第17話「イヌヒコ + 犬神 = 子犬 & 超イケメン」その1
仏花に包まれた木製の棺の中で永遠の眠りに就くイヌヒコ。
そんなイヌヒコを見つめる……イヌヒコがいた。
イヌヒコは、陰陽寮の一室の壁をすり抜けると、回廊をトボトボと歩き始めた。
肉体が無くとも鼻が利く事に気付き、桃眞の居場所を探る。
回廊から女子寮との通路の間にある、十字路を曲がる。
二つ目のブロックを左に向かうと、保健室から霧島の声が聞こえた。
「どう?」と、丸椅子に座る誰かに訊ねる霧島。
細くしなやかな指先が、腫れ上がった桃眞の頬を滑る。
すると、触れた皮膚の擦り傷が消えていった。
今度は、額を摩る。
「どうって言われても……。まだ痛いっす」と沈んだ表情で答える桃眞。
流石の霧島でも、今回ばかりは、桃眞を誘惑する気にはならないのだろう。ブラウスのボタンは上まで締めている。
額の腫れが引いてゆく。
イヌヒコは、保健室に入ると、部屋の隅に座り桃眞を見つめる。
暫くして、イヌヒコは桃眞に近づこうと前に出た。が、目の前にスッと青白く透ける犬神が現れた。
――(君は……)
――(とうとう死んだか)
――(僕、やっぱり死んだの……?)
――(無論だ。よくも毎日、毒入りの食べ物を食べていたモノだ)
――(毎日、色んな人が僕に食べ物をくれるんだ。でも、どんどんと体が辛くなってきて。もう食べたくなかったんだ)
言葉を交わす事無く、鼻を近づけ心で会話する。
ふと、桃眞は何かを感じ部屋の隅を見た。
その瞬間に、イヌヒコと犬神が姿を消した。
廊下に出たイヌヒコと犬神。
――(どうして部屋から出たの?)
――(阿形 桃眞は、心の整理を付けようとしている。そこにお前が現れたらどう思う)
俯き考え込むイヌヒコに、犬神が続けた。
――(霊体でいると言う事は、この世に未練があるという事だ)
――(だって、桃眞は、僕のご主人様なんだ。ずっと側にいたいよ)
――(そうはいかない。ずっと未練を残し、この世に留まれば、いつかは悪霊になってしまう)
――(じゃあ。アナタも、この世に未練があるの? だからずっと留まっているの?)
――(私は、阿形 桃眞のせいで本当の犬神に成損ねた。あのまま土の中で天寿を全うできれば満足だったのだ。だが、死にかけの私をわざわざ土から掘り起こした。おかげで永久に半神半妖だ)
――(でも、アナタはご主人様の側にいながら、今日まで手は出さなかった。それはどうしてですか……?)
イヌヒコの心の声に、犬神は黙りこんだ。
犬神の心の中には、自分を半神半妖の状態にした桃眞への憎悪とは別の感情も芽生えていた。
禁じられた呪術を成就させる為の呪物として平安京の十字路に、餓死寸前の状態で首を切られ土に埋められていた。
これでやっと現世から離脱し新たなる存在として生まれ変わる事に、犬神はある種の希望を抱いていたのだ。
犬神はずっと孤独だった。
生まれた頃から親もいなく、野犬として野山で生き抜いていた。
弱肉強食の世界では安らぎなど感じたことは無い。
そんなある日、黒い狩衣を来た長髪の男に捉えられる。
男の手は冷たく、空虚に満ちていた。
それでいて手つきは恐ろしく早く、正確で無駄が無い。
何の躊躇いもなく、掘った穴に犬神を埋め首を掻っ切った。
そして、流血が進み意識が遠のく中、犬神は生まれて初めて『暖かさ』を感じたのだ。
その暖かな手が土を掘り、犬神の体を包込む。
これまで感じた事の無い、安心感と安らぎに微睡み……息絶えた。
阿形 桃眞……。
なんと言う暖かい心の持ち主なのだろうかと。そう思っている内に、彼への感心が湧き始める。
現代にまで付いて来て、イヌヒコが桃眞に向ける信頼と、桃眞がイヌヒコに向ける愛情を目の当たりにした。
桃眞の持つ心根の優しさに気付き、犬神もまた、桃眞に対して信頼を置くようになっていったのだ。
憎悪と好意。
二つの相反するであろう感情によって、犬神は突き動かされ今ここにいる。
半壊した食堂の前に、工事業者のトラックが数台停まった。
中から現れる作業着を着た職人達。
日焼けした筋肉質の若い男が、陰陽寮の玄関で立っていた皇の下へと向かう。
「浩美ッチィー。久しぶり」と、タオルを頭に巻いた男が話しかける。
「お久しぶりです。本田さん」
「おい、『さん付け』とかやめれって。同期だろ」
「そうでしたね」といつもの笑顔を向ける。
「相変わらず笑顔だねぇ」と言い、食堂の有様を見て唖然とする。
「まーた派手にやったな。寮生の喧嘩かよ」
「ご明察です」
「まぁ、俺らが学生の時もしょっちゅう喧嘩はあったもんな。時代が変わって令和になっても、こー言うモンは変わんねぇな」
そう言う本田に「本田さんくらいですよ、喧嘩に明け暮れていたのは」と皇が言った。
「やかましいわ」と本田が笑う。
「それにしても、流石は本田さん。昨日の今日で、もう駆けつけて頂けるとは」
「当たり前だろ。母校で、しかもお前の頼みと言うなら例え火の中、水の中でも駆けつけてみせるさ」
「頼もしいですね」
「何の為に、大手の建築会社とアドバイザー契約結んだと思ってんだよ」
「そうですね」
「せっかくだ。今はもう現場には出ないんだが、母校って事もあるし、俺の術も練りこんで美しくて綺麗な食堂に仕上げてやるよ」
そう自信満々に胸を張る本田に「期待していますよ」と皇は笑顔を絶やさずに言った。
イヌヒコの柩の横で、畳の上に座る桃眞と慎之介、そして櫻子。
迫り来る別れの時を惜しんで、亡骸の傍で物思いに耽る。
「こんな急に別れが来るなら。もっと傍にいて、愛してあげたかった」
まだ顔の腫れが引いていない桃眞は、そう言いながら虚ろな目をイヌヒコに向ける。
「お前が犯人探しをしてた時、俺ももっと協力してれば……イヌヒコは死なずに済んだかも知れない」
慎之介が悔しそうな表情で訴える。
「アタシだって……」と、櫻子も俯く。膝の上につく拳に力が籠る。
桃眞は首を左右に振ると「お前らのせいじゃ無いって。俺に力が無かっただけだ」と唇を噛み締めた。
三人の様子を障子扉の外から眺めていたイヌヒコと犬神。
――(僕……これで本当にサヨナラしちゃうのかな)
寂しそうな表情を、障子の向こう側に向ける。
――(別れたくはないのか?)
――(当然だよ)
犬神は、耳をピクピクと動かすと、イヌヒコの耳元に口を近づけた。喋る訳ではないが……。
――(完全では無いが、現世に肉体を持って留まる方法が一つある)
犬神の心の声に、イヌヒコが顔を上げた。
――(それって何?)
――(お前の肉体を私に譲れ)
――(どういう事?)
――(霊体のお前には出来ないが、半神半妖の私になら、抜け殻となったお前の肉体に憑依する事ができる。ただし、持ち主であるお前の同意が必要だがな)
――(でも、それじゃあ。僕の体に犬神様が入るんでしょ。だったら僕はどうなるの?)
――(案ずるな。お前の魂と私の魂を一つにして体に戻る。半分は私で、半分はお前だ)
――(本当にそんな事ができるの? 嘘じゃない?)
――(信じて貰えなければそれまでの話しだ。私としても、ずっとこの姿で彷徨うにはリスクが高い。同意を提案できるお前が傍にいて、好都合だったわけだ)
俯き、悩むイヌヒコ。
――(さぁ。どうする)
イヌヒコの青い瞳を見つめる、犬神の赤い瞳。
――(分かった。同意するよ)
柩に入ったイヌヒコの亡骸の横で座る三人が、異変を感じ取り障子扉に振り返る。
途端に、二つの光が部屋に入り、宙を漂う。
「イヌ……ヒコ……? それに犬神か……?」
桃眞は、直ぐにその二つの光の正体に気がついた。
「えっ、どういう事」と訊ねる櫻子だが、桃眞は返事をする事なくその光を見上げる。
「何が起きるんだ」
慎之介のスクエア型のインテリ眼鏡が光を反射する。
空中で二つの光が捻じれる様に混ざり合い、一つの光になるとそのままイヌヒコの亡骸へと入った。
そして、直後に強烈な光が辺りを包込む。
三人は、あまりの眩しさに手で顔を覆う。
次第に弱くなる光。
ゆっくりと手を下ろし、目を細めながら光の収束点を見つめる……。
三人の視線の先に、ぼんやりと人の姿が見える。
徐々に視界が元に戻り、目の前の光景を目の当たりにした桃眞達は、言葉を失った……。
そこに居たのは犬の姿をしたイヌヒコでは無かった。
――腰辺りまである長くしなやかな銀髪。
――切れ長で中性的な目。
左目は赤い瞳、右目は青い瞳。オッドアイと言うヤツである。
――薄紅色の妖艶な唇。
それは女性と見間違う程の美しくミステリアスな若い男が、桃眞達の前に立っていたのである。
そして、勿論裸ではない。
首元まで隠れたグレーのロングコート。その下から黒いチョーカーが見え隠れする。
襟元は反対の胸元まで斜めに開き口があり、黒い袴の下には黒いロングブーツ。
「誰これ……メチャメチャイケメンじゃない」と櫻子が目を丸くして、思わず言葉を吐いた。
桃眞が男に問いかける。
「お前……誰だ……」
「私は、犬神でもありイヌヒコでもある」
透き通った声。
「それってどう言う事だ……」と再度訊ねる桃眞に向かって、男は掌を向け、答えた。
「そして、私は……阿形 桃眞。お前を殺す者だ」
そう言い、男は不敵な笑みを浮かべた。




