第16話「イヌヒコの死。そして桃眞 VS 漣樹」その1
今朝も陰陽寮の厨房は鉄火場だった。
料理長である壇を初め六名のスタッフが、汗水流し朝食を作る。
壇の方針は――冷凍食品は使わない。
なので、全てがフレッシュな素材を存分に生かし、寮で生活する皆が健康である事を願い腕を振るうのだ。
その為、時間が無い朝は決まった『朝定食』か『モーニング』の二種類しか選べないのも無理はない。
朝食が終われば、大量の洗い物と、直ぐに昼食のランチプレートの準備に取り掛かる。
そして、ランチが終われば、ディナーバイキングのメニューの下ごしらえが始まるのだ。
一日中、フルスロットルである。
朝食を食べ終わった白い狩衣姿の桃眞は、厨房の裏口へと回ると、壇からイヌヒコの御飯が入った器を受け取った。
「壇さん、ありがとうございます」
「ゆっくり食べさせるんだよ」と返事をすると、壇は魚の切り身を次々と大きな網の上に並べ始める。
陰陽寮の玄関の脇にあるイヌヒコの小屋へと向かう。
「イヌヒコ」
…………
呼んでも出てこない。
桃眞は、もう一度イヌヒコの名前を呼んだ。
「イヌヒコッ……」
すると、板でできた小屋からゆっくりとイヌヒコが現れた。
だが、その姿は元気が無く、頭を垂れ、目蓋が下がり尻尾も垂れている。
誰が見ても、元気が無い事が分かるその姿に心配する桃眞。
「おい、イヌヒコ。どうしたんだよ。元気ないじゃんか」と言い、頭を撫でる。
ふと桃眞が横を見ると、スッと犬神が現れた。
青白く透き通った体の向こう側に、砂利道を突く鳩が見える。
じっと無言で桃眞を見つめる犬神。
その顔は何か言いたげである。
「どうしたんだ」と桃眞は問いかけたが、黙ったまま返事はしない。
「やっぱ喋んないのかよ。あの時は俺の事殺すって言っといてさ。いつになったら喋ってくれるんだろな」
そう言い、桃眞は陶器の器に盛られた壇お手製の朝食をイヌヒコの前に置いた。
…………食べない。
食欲が無いのだろうか……。
おからを鼻で突くが、食べようとせず、その場で蹲った。
やはり様子がおかしい。
「お前、本当にどうしちゃったんだ。病院行こうか?」
――「毒に侵されている」
その透き通った男の言葉に振り返ると、声の主は犬神だった。
「お前……喋ったのか……。って毒?」
「この犬の体内には、既に多量の毒が蓄積している」と犬神は抑揚のない言葉を返す。
「でも一体誰が……」
「さぁな」
イヌヒコに毒を盛る人物が居たとすれば誰なのか?
桃眞の中では壇は有り得ないと即答できる。あのイヌヒコに向ける愛情が嘘だとは思えない。
そう思っていると、煙草を咥えながら壇が勝手口から休憩に現れた。
イヌヒコの様子を見るなり、心配そうな表情で「やっぱり食欲ないのかい。もし良ければ明日にでも病院に連れてこうか」と火を付けながら提案する。
「壇さん。他にイヌヒコに食べ物をあげている人っていますか」と桃眞は訊ねた。
壇は、紫煙を吐きながらゆっくりと首を傾げ「たまに何人かの寮生がオヤツをあげているのは見た事があるけど、アタイが見た限りは変な物はあげていなかったけどねぇ」と答える。
その寮生達の中にイヌヒコに毒を盛っている犯人がいるのだろうか。
壇は厨房からかまぼこ板を持ってくると、ペンで「食べ物を与えないで下さい」と記し、犬小屋に釘で打ち付けた。
「とりあえずは、こうしておくから」と桃眞に告げる。
「すみません。ありがとう御座います」
そう言うと、桃眞はイヌヒコの頭を撫でて、一時間目の授業に向かった。
今日も吉樹先生は軽快なステップを刻む。ふわふわと灰色の狩衣の袖が宙を舞う。
そして相変わらず烏帽子は取り、畳の床に置いているようだ。
「では桃眞さん。先日教えた呪符を一つ完成させて下さい」
「…………はい………」と桃眞は格子窓から外を眺めボーッとしていた。
まだ、イヌヒコの事が気になっていたようだ。
吉樹は桃眞の視線の先を目を凝らし、丸いインテリ眼鏡を指で押し上げる。
「何か見えますか」
「見えないんです……」とボーッと答えた。
「何がですか」
「犯人……」
「犯人……? 探偵ごっこでもしてるのですか」
そこで我に返った桃眞は、イヌヒコの事を吉樹に相談し始めた。
………………。
「なるほど。誰かがイヌヒコ君に毒を盛っていると」
「犬神の言っている事が確かなら、誰かがイヌヒコに毒入りの何かを与えているかも知れないんです」
「では、犯人探し。やっちゃいましょーか」と腕をフリフリする吉樹。
「え、良いんですか」
授業中とは言え、イヌヒコの件の犯人探しを手伝うと言ってくれた吉樹に驚く。
「これも授業の一環です」
そう言うと吉樹はニコリと笑った。
イヌヒコの小屋の前に着いた二人。
「イヌヒコ」と桃眞が呼ぶとゆっくりと、元気のないイヌヒコが現れた。
すると、吉樹は真っ白な呪符と筆ペンを取り出す。
「今から、『呪眼符』を作成しましょう」
「何ですか。ジュガンフって」
訊ねる桃眞に、吉樹は『呪眼符』と紙に書いてみせた。
吉樹は慣れた手付きで、長方形の呪符に筆ペンを走らせる。
上部に呪眼符と記し、符の真ん中に『眼』の文字を象った紋様を記す。そして、その周りに呪術文字と記号をスラスラと記してゆく。
完成した呪符を桃眞に手渡した。
桃眞は、その呪符をスマートフォンのカメラアプリで撮影した。
「良いですか。前にも教えましたが、呪符を作成する際に大切なのは、まずどんな効果を宿したいのかを書き記し、その次にその効果を発揮する為の呪紋を記します。インプットとアウトプットです」
いつにも増して熱く説明をする吉樹。
「インプットとアウトプットねぇ」
「はい、で、周りに記してある呪術文字や記号が指令内容です。言わばデータと言う所でしょうか。つまり、データを術者の気と共にインプットし、呪紋を通じてアウトプットするのです」
自慢気に説く吉樹に対して、「なんかコンピューターみたいですね」と難しそうな表情で桃眞が呟く。
「まぁ、原理は同じです。と言うか、世の中の理に通じる所はみな同じなのですよ」
そう言うと、吉樹は桃眞の手から呪符を取ると、指先を唇に添えながら呪術を口ずさみ気を送り込む。
そして、少し離れた玄関の軒先に貼り付けた。
その時、黒い狩衣を纏う皇が傍を通り、話しかけてきた。烏帽子も被り正装である。
「あら、それは呪眼符ですか」
振り返る桃眞と吉樹。
「これはこれは、浩美ッチ」と吉樹が返事をした。
桃眞は、軽く会釈をすると「皇さん、この前は、俺の為に迷惑かけたみたいで……」と憑侵除霊の一件で、皇が陰陽頭から注意を受けた事について詫びる。
皇は、ニコリと笑顔を見せ「いえいえ、私も反省すべき所もありましたし」と答える。
「でも、真理の件だからこそ、俺を連れてってくれたんでしょ。それはマジで感謝してます」
続けて、吉樹が口を開く。
「浩美ッチ。珍しく外出ですか」
「そんな所です」
そう言うと、皇は結界の出口へと、朱色の鳥居が連なる道を下って行った。
皇を見送り、吉樹はもう一枚の呪符を取り出すと、また筆ペンを走らせる。
今度は、真ん中の漢字が『覗』以外が全て同じだった。
「これでワンセットです」と二枚目の呪符を桃眞に手渡した。
「つまり、貼り付けたのが目になって、この呪符で覗ける……つまり見る事ができると……」
「イイねッ。そう言う事です」と両手の指を突き出し、ステップを刻みだす。
「まるで監視カメラみたいですね」
その言葉に「ナイスですねッ」と言い、テンションが上がった吉樹が腰を振りながらディスコダンスを踊り始める。
「では、一端教室に戻りましょう」
それから一時間おきに、吉樹は呪符を覗き込んでは「変化なしですねぇ」と呟く。
今日のランチプレートは、マグロの唐揚げ定食だった。
「桃眞、さっきから何をずっと呪符を覗き込んでるの」と向かい側の席で食事を取る櫻子が訊ねる。淡いピンクの狩衣に、キラキラとしたラインストーンを付けた白い烏帽子を側に置いている。
最近の女子寮では、烏帽子をデコレーションする事が流行っているらしい。カラーリングやアクセサリーを付けるなど、それぞれの個性を表現する事ができる。
勿論、正装様に黒い標準の烏帽子があっての事だ。
櫻子の横では、慎之介がタブレットを覗き込みながら唐揚げを齧っている。
前と横を見て溜息をつく櫻子。
「アンタ達、食べる時くらい普通にできないの」と溜息をつく。
「そろそろ期末試験だろ」と慎之介は言うと、タブレットの画面を指先でスライドした。
見慣れない漢字がびっしりと表示されている。
「で、桃眞は」と櫻子が聞くと「犯人探し」と答えながら、桃眞は味噌汁に口を付ける。ずるずると音が鳴った。
「犯人探しって何よ」
「イヌヒコに毒を盛ったヤツを探し出すんだよ」とキレ気味に答える。
その言葉に驚く櫻子と慎之介。
「アンタそれマジで言ってんの」
箸を咥えながら櫻子が言った。
「マジ」
「犯人に目星はついてるのか」と慎之介が顔を上げた。
「だから、今、探してんの」
呪眼符を覗き込む桃眞に、「その呪符って何」と櫻子が訊ねる。
「あぁ、吉樹先生に習ったんだ。『呪眼符』をさ」と言うと、慎之介が「ちょ、おま。それ三年生が習う術だぞ。俺もまだ習ってないのに」と驚き、立ち上がる。
羨ましそうな顔をしている。
「知らねぇよ。そんな事」と言い、桃眞は呪眼符をテーブルに置くと、から揚げを頬張った。
慎之介は呪眼符を取ると、タブレットのカメラアプリで撮影し、呪符を覗き込んだ。
「おぉ、イヌヒコが見えるぞ。凄いなコレ」と言い、続けて「しかし、一体イヌヒコに毒なんて盛る奴は誰なんだ。お前によっぽど恨みを抱いている人間か?」と訊ねる。
すると、ピンと来たのか、櫻子が人差し指を突き出し「きっと、アイツじゃない。寺沢さん」と名を挙げた。
「まぁ、確かにお前を恨んでるとしたら、アイツしかいないわな」
慎之介はそう言うと、呪符を桃眞に返した。
だが、腑に落ちない様子で桃眞は首を傾げる。
「アイツが、わざわざそんな回りくどい事するかな。やるなら直接やって来そうだけどな」
「何にせよ、手も足も出せないイヌヒコに酷い事するなんて最低よね。人間のクズよ」と言い、憎しみを込めてから揚げを嚙みちぎる。
櫻子が昼食を食べ終わり、お茶を飲み干す。
ガラスのコップをトレーに置くと、桃眞に訊ねた。
「イヌヒコはどうするの。病院に連れて行くの」
「うん。明日、壇さんが買い出しの時に連れてってくれるってさ」
「そっか良かった」と胸を撫でおろす。
すると、慌てて立ち上がった慎之介が「悪りぃ、午後の授業少し早いんだ。先に行くわ」と言い、席を離れた。
見送る二人。
「そう言えば、桃眞は、もう首飾りは付けないの」と櫻子が麦茶を飲みながら訊ねる。
「うん。まあ、今はね。あれ付けてると、ここじゃ不便だしさ」
そう言うと、再び呪眼符を覗き込んだ。
「そっか」
そう言うと、櫻子は、桃眞の顔をじっと眺め続けた。
呪眼符を覗き込んでいるので、バレる心配もない。
櫻子は、そんな桃眞の姿をスマートフォンのカメラアプリでパシャリと撮影し、ニンマリとした。
鉛色の空が次第に暗くなってゆく。
朱色の鳥居に背を預け、一人、森の中で佇む皇がいた。
ここは陰陽寮のすぐ外だ。
空を見上げながら、どこへともなく、相変わらずの笑みを投げかける。
「雨が多くなる季節ですね」と呟く。
次第に強くなる生暖かい風が、森の木々を揺らし、ザァザァと葉音が辺りを包み込んだ。
全ての授業が終わり、食堂に向かう前に桃眞は、男子寮で着替えようとしていた。
一年生の部屋へ入り、自分の名前が書かれた和箪笥に向かう。
大きな扉を開け、中に入っていた消臭剤を烏帽子に振ると、中に閉まった。
狩衣の首元のホックに手を伸ばす前に、何気に呪眼符を覗き込む。
すると、イヌヒコの前に一人の寮生がしゃがみ込んでいた。
「ん?」と言い、目を凝らす。
どうやら、常にマスクを付けている女子寮生だ。
小屋に掲げられているかまぼこ板を目にし、手に持っていたパンを引っ込めた。
そして立ち去る。
そして、直ぐに一人の男子寮生が近づく。
――寺沢 漣樹だ。
紺色の狩衣を纏っている。
息を飲む桃眞。
櫻子の漣樹が犯人かも知れないと言う言葉が脳裏に蘇るが、まだ半信半疑と言ったところだ。
漣樹なのか……漣樹でないのか……。
呪符を持つ手に力が入る。
漣樹は、辺りをチラチラと確認し、イヌヒコに近づく。
そして、かまぼこ板の警告内容を確認した。
が、持っていた袋から何かを取り出す。
どうやらグリルチキンの様だ。
イヌヒコの口元に近づけるがイヌヒコは食べようとしない。
むしろ嫌がっているように見える。
「アイツ……何しようとしてんだ……やっぱりアイツなのか……」
嫌がるイヌヒコが牙を向き唸る。
イヌヒコの頭を叩く漣樹。
その光景を目の当たりにし、桃眞は男子寮を飛び出した。
「あの野郎ッ……やっぱりッ」
走りながら、呪符を覗き込む。
すると、イヌヒコは無理やり口にチキンを押し込もうとした漣樹の手に嚙みついた。
その瞬間、鋭い閃光が発生し、イヌヒコの悲鳴が鳴り響いた。
閃光が収まると、地面に横たわるイヌヒコが見える……。
立ち止まる桃眞……。
呪眼符をゆっくり降ろすと、目の前に全身が裂傷で血に染まるイヌヒコが……既に絶命していた……。
イヌヒコの姿から、漣樹の顔を見た桃眞。
一瞬、動揺したかの様な表情を浮かべていたが、桃眞の悲壮感が滲み出る様を見るなり、卑しい笑みを浮かべた。
フラフラと、イヌヒコに近づく。
何が起きたのか? 思考が停止し、状況整理がつかない。
痛々しい体を触るが、イヌヒコはピクリともしない。
「イヌヒコ……。イヌヒコ……」
返事は無い。
「おい……イヌヒコってば。起きろよ……」
………………。
桃眞が俯きながら静かに立ち上がる。
「ッ……テメェッ……」と腹の底から湧き上がる怒りを感じながら、声を絞り出す桃眞。
そして、睨みつける。
「テメェッ……ぶっ殺すッ」
そう叫ぶと、完全に頭に血が上った桃眞は拳を握りしめ、漣樹に殴りかかった。




