第16話「イヌヒコの死。そして桃眞 VS 漣樹」その2
桃眞の怒りに満ちた拳が漣樹の頬を弾いた。
辺りが薄暗くなる中、漣樹の烏帽子がボトリと土の上に落ち、現れたダークブラウンの髪が夕闇で更に濃く見える。
バランスを崩し、仰向けに倒れる漣樹の上に馬乗りになり、顔面に何発もの拳を打ち付けた。
鈍く重い音と共に、漣樹の顔が左右に振れる。
「殺すッ、殺すッ殺すッ……」と言い、歯を食いしばる桃眞の目から涙が流れる。
イヌヒコの断末魔を聞き駆け付けた壇が悲鳴を上げた。
その声に、一瞬振り返る桃眞の隙を付き、肩を掴み、体をスクリューさせる要領で攻守が入れ替わる。
今度は、漣樹の殴打が桃眞の頬を左右に弾く。
頬が腫れ、唇に血が滲む漣樹。
壇は、視線の先で喧嘩をする二人に向かって「アンタらッ!! 何やってんのさッ!!」と叫び、駆け寄るが漣樹に突き飛ばされる。
そのまま容赦なく、漣樹の拳が両腕をクロスして防御をする桃眞を襲う。
漣樹の振りかぶった拳を交わし、腕を引っ張りながら再び攻守が入れ替わった。
「殺すッ……殺すッ……テメェ絶対にぶっ殺すッ!!」
そう叫び、桃眞が大きく拳を振りかぶった瞬間、体が後方に吹飛ぶ。
地面を後方に転がる桃眞。
右手を突き出しながら起き上がる漣樹。
怒りに顔を歪める漣樹が「調子に乗んなよ……このクソ雑魚が」と言い、袖で唇の血を拭う。
どうやら、桃眞は漣樹の法力により吹き飛ばされたようだ。
桃眞はゆっくりと立ち上がると、漣樹を睨みつけ突進する。が、再び漣樹が突き出した拳から放たれる法力によって動きが止まる。
足が進まない。
腹の底の何かを掴まれているかの様な感覚を感じる。
そのまま漣樹が腕を横に振ると、同じ方向に桃眞の体が吹飛び、陰陽寮の外壁を突き破った。
表面の板に大きな穴が開く。
粉砕した木材の破片がイヌヒコに掛からないよう、壇が体で覆いかぶさる。
夕食を取る生徒達が一瞬の出来事に驚き、女子達が悲鳴を上げる。
ナイフとフォークを握りしめていた成春は、目の前の料理が吹き飛ばされ唖然としていた。
「し……小生の……ローストビーフがぁ……」
一時、騒然とする食堂内。
宙を優雅に舞っていた式神達でさえ、急な出来事に慄く。
テーブルとイスをなぎ倒し床を滑る桃眞。
必死に起き上がろうとするが、掴んだ椅子が崩れ、その弾みでバランスを崩し再び尻餅をつく。
食堂の正面入り口から姿を現した漣樹が、胸の間で拳を組みボキボキと鳴らした。
「貴様、誰に喧嘩売ってんのか分かってんのかコラ」
「何でイヌヒコを殺したッ……何で毒を盛ったんだ……」
怒りと悲しみに破顔させる桃眞に対し「その顔が見たかったからさ」と、卑しい笑みを見せつける。
「なんだとッ……」
「大切な者を奪われる気持ちをよぉ、お前にも味わって欲しかったのさ」
「大切な者……」と、桃眞が首を傾げる。
「忘れたとは言わさんぞ。お前が黒い鬼なんかに襲われたせいで……お前がさっさと殺されなかったせいで。俺の尊敬する兄貴が犠牲となったんだ」
漣樹もまた、そう言いながら、憎悪と悲しみに顔が歪む。
目に涙を浮かべる。
二人の会話を交互に見る食堂内の生徒達。
「だからイヌヒコを殺したのか……」
「あぁ。そうだ……」
「だからってイヌヒコは何も関係ねぇだろッ」
桃眞は立ち上がると、再び漣樹に向かって走り出した。
血まみれのイヌヒコを抱えて回廊を走る壇。
その手が真っ赤に染まる。が、今の壇にはそんな事など微塵も考えていなかった。
保健室の霧島 流海なら、もしかしたらイヌヒコを救えるかも知れない。
その一心で廊下を突き進む。
すれ違う、男子生徒がゾッとした表情を向け、女子生徒が驚き上擦った声をあげる。
壇が保健室に入ると、丁度、私服に着替え終わり、ブランド物のショルダーバックを肩に掛けた霧島が居た。
霧島は、壇が両腕で抱えるイヌヒコの姿をみると、何も聞かずに状況を悟る。
「そこのベッドに寝かせて」と壇に指示し、霧島はバッグを床に投げ捨てた。
図書寮の読書スペースで試験勉強をしている慎之介。
今、食堂で起きている事件を知る由もない。
コーヒーをすすると、ホッと息を吐く。
「落ち着く……」
そう言いながら頭上に浮く灯り玉を見つめる。
そこに櫻子の笑顔を思い浮かべていた。
食堂内にまたも女子達の悲鳴が木霊する。
食卓がひっくり返り、食器が散乱し割れる音や、甲高い金属音が鳴り響く。
桃眞の体が宙を舞い、壁にぶつかる。
漣樹は傍にあった食器ケースに片手を入れ、ナイフを大量に鷲掴むと、懐から呪符を取り出した。
呪符を唇に当てながら術を口ずさむと、ナイフと共に桃眞に目掛け投げ飛ばした。
手から離れた瞬間、呪符が発火し、ナイフを包み込む。
燃える刃となった食器は凶器へと変貌し、空を裂く。
桃眞は迫りくるナイフに対し、テーブルを倒し壁を作った。
ドスドスドスッと音を立て、テーブルに突き刺さる。
漣樹が口を開く。
「お前も、仮にも陰陽師を目指す者だろ。だったら術で掛かってこいよ」と卑しい笑みを見せる。
「術……」
桃眞は、まだ実践で術を使った戦いは経験してない。
今の自分が一体、どこまで出来るのか。はたまた、まだ何も出来ないのか。
そんな思いから言葉に覇気が無くなる。
式神ファイトクラブで漣樹と式神バトルをした際も、全力で召喚した式神が何の役にも立たない毛虫だった。
あれから自分の力が大きく飛躍したとも思えない。
「そっか。確かお前は法力が低すぎて漏刻学生だったんだよな。つまり陰陽師にもなれない出来損ない集団の一員って訳だ」と下卑た笑い声をあげる。
その言葉に食堂内にいた、漏刻学生達が漣樹を睨む。
「何だよ。本当の事を言ったまでだろ」
漣樹は、卑しい笑みで周りの漏刻学生に目をやり、そして桃眞を睨みつけた。
「さぁ、どうした……来るのか? 降参か?」と煽る。
そして、続けて言葉を続けた。
「お前も、あのクズ犬のようにここで野垂れ死ぬんだな」
その言葉に、またも桃眞がキレる。
「この……ゲス野郎ッ」
桃眞は、怒りで我を忘れ指先を前に突き出した。
自分にどれだけの法力があるかなど関係ない。本能のままに、怒りのままに衝動に身を任せた。
指先を縦横に動かす。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」
術を唱え九字切りを発動。
格子状の気が見えない刃となり、漣樹を襲う。
漣樹にとって予想外の桃眞の反撃に、鳩が豆鉄砲を食ったような表情をした。
慌てて、両手を突き出し、円を描く。
すると、漣樹の前に光の円陣が現れた。
中央に五芒星を描くそれは防御結界である。
九字切りの刃は空中分解し、縦横無尽に漣樹に斬り掛かるが、結界に突き刺さり消え去った。
その衝撃で、ガラスが粉砕した音と共に、結界が消滅する。
「お、お前。どこで九字切りを覚えたんだ!?」
慌て、そして、たじろぐ漣樹。
九字切りは、桃眞が平安時代に飛んだ際に、安倍晴明に習った術である。
――『良いか桃眞。先ほど教えた九字切りの法には、手で作った手刀で素早く九字を切る『破邪の法』、そして両手で一つの印を結ぶ『剣印の法』がある。破邪の法の方が素早く切れる分、力も弱いが、剣印の法は両手を使う分強力だ。状況に応じて使い分けろ』
――『この九字切りは、主に浄化や守護術、退魔術として用いる事が一般的だが、時には攻撃手段としても使う事ができる』
雑念が消えた事で、桃眞の中に眠っていた記憶が蘇ったようだ。
漣樹を睨み、再び九字切りの所作に入る桃眞。
すると、急に目を閉じ、頷き出した漣樹。
指を止める桃眞。
「よし……分かった。お前がそう来るなら、もう遠慮はしなくて良い訳だ。これで力が出せる」
意味深な言葉を述べると、ゆっくりと目を開く。
「俺の土俵に上がったんだ。文句言うなよ」と言う漣樹に、「ヤレるもんならヤッて見ろよ」と桃眞が挑発した。
桃眞はもう一度、九字切りを使おうと指先を突き出す。
その瞬間、背後の襟もとを掴まれた桃眞。
振り返ると、漣樹が居た。
「えっ……」
正面を向くと、結界の中に自分を掴む漣樹が見える。
「結界を使った応用術さ」
「応用術……?」
その言葉の意味を理解する前に、一気に後方に引き釣り込まれる。
結界を抜けると、食堂の天井に開いたサークルから落下する桃眞。
「わぁッ……」
地上で落下する桃眞を待っている漣樹は、指先で小さな結界を描くと拳に貼り付ける。
そして、落下の衝撃を加味しながら、結界が張り付いた拳を桃眞の腹にめり込ませた。
結界の反発する力を利用した拳が、桃眞の内臓を痛めつけ、吹飛ぶ体はまたも食堂の壁を突き破る。
回廊を飛び越え、中庭の白い玉砂利の上を三回バウンドした。
途轍もない衝撃に、一瞬、意識が飛んだ。
直後に内臓が苦痛に悶え、呼吸が止まる……。
蹲る桃眞。
「か、かはッ……」
中庭をゆっくりと歩いてくる漣樹がケタケタと笑う。
「おいおい、ちょっと本気を見せたら、もうこのザマかよ」
そこからは、もう喧嘩では無かった。
ただの一方的な虐待である。
幾度と無く、重い拳に跳ね飛ばされ、客間を突き破る。
後頭部を掴まれ、何度も顔を地面に叩きつけられた。
涙と血と砂利が混ざりあい、地面に赤黒いグラデーションを描く。
直後に、空から降る雨がそのグラデーションを滲ませる。
桃眞の白い狩衣も血と泥により、別のモノへとなり果てていた……。
生徒が、陰陽助である霞を引き連れてやってきた時には、もう桃眞はピクリとも動かなかった。
霞と話をしていた櫻子も、食堂での事件を聞き同時に駆け付けたが、目の前の光景に言葉を失う。
そして、直後に膝から崩れ落ち、口を手で押さえて悲鳴を上げる。
霞は、食堂の無残な光景に言葉を失い、いまだに、桃眞の顔を殴り続ける漣樹を見るや、法力で引き離した。
そして、漣樹を地面にねじ伏せる。
「何と言う事だ……」
霞がそう言った時、桃眞が震える足で、ゆっくりと立ち上がった。
その顔は、至る所が裂傷し流血し、腫れあがり、目は殆ど開いていない。
「い……ぬ……ひこ……」と掠れる声でその場を彷徨う。
正面玄関に居た成春が、ナイフとフォークを片手に「イヌヒコは、壇さんが保健室に連れて行ったナリ……」と告げると、桃眞はゆっくりと玄関を上がり、壁伝いに保健室へと向かった。
呼び止める霞の声も、今の桃眞の耳には届いていなかった。
保健室の扉を開くと、涙を流す壇の前で、必死な処置を続ける霧島の姿があった。
手は赤く染まり、着ていた衣服もイヌヒコの血が付く。
「イヌヒコッ、死んではダメッ。生きなさいッ!!」
霧島が叫ぶ。
もう、それしか霧島に残された手段は無かった。
生きていれば心霊治療での治癒が可能だが、死んでいる場合は力が通用しなくなる。
だが、魂がまだ完全に抜け切る前であれば、呼びかけに反応し息を吹き返す事が稀にあるのだ。
しかし、その可能性も目の前の状況からして可能性は厳しい。
霧島が……手を止めた。
俯き、唇を噛み締める。
自分の無力さに憤りを感じていた。
壇が霧島の腕を掴む。
「アンタは良くやったよ。イヌヒコを連れて来た時から、可能性なんて無かったのかも知れないんだからさ」
「何が悔しいって……。こんな力あってもさ、死んじゃったら無力なのよ……。無力なのッ……」と言い、涙を流す。
その時、桃眞の気配に気づき振り返った壇が、その腫れあがった顔を見て驚愕した。
「あ、アンタッ……何、その顔ッ!?」
その言葉も、今の桃眞の耳には届いていなかった。
「……先生……ありがとうございました……」
そう言うと、桃眞はイヌヒコを抱き上げると保健室を後にした。
雨の中、玄関の外に立ち尽くす桃眞。
雨に打たれ、桃眞とイヌヒコの血が洗い流される。
そのままじっとしていた。
そして、ゆっくりと歩きだすと、桃眞は陰陽寮の外に出るために、暗がりの中、あぜ道を下り朱色の鳥居を潜った。
最後の鳥居を潜る直前で歩みを止める。
鳥居を前にして、桃眞の肩が震え出した。
泣いている……。
ここなら誰にも聞かれる事もないと思ったのかも知れない。
雨音でさえ、桃眞のすすり泣く声を掻き消す事は出来なかった。
その時、皇が現れた。
外から結界を通り、帰ってきたのだ。
「あら……」と目の前の光景に言葉を発する。
泣いている酷い顔の桃眞と、その腕の中で息絶えるイヌヒコの姿を見て歩み寄り、持っていた黒い傘の中に入れた。
「何があったのですか?」
相変わらずの優しい笑みを桃眞に投げかける。
桃眞はゆっくりと顔をあげ、皇の笑みを見ると一瞬、心が安堵した。
そして、更に大粒の涙を流し悲痛な声をあげた。
「ず、ズメラギさん……、俺……一人になってジまいました。……お、俺をッ……俺を、ヅヨグして下さい。もっとヅヨグなりだい」
そう言い、イヌヒコを抱えながら膝から崩れ落ちる桃眞。
皇も腰を下ろすと、桃眞に優しい口調で諭した。
「イヌヒコ君の事は、皆でちゃんと送り出してあげましょう。ですが、こんな所にいては、体が冷たくなります。さぁ、帰りますよ。陰陽寮に」
吉樹 秀儀の歩く図書寮講座その1
吉樹「どうもーどうもどうもー。今回から後書きの担当をさせて頂く、歩く図書寮こと、吉樹 秀儀だよーん」
桃眞「え、そうなの。前の陰陽師通信の方がよかったな」
吉樹「何を言うか、コンチキチン」
桃眞「……はい?」
吉樹「では、桃眞さん。今回のお話で登場した結界について、何か知ってる事はありますか」
桃眞「わかりません」
吉樹「イイねッ!! 相変わらずの潔さ」
「この陰陽寮は、結界術に優れていてね。ほら、建物が一階建てなのに、実際は何フロアもあるでしょ。あれも結界術を応用しててね。異空間の中に別の空間を作り、繋げているんだよ」
桃眞「…………異空間ってなんスカ」
吉樹「字のまま、異なった世界ってことです」
桃眞「…………つまり……アナザーワールド……的な感じの奴ですか」
吉樹「ナイスですねッ。そういう事です」
桃眞「てかさ、この陰陽寮って事は、他にもあるんすか?」
吉樹「はい、陰陽寮は全部で4つあるんですよ。それぞれ特色がありましてね。で我々の陰陽寮は結界術のスペシャリストってとこです」
桃眞「あんな技出されたら手も足も出んですよ。いつか仕返ししてやる」
吉樹「おっと、このまま話していると、本文の文字数を超えてしまいそうなので、今回はこの辺りでオサラバですね」
吉樹&桃眞「んじゃッ!!」




