です。ダイソン球の全表面に向け、数億個のデコイ爆弾を同時投射します。全方位での迎撃にエネルギーが割かれ、演算リソースが物理的上限に達した一瞬。その隙を突き、スター・ダストが遺した『傷跡』へ、本命の特異点爆弾を流し込むのです」
「素晴らしいですね、採用しましょう。ただちに準備に入りなさい。神様にも、少々死の恐怖を味わっていただかないと、こちらの対話に応じてくれませんからね」
魁斗が上品な笑みを浮かべてそう命じた、まさにその時だった。
「魁斗様!ダイソン球から、高度に圧縮された『言語パケット』を受信しました!」
ヘルメスの緊迫した報告に、魁斗の瞳に知的な好奇心と、相手を組み敷こうとする底意地の悪い光が宿る。
「回しなさい、ヘルメス。神がどのような論理で語りかけてくるのか、謹んで聞かせてもらいましょうか」
【西暦1889年3月30日:地球 ― リバティ特区 統議評議会】
同じ頃、地球のリバティ特区の会議室では、重苦しい空気が漂っていた。
特区の暫定代表であるアーサーは、重厚なマホガニーのテーブルを囲む元貴族や資本家たちに向かって、深く頭を下げていた。
「……お願いだ、バルボア伯爵。そして委員の諸君。市民の飢えと不満は、もはや限界に達している。どうか、あなた方が独自に確保している隠し備蓄を、少しでいいから特区政府に提供してもらえないだろうか」
それは、誇り高き代表としてのプライドを捨てた、一人の人間としての切実な懇願だった。
だが、彼らの代表格である元伯爵のバルボアは、最高級の葉巻の煙をゆっくりと吐き出して鼻で笑った。
「馬鹿げた提案だね、アーサー。我々が私有財産を投げ打ってこの特区の経済的基盤を作ったからこそ、パレスの全体主義から独立できたのだろう?私有財産の絶対的保護こそが『自由』の根幹だ。それを無償で提供しろなどと、パレスの独裁と何が違うというのかね」
「その『自由』という土台そのものが崩壊しかかっているんだ。貧困層が暴徒化すれば、少ない治安維持部隊だけでは到底抑えきれない。あなたのその立派な屋敷も、地下に溜め込んだ物資も、すべて彼らの怒りの濁流に飲まれるぞ。これは慈善ではない、あなた自身が明日も生き延びるための、唯一の譲歩だとお願いしているんだ」
アーサーの血を吐くような説得に対し、バルボアは机に置かれた新聞を無造作に叩いた。
「甘いことを言うな! それより、今朝のパレスの広報放送を見たか? 特区の住民数十名が、パレスへ逃亡し、あちらで保護されたというニュースだ。恥を知れ! 我々が守るべき『自由の民』が、自ら首輪を求めて敵陣に下ったのだぞ。これは特区の威信に関わる大問題だ!」
他の元貴族たちも口々に罵声を上げる。
「そうだ、治安維持部隊は何をやっている! 出国を厳しく制限しろと言ったはずだ!」
「……彼らは、正当な手続きに従って『出国許可』を申請していたはずだ」
アーサーが静かに、しかし鋭い口調で返した。
「私の手元に届いていた事務局の報告では、申請は全て『受理され、検討中』となっていた。だが現実は違った。今朝、私が独自に調査したところ、あなた方の圧力を受けた事務局によって、それら全ての申請が『理由なき却下』として闇に葬られていたことが判明した。……彼らは自由を捨てたのではない。ここで飢え死にする自由しか与えられなかったから、生きるために逃げたんだ!」
アーサーは、自身の受けていた「安定」という報告がいかに虚飾に満ちていたか、そして現実の困窮がいかに自分の想像を超えていたかを、今朝の逃亡ニュースで突きつけられていた。
「バルボア伯爵、君たちは彼らを『怠惰な有象無象』と呼ぶが、その有象無象が支えていたからこそ、特区の経済は回っていた。その彼らを見捨て、脱出の道すら塞いで座して死ねと言う。それが、君たちの言う『自由』の正体か」
「貧者が淘汰されるのは、自由競争という自然の摂理だよ。怠惰な有象無象を食わせるために、私の正当な財産を一ミリたりとも削るつもりはない。君のその甘い理想主義が、この特区をダメにしているんだ」
「……パレスの支配から逃れても、人間の強欲という鎖からは逃れられないということか」
この男たちに、社会全体を俯瞰する理性など最初から存在しなかったのだ。
自らの言葉が全く届かないという絶望を前に、アーサーはゆっくりと頭を上げ、静かに席を立った。
「どこへ行くつもりだね、代表殿?」
「……これ以上の対話は無意味だと悟っただけだ。失礼する」
アーサーは背筋を伸ばし、振り返ることなく会議室の重厚な扉を開けた。
民主主義とは、理性を共有できる者同士の対話であると信じてきた。
だが、理性を失った強欲な獣を前にしては、その理想は無力でしかない。
廊下を歩くアーサーの瞳には、理想の民主主義者としての未練は消え去り、泥を被ってでも市民を救うという、冷酷で強固な決意が宿っていた。
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