第62話:空への翼と、理解される科学
本日4話目
【1872年冬:アイアン・パレス マスター私室】
深夜のアイアン・パレスは、静寂に包まれている。
厳重なセキュリティで守られた魁斗の私室の扉が、音もなくスライドして開いた。
「マスター、夜分の巡回報告に参りました」
司法と規律を統括するテミスが、タイトな軍服姿のまま、居住まいを正して一礼した。
冷徹な裁判官として恐れられる彼女だが、その頬は微かに朱に染まっている。
「ご苦労様です、テミス。
ですが、この階層の警護は自動防衛システムで完璧に制御されていますよ?」
魁斗が、手元のホログラム資料から目を離さずに穏やかに問う。
テミスは一瞬言葉に詰まったが、すぐに魁斗の背後へと回り込んだ。
「……機械の目だけでは、見落とす悪意もあるやもしれません。
それに、マスターの御肩が、ひどく張っておられます」
テミスは軍手を外し、素手で魁斗の肩にそっと触れた。
冷徹な彼女のイメージとは裏腹に、その指先は温かく、絶妙な力加減で魁斗の疲れを揉みほぐしていく。
「ふふ、なるほど。
テミスのマッサージは、医療ポッドよりも効果的ですね。
助かりますよ」
「もったいないお言葉でございます……。
アテナやマモンのように華やかなことはできませんが、私は私のやり方で、マスターのすべてをお守りいたします」
テミスは、魁斗の首筋に自身の吐息がかかるほど顔を近づけ、熱を帯びた声で囁いた。
幹部たちの忠誠心は、時として激しい寵愛の奪い合いへと変貌する。
魁斗は彼女たちの競い合いを否定せず、むしろ組織の活性化として優雅に受け入れていた。
「頼りにしていますよ、テミス。
明日からは、いよいよ新しい技術公開のフェーズに入りますからね」
【パレス・ビジョン特別番組『未来の翼』の放送】
翌日の夜、世界中の『パレス・ビジョン』で、一つの特別番組が一斉に放送された。
アルバート・エヴァンスが総力を挙げて制作した教養娯楽番組、『未来の翼』である。
画面に映し出されたのは、広大な滑走路。
そこで、巨大な銀色の主翼を持つ機体が、エンジンの轟音と共に大地を蹴り、空へと舞い上がる映像であった。
『ご覧ください!
これがパレスの航空工学、流体力学を極限まで突き詰めた成果です!』
画面の中の快活な案内役が、アルバートの緻密な台本に沿って、わかりやすく解説を進める。
『魔法ではありません。
空気の力を計算し、揚力を味方につけた、人類が到達すべき正しい科学の姿なのです!』
テレビの前の民衆は、驚嘆の声を上げた。
もし、この技術がいきなり空を覆う巨大戦艦として現れていたら、彼らは恐怖し、「悪魔の業だ」とパニックを起こしていただろう。
しかし、アルバートの演出は巧妙であった。
不気味な演出は一切排除され、明るい照明と、希望に満ちたオーケストラのBGMが流れている。
『この技術が応用されれば、海を越えた移動は数ヶ月から数時間へと短縮されます。
パレスは、皆さんの世界を広げるために、この翼を提供します!』
映像はさらに、旅客機の豪華な内装や、雲の上から眺める美しい夕日の映像へと切り替わった。
難病の治療のために遠方の拠点へ運ばれる患者のドキュメンタリー映像が重なる。
ニューヨークの集合住宅のリビングで、それを見ていた家族が、感嘆の声を漏らした。
「すげえ……パレスの科学って、本当に俺たちの生活を便利にしてくれるんだな」
「 そうね、パレスの偉大な科学が、空を道に変えたのね」
アルバート・エヴァンスが作り上げた番組は、爆発的な反響を呼んだ。
人々は、自分たちの理解を超えたパレスの技術を、「恐怖の対象」から「憧れの対象」へと意識を書き換えられたのである。
アイアン・パレスの中央管制室で、そのデータを眺めながら、魁斗は満足げに微笑んだ。
「素晴らしい結果ですね、アテナ。
現地のディレクター、アルバートの功績は高く評価しましょう」
「ありがとうございます、マスター。
これで、民衆の意識の底に『パレスの技術=正しく、美しい進歩』という強固な下地が形成されました」
アテナが、恭しく一礼して答える。
「ええ。
これで準備は整いました。
次は、彼らの有り余るエネルギーを、より生産的な方向へと向けてあげましょう」
九条魁斗の計画は、いかなる摩擦も生むことなく、完璧な静寂の中で次のステージへと昇華しようとしていた。
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