第77話:絶対防衛線、星々を繋ぐ意志
本日3話目
【1883年春:地球・アイアン・パレス中央司令室】
三光年の彼方から送り込まれた、愚かなる銀色の観測端末。
魁斗はそれに逆ハッキングを仕掛けて自壊させるだけでなく、消滅する寸前のコンマ数秒で、中枢コアから最も重要なデータを物理的に抜き取っていた。
それは、敵の『軍事用超空間通信の暗号化プロトコル』と、発信源である『三光年先の母艦の正確な空間座標』であった。
「解析終了。……なるほど、彼らの通信暗号は意外なほど単調ですね。これなら、我がパレスの量子演算で容易に解読し、常時傍受することが可能です」
魁斗は、薄暗い司令室の中央に浮かび上がる太陽系全域の精密なホログラム図を、指揮棒で優雅に指し示した。
「我々はすでに超空間通信を実用化していますが、今回の収穫は別格です。彼らの通信ネットワークのバックドアを手に入れた。つまり、彼らがいつ、太陽系のどこへワープアウトしてくるか、その『出口の座標』すら、事前に手に取るようにわかるということです」
集まった幹部たちの間に、衝撃と期待の入り混じったどよめきが走る。
「そこで、地球の防衛線を、これまでの月軌道から大幅に押し上げます。新たな絶対防衛線は――太陽系外縁部、冥王星軌道です」
「冥王星軌道だと!? マスター、いくら何でも遠すぎます!」
通信・情報統括のヘルメスが、たまらず声を上げた。
「地球から冥王星まで、光の速度でも片道約五時間半。これでは敵の侵攻を光学観測で検知してから迎撃するのでは、到底間に合いません!」
「光学観測などという時代遅れの代物に頼るつもりはありませんよ、ヘルメス」
魁斗は口元に、氷のように冷たく、それでいて自信に満ちた酷薄な笑みを浮かべた。
「我々が既に確立している超空間通信網を、太陽系全域に敷き詰め、全域監視網を構築します。光の遅延という宇宙の絶対ルールは、我がパレスの通信網の中では無意味です。冥王星域での戦闘も、地球のこの部屋から時差ゼロでリアルタイム指揮が可能になります。そして――」
(……ふふ、敵は自分たちの首を絞めるための極上の情報を、わざわざ自らの手で届けてくれたわけですよ。五年前に彼らが放った隕石の借りを返すには、彼らの文明そのものを消し去るという、最大の絶望をもって報いなければなりませんね)
「敵は、小惑星を落とすような野蛮な質量の暴力に頼っている。ならば、我々は『質』と、圧倒的な『量』で蹂躙しましょう」
魁斗はホログラムの焦点を、火星と木星の間に広がる小惑星帯、アステロイドベルトへと合わせた。
「小惑星帯の無価値な岩塊群に、自己増殖型のナノマシン・プラントを投下します。岩石を分子レベルで分解し、資源へと変換。そこから無人迎撃艦『オートマトン』を自動建造させます。その数――十万隻」
十万という、もはや一個の惑星すら包囲可能な桁外れの数字に、幹部たちは息を呑んだ。
「それらすべての中枢に超空間通信レシーバーを搭載し、ルナ・パレスの思考プロトコルと直接量子リンクさせます」
十万の艦隊を一糸乱れず、一個の意思として制御する。パレスの天文学的な演算能力と魁斗の知性のみが可能にする、神の如き支配である。
「……太陽系の番犬としては、ちょうど良い数だと思いませんか?」
深夜。会議が終わり、深い静寂を取り戻した司令室に、ホログラムの淡い光だけが、深海の泡のように漂っている。
その無人の空間で、桜華が背後からそっと、魁斗の広い背中に顔を押し当てた。
「主……ウチ、ほんまに怖いんです。……堪忍してな、こんな弱気なこと言いつつ」
彼女の、いつもより甘く、湿り気を帯びた京都弁が、静寂を艶やかに揺らす。
「五年前のあの隕石みたいに、また突然、理不尽に空から死が降ってくるんやないかって……。あの時は、主が衛星軌道上のレーザーを全部束ねて、神業みたいに撃ち落としてくれはりましたけど……」
五年前、薄氷を踏むような迎撃戦を強いられた記憶が、今もなお彼女の心を細い鎖のように縛っていた。
「お相手の姿は見えへんのに、三光年も先から、ずっとウチらを殺そうと狙い続けてはる。……その執念が、どうしようもなく恐ろしいんどす」
魁斗はゆっくりと振り返り、彼女の華奢な体を強く、けれど壊れ物を扱うように極めて優しく抱き寄せた。
「背負っているのは、私だけではありませんよ、桜華」
魁斗は彼女の柔らかな髪を撫でながら、その耳元で、甘く、そして恐ろしい誓いを立てるように囁いた。
「あんな綱渡りのような防衛は、二度と繰り返させない。私はこの世界を、何があろうと守り抜く。……いいえ、この世界を私の意志で『支配』してでも、絶対に守り抜くと決めているのです」
(そう、神がこの理不尽な宇宙を作ったというのなら、私がその無能な神から太陽系という箱庭を簒奪するまでのこと。誰にも、指一本たりとも手出しはさせませんよ)
魁斗の視線は、桜華のまだ目立たない、しかし確実に新しい命が宿っている腹部へと向けられた。
「あなたとの間に宿るこの子が、いつか星空を見上げて、『綺麗だ』と無邪気に笑える未来を作りたい。そのために、私はこの太陽系を、光すらも私の許可なく通れぬ、鉄壁の、そして私だけの絶対的な要塞に変えてみせます」
「主……」
桜華は、魁斗の漆黒の瞳の奥に燃える、愛と野心が混じり合った「狂気」を確かに感じ取った。だが、彼女はその毒のように甘い熱量に身を任せ、愛おしそうに目を細めた。
魁斗の視線は、もはや地球を越え、三光年先の深淵を捉えている。
(……三光年先の愚か者たちには、せいぜい自らの無知を呪いながら、無惨に散っていく絶望の準備をしてもらうとしましょうか)
太陽系という箱庭を巡る、究極の支配と防衛。
その前夜の静寂は、冷酷なまでに美しく、そしてあまりにも深い情愛に満ちていた。
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