第18話「きらきら星変奏曲」その1
朝から女子寮では黄色い声が木霊していた。
パジャマ姿の女子達に揉みくちゃにされるイヌヒコ。
「キャー可愛い」「あたしも抱きたい」「ねぇ、私もー」
手から手へとリレーされる。
下着姿の櫻子の腕に抱かれ、ボリュームのある胸の谷間に顔を埋めた。
――(なんだ……この弾力……包み込むような柔らかさ……こ、これは……眠りそうだ……)
スヤスヤと眠るイヌヒコを布団の上に寝かせる櫻子。
女子達が朝の支度をし、狩衣に着替える中、ネグリジェを纏う狩麻姉妹がイヌヒコの顔をマジマジと眺める。
顔に美容パックをする二つの同じ顔が、迫る光景もまた奇怪である。
「ねぇ、魅恩」
「なに、汐恩」
「この犬……可愛い」
「可愛いね」
「でもね」
「でもなに?」
「邪気を感じる」
「私も感じる」
「殺す?」
「殺す?」
目を開いたイヌヒコ。
至近距離で殺気を放つ真っ白な顔に驚き、飛び避けた。その足で、櫻子の元へと向かう。
「ちょっと。イヌヒコちゃん」
怯え、足に纏わりつく。
そんなイヌヒコを遠目から眺める秋瀬 蓮水。
ショートヘアーが少しだけ伸びている。
そして相も変わらず不織布マスクで鼻の上までを覆い隠す。
イヌヒコは、よちよちと蓮水の元へと向かい、正座をする膝の上に上った。
愛くるしい表情を向ける。
蓮水はゆっくりとイヌヒコの頭を撫でた。
朝食が終わり、皇の下へと向かう桃眞。
紺色の狩衣を纏い、烏帽子を被っている。
午前中は、講師ではないが、皇が特別に受け持つ事になった。
前日に指定されていた場所に向かう。
陰陽寮の玄関を出て、食堂とは逆の外壁をぐるりと周った先に、大きなグラウンドがあった。
丁度野球が出来る程の広さである。
到着すると、グラウンドの真ん中に、紫色の狩衣を纏う皇が一人立っていた。
桃眞の気配に気づくと振り返る。
「お待ちしてましたよ。桃眞さん」
「こんな所あったんですか」と訊ねる桃眞に「ええ、あまり使わない場所ですが、トレーニングには打って付けです。式神ファイト倶楽部の転送装置で別の空間に行ってもよかったのですが……ここの方が私の好みです」と言い、空を見上げ深呼吸する皇。
「今日は良い天気です。雲一つない。もう梅雨も明けましたね」
「で、これからどんな事をするんですか」
そう言うと、皇が桃眞の元へと歩み寄る。
「では、桃眞さん。今から術で私に攻撃をしてください」
「えっ」と驚く。
「いや、出来ないですよ……」
「それは、私に対して出来ないと言う事ですか? それとも術を使った攻撃が出来ないという事ですか?」
「そのどちらもっす。偶然術が使える時もありますけど、使いたい時に、使えるとか。そういうのはまだ……」
そう言い、自信なさげに俯く。
その姿に、肩をすくめた皇。
「やれやれ。吉樹さんは、知識のみ教えて実技はあまり教えていないようですね」
「あ、でも呪符とか、人形の作り方は習いました」
「そんなの知った所で、法力を引き出せなくては意味がありません」
その時、桃眞は前から気になっていた事を訊ねた。
「皇さん」
「はい」
「たまに、皆が、『呪力』とか『法力』とか言ってますけど。何が違うんですか」
「良い質問ですね。術には二つあるのですが、何かわかりますか」
「わかりませんッ!!」と即答する。
「自信満々に否定しては行けません。勉強なさい」と笑顔で叱られる桃眞。
吉樹なら「イイねッ」とステップを刻んでくれるが、皇にはそういうノリが通じない。少し寂しい気持ちがした。
「……すみません」
「人の力の根源は『気』です。その気が『陰』と『陽』のどちらに傾くかで気の性質が変わるのです」
「なんか、難しい話ですね……」
「気が『陰』つまりマイナス面に傾くと、相手を呪う気持ちや攻撃性が現れ『呪術』となります。そして、『陽』に傾けば、相手を守りたい気持ちや守護、浄化性が現れ『法術』となります」
「って事は、つまり、気持ち一つで気の性質が変わるって事ですか」
「その通りです。呪力も法力も、根源は『気』です。それをどう使うかで性質が変わるのです。どちらの気でも同じ術は使えますが得手不得手はありますから、発揮される効果は変わります」
空を飛ぶ鷹を眺める皇。
「やはり、人間は負のエネルギーを溜めやすい性質があります。故に、呪術のほうがメジャーですね。清い心を持つ法術は扱える人間も少ないでしょう」
そして皇は続けた。
「なので、呪力も法力も言葉は違えど本質は同じです。今は、曖昧に言葉を使う人もいますが、別にどちらでも構わないと言うのが、最近の流行りですかね。肝心なのはバランスです。それこそが陰陽道の神髄です。どちらかに傾き過ぎれば力が暴走するでしょう。そうならない為に己を磨いて、立派な陰陽師になってください」
皇の言葉に桃眞は頷いた。
「では貴方のあの時私に言った言葉。……強くなりたい。どんな辛い修行でもやり抜く覚悟はありますか?」
皇の問に「もちろんです」と答える。
「わかりました」
そう言うと、皇は桃眞に向かって右手の手の平を突き出し、左手の指で作った手刀を唇に当てた。
術を唱える。
「急急如律令」
何も変化は感じない。
「さて、最初の修行は、ここから陰陽寮の玄関まで帰る。ただそれだけです」
「なんだ、それが修行ですか。だったら何往復でもしてみせますよ」
そう言った途端、桃眞は皇の狙いを知る事となる。
――体が動かない。
そして、まるで全身が鉛になったかのように、凄まじい重力を感じた。
「お……? おおぉぉ……ッ」
グラウンドの土の上にうつ伏せになり、へばりつく。烏帽子が外れ地面を転がる。
指一本までもが重く動かない。
「どうですか。全身が鉛の様に重いでしょう」と、しゃがみ込み、笑顔で問いかける皇。
「う……動けないです」
「動ける方法はただ一つです。呪力でも法力でも構いません。気を最大限まで高める事で動けるようになります。初めはどうする事もできないでしょうが。藻掻く中で感覚を掴み、次第に動けるようになるでしょう。それこそが気を引き出す感覚です」
「では、私は先に寮に戻ってお茶でもしてきます」
そう言って立ち上がる皇。
「ちょ、ちょっと待って下さい。ト、トイレ……」
「トイレですか。行けば良いじゃないですか」とニコリと答える。
そう言い残し、皇は去っていった。
「ま、マジで……」
全く身動きが取れない。
筋力でどうこうできる問題ではないと言うことは直ぐに理解した。
「誰かぁー。助けてぇぇッ!!」
鳥のさえずりが返事をした。
涼しい風が草木を揺らし、鼓膜を優しく撫でるが、今はそれどころではない。
視線の先に見える自分の指先。
ピクリとも動かない。
そのまま二時間が過ぎた……。
「誰かぁ……、た、たすけてぇ……。い、イヌヒコぉ……犬神ぃ……」
助けを呼ぶ声も力が無くなり掠れる。
指に意識を集中し、藻掻く……。
ピクッ……。
「い、いま動いたッ」
もう一度、指に意識を集中する。
指が……人差し指が地面から……初めて離れた。
「や、やったぞ指が動いた……」
その調子で、一時間をかけて、片手が地面から離れるようになった。
「よし……大きな一歩だろ。次はもう片方の手だ」
額に汗を滲ませ、頬に砂粒を押し付け、桃眞は必死に藻掻き苦しんだ。
そして夕食時になった。
今夜もディナー弁当を玄関で配る壇達。
どうやら、明日には新しい食堂がオープンするとの事だ。
ちなみに、今夜は『ハンバーグ弁当』だ。
壇達の後ろで玄関から表を向いて座っている皇。
すると、匍匐前進で桃眞が帰ってきた。
つまり、上半身までもを動かせるようになったのだ。
苦痛に顔を歪める桃眞が泥だらけで玄関まで到着した。
「おかえりなさい」と皇。
「喉乾いた……」
すると、皇は手に持っていた水筒を開け、コップに移した飲み物を手渡した。
「どうぞ」
「ありがとう……ございます」
礼を良い、桃眞は渡された飲み物をグビグビと飲んだ。
「かぁぁぁぁぁぁッ……生き返るぅ……」
「私が作った特製の栄養ドリンクです」と笑顔で皇は言った。
皇は立ち上がると「ではまた明日」と言い捨てる。
その言葉に慌てる桃眞。
「え、いや。皇さん、術解いて下さいよ」
すると、皇はきょとんとした顔で「何を言っているのです? 修行はまだまだ続きますよ。あ、あと吉樹さんには事情は説明してますのでご安心を」と言い残し去っていった。
「う……嘘でしょぉぉぉおおッ」
桃眞の叫び声が玄関に響いた。




