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明治「再」起動 ―暴君が塗り替える近代史―  作者: tky@複数作品を同時連載中
第4章:無限の宙と未知なる文明

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第75話:虚空の観測、海王星の断層

【1882年冬:月面拠点『ルナ・パレス』中央制御室】


火星のテラフォーミングという、人類史の地平を塗り替える偉業を成し遂げつつある『アイアン・パレス』。


その中枢であるルナ・パレスの司令室は今、祝祭の余韻を塵一つ残さず切り捨て、凍てつくような静寂と、張り詰めた殺気に支配されていた。


「目標、天王星軌道を通過。依然として、光学的な『実像』は一切結べません」


拠点防衛統括のイージスが、漆黒のモニターに浮かぶ底知れぬ空白を指して報告する。


海王星の外縁、太陽の慈悲すら届かぬ暗黒の宙域。


そこでは星々が不自然に歪み、まるで巨大な怪物の顎に飲み込まれるかのように、次々とその光を掻き消されていた。


「可視光、赤外線、あらゆる走査を試みましたが、反射波が微塵も戻ってきません。対象は光そのものを吸い込んでいるのか、あるいは空間ごと歪めて回避しているのか……現在、私たちが唯一対象を感知できているのは、時空のさざ波である『重力波』のみです」


「ですが、重力波による位置特定には限界があります」


戦略眼・大局統括のオーディンが、ホログラム上のぼやけた赤い霧のようなノイズを提示した。


「このノイズの渦の中に、巨大な質量が存在するのは確かです。ですが、これは嵐の中で鐘の音を頼りに場所を探るようなもの。正確な座標が絞り込めません。半径数百キロの誤差……この広大な宇宙において、それは致命的な『盲目』を意味します。精密射撃など、夢のまた夢です」


目標は光速の約二パーセントという、物理的な暴力を伴う速度で突き進んでいる。


(おや……このまま月軌道付近まで引き付けて迎撃すれば、破壊時の衝撃波と破片で地球の大気層が消し飛んでしまいますね。人類を救うための迎撃が、人類を滅ぼす引き金になるなんて。クフフ……それはあまりに、悪趣味な結末というものでしょう)


魁斗は、静かにティーカップをソーサーに置いた。


陶器が重なり合う繊細な音だけが、墓場のように静まり返った司令室に重く響き渡る。


「……ふふ、不可解ですね。これほどの質量を持ちながら、電波も光も、あらゆる干渉を一切寄せ付けないなんて。まるで、この宇宙のルールそのものを拒絶し、あざ笑っているかのようです」


魁斗は、司令室を流れる膨大な観測データの奔流を、愛おしむような、それでいて冷徹な瞳で凝視した。


「一つ、仮説を立ててみましょうか。もし敵が、通常空間からわずかに位相をズラした特殊な空間の膜を纏っているとしたら? レーザーやミサイルといった外部からの攻撃は、その膜の表面を滑り、決して内部の心臓部には届かない。だからこそ、私たちの観測機は何も捉えることができない。……そうは考えられませんか?」


「それなら、どうやって倒すというのですか……?」


イージスの問いに、魁斗は口角を優雅に吊り上げ、暗い輝きを宿した瞳で応えた。


「外側が通じないのなら、内側から壊して差し上げるのが、最高の礼儀というものでしょう。私たちが手にした究極の火種――『反物質』を敵の内側へワープさせます」


反物質。


それは通常の物質、すなわち正物質と構成粒子の電荷が逆転した、いわば鏡合わせの存在である。


両者が物理的に接触した瞬間、互いの質量を百パーセント、純粋なエネルギーへと変換し、跡形もなく消滅させる「対消滅」を引き起こす。


(一グラムの対消滅でさえ、過去の核兵器を遥かに凌駕する熱量を生む、神の如き力。扱いを誤れば私たち自身を焼き尽くす諸刃の剣ですが……まあ、私が手綱を握る以上、暴馬に振り落とされる心配は無用ですよ)


「レオンハルト。フォールド・ドライブ二号機を起動してください。反物質保持ポッドの磁気安定の確認もお願いします」


反物質は、空気や容器の壁といった正物質に一瞬でも触れた瞬間に暴発する。


そのため、カプセル内部では超電導による強力な磁場が展開され、反物質を真空中に浮上させて保持していた。


(空間を歪めるフォールドの振動が、この繊細な磁場を乱せば、その瞬間にルナ・パレスごと月面が地図から消えます。ふふ……背筋がゾクゾクするほど、素晴らしい緊張感ですね)


「起動しますが、マスター……命中率の問題はどうされるのです!? 数百キロの誤差がある中での転移など、ただの空振りに終わる可能性が高い!」


「ええ、だからこそ『内側』を狙うのですよ。空振りなど、私の美学に反しますから」


魁斗は、まるで完成された絵画の最後の一筆を置くように、ディスプレイに予測弾道を書き込んでいく。


「敵の座標には数百キロの不確定性があります。ですが、これほどの重力波を発する敵です。その質量……つまり身体の大きさ自体も巨大なはず。ならば、不確定領域の中心、敵の巨体が存在する確率が最も高い場所へカプセルを転移させます。もしカプセルが敵の質量と重なる座標に実体化すれば、カプセル容器という正物質が、敵の身体という正物質と強制的に接触し、超電導磁場が物理的に押し潰される。その瞬間に反物質が解き放たれ、敵の体内物質と対消滅の連鎖が始まります。外側の膜を狙い撃つより、敵の体積そのものを利用して、内側から自壊を促す。クフフ……これほど確実で、合理的な殺し方も他にないでしょう?」


(理論上、導き出せる解はこれだけ。あとは確率という名の女神が、この私に跪くかどうか……それだけのことですよ)


「空間歪曲門、展開しなさい。目標、予測座標の中心である虚空の心臓へ、私からのささやかな贈り物を」


レオンハルトの叫びと共に、反物質カプセルが消失した。


それは因果の網を潜り抜け、四十五億キロ先の海王星宙域へと跳躍した。


……そこから、死よりも重く、永い、四時間の空白が始まった。


光が、そして重力波の報せが、絶望的な距離を越えて地球へ届くまでのタイムラグである。


魁斗は微動だにせず、モニターに刻まれるノイズの瞬きを凝視し続けた。


そして。


「――重力波に激震! 振幅の乱れから……目標の構造崩壊を検知しました!」


「続いて光学観測、海王星宙域にて筆舌に尽くしがたい高エネルギーのガンマ線バーストを確認! 反物質による対消滅反応……間違いありません!」


司令室に、爆発的な歓喜が沸き起こる。


だが、魁斗は細い指を唇に当て、静かにそれを制した。


その瞳は、未だ凍り付いたままである。


「静かに。まだですよ。イージス、飛散した破片の弾道計算を……一秒でも早く、正確になさい」


(破壊して終わり、などという不細工な仕事をするつもりはありませんよ。もし破片が一つでも地球へ向かえば、人類は滅び、私のパレスも灰になる。そんな醜い幕引き、私が許すはずがないでしょう?)


数分間の、肺が潰れるような沈黙が続く。


オペレーターたちの指が、弾道計算機の上を死に物狂いで滑る。


「……計算完了! 破片の九十九パーセントは対消滅のエネルギーで全方位へ霧散、あるいは太陽系外へ向かう脱出軌道に乗りました! 地球への直撃コースに残った残骸は……ゼロです!」


その言葉が司令室に響き渡った瞬間である。


魁斗は初めて深く、長く息を吐き出し、いつもの余裕に満ちた、どこか底の知れない微笑を取り戻した。


(……勝てましたね。まずは、目の前の一つのゴミを片付けた、といったところでしょうか)


司令室が狂乱に近い歓喜に包まれる中、魁斗は背もたれに深く身を沈めた。


「お見事です。……ですが、これはまだ序章に過ぎません。私たちは今、眠れる銀河の巨人の鼻先を、土足で踏みつけたのかもしれないのですから。……ふふ、面白い、本当に面白いことになってきましたね」

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