第2話「俺も陰陽師になれますか?」その1
桃眞の目の前で三人の男が断末魔をあげながら、崩れ落ちる。
背中に無数の穴を開け、流血するその光景を目の当たりにし、気が動転した桃眞の意識がそこで途絶えた。
…………………………。
「……か!」
「……い……ぶか!」
意識の彼方から男の声が聞こえる。
「大丈夫かッ!?」
その声で、ようやく目を開いた桃眞。
視界がグルグルと回る。
気が付くと、目の前には紺色のスーツを着た男と警察官が数人。
振り返ると、家の前には赤色灯を点けたパトカーが数台停まっていた。
「あ、え……」と言いながら辺りを見回す桃眞。
化け物は既に居ない。
そして、化け物と戦っていた男達の姿も、そこには存在していなかったかの如く綺麗さっぱりに消えていた。
残っているのは、無残にも破壊された自宅と、リビングの向こう側では残酷な光景が、これまでの桃眞の記憶が夢ではない事を物語っている。
野次馬を掻き分ける警察官の間を、けたたましいサイレンと共に現れる救急車。
桃眞は、状況が掴めないまま救急隊員が持つ担架に乗せられ病院へと運ばれた…………。
それから数日が過ぎた。
鉛色の空の下、両親の墓前に手を合わせる桃眞。
親戚も身寄りもいない桃眞は、病院から紹介された葬儀会社に相談しながらも、たった一人で両親の葬儀を行ったのだった。
足元でおすわりをしているイヌヒコの頭を撫でる。
「ごめんな。俺とお前だけになっちまったな……チッ」と青く内出血を起こしている唇の端を指で押さえる。
その傷を摩りながら、警察署で真理の父親に殴られた出来事を思い出す。
母親は泣き叫び桃眞を責め立てた。
やり場のない悲しみと怒りをぶつけるとすれば、一緒に居ながらも真理を守ってやれなかった桃眞に向けるしか無かったのだろう。
そして、桃眞自身もその責任は痛感していた。
だから、真理の父親の拳を素直に受け入れた結果、唇の端が傷むのだ。
あの事件の翌日から、多くのマスコミが森の前から取材を行い、桃眞の自宅前にも押し寄せた。
まだ癒えぬ事を知らない心の傷に、向き合う事を許さない程の報道の圧力を感じ、別の意味での恐怖を桃眞は感じる。
その原因は、桃眞が付いた数ある嘘の中でも心当たりが一つあるのだ。
誰が友達と両親を殺したのか?
――鉤爪の様な凶器を持つ見知らぬ男。
そう答えるしかなかったのだ。
だれが、あの化け物の存在を信じるだろうか。
それまでの桃眞ですら、信じずに鼻で笑うと確信している。
警察が町内を巡回し、マスコミが闊歩するその光景は、異様であった。
その夜も桃眞は、煌々と照明が点いている寝室で、横になっていた。金属バットの位置を確認してから目を瞑る。
…………………………。
しばらくして目を開いた。
「腹へった」
食欲は辛うじて残っている。
だが、あれからずっと、桃眞はリビングルームの扉を開けてはいない。両親が殺された時の残像が脳裏に蘇ってしまうからだ。
そして、湧き上がる罪悪感から、その現実からまだ目を背けてしまう。
そんな思いが、扉のノブを固く錆び付かせていた。
この扉を開ける事ができるのは、まだ暫くかかるのだと、桃眞は思っている。
時間が解決してくれるか、それとも何かきっかけが必要なのかは、まだ分からない。
それ故、食事はまともにとってはいない。自室にあったスナック菓子を貪ったり、少ない資金をもとにコンビニで弁当やパンを食べていたが、成長期の桃眞には十分に腹を満たすには至らなかった。
どうやら、両親は生命保険を掛けていたらしく、受取人は桃眞だと知らされていた。
でも今は、その保険金に手を掛ける気にもならない。
そして、桃眞はこの落ち着かない状況と空腹に耐え兼ね、外に出る事にしたのだった。
階段を降り、玄関までの廊下を歩く。
リビングルームの扉を尻目に、スニーカーを履き、庭へと出る。紅い薔薇が瑞々しく咲き誇っている。まるで先日流れた血を吸って、更に元気になったかのようだ。
そう考えると、不思議と憎らしく思える。そんな気持ちにさせるほどに、赤々としていた。
桃眞は、そんな薔薇たちに不快感を抱きながら、イヌヒコのリードを掴み、自宅を後にした。
間もなく日付が変わる。
そんな夜に、上下黒いジャージ姿で右手に金属バット、左手に銀髪の雑種犬。
警察はもとい、一般人でさえ、その姿は異様かもしれない。
三十分程歩くと、繁華街へと出てきた。
この辺りは、深夜でも営業している店も多く、日付が変わったというのに、人通りは絶えない。煌めくネオンと、街に鳴り響くアップテンポな音楽が、眠る事を知らないかのようだ。
待ちゆく人や、呼び込みをしている飲み屋の店員が、桃眞の歩く姿を訝し気に見つめていた。
今の桃眞には、こういった賑やかな空間の方が、居心地がいいと感じた。
まず、これだけ人がいれば、鬼も容易に近づけないはずだ。一種の安心感さえ感じていたのだ。
ネオン看板を見上げながら、桃眞は歩みを止めず、だが、目的地もなく進み続けた。
さらに歩いていると、ふと、一軒のラーメン屋の前で足を止めた。
黒い瓦屋根の下の、大きな看板に『幻のしょうゆラーメン』と書かれている。
ガラスの自動ドアの先では、カウンターテーブルに座るホスト風の男が、無我夢中で、つるりと弾力がありそうな麺をすすっている。
店先の換気扇から漂う麺と出汁の香が、桃眞の鼻腔に突き刺さり、唾液腺が爆発した。
生唾をゴクリと飲み込む。
おもむろに、長財布を尻ポケットから取り出し、残金を確認する。
紙幣は無い。
小銭入れを人差し指で搔き回す。
………………563円…………
そして、目の前のメニューを確認する。
一番安くても『890円』だ。
足らない。
「あと、こんだけしかないのか。どうすっかなー」と現実を受け入れた。
ふと、イヌヒコを見た。目が合う。
「お前も腹減ってるよな。ドックフードも無くなったしな」と声を掛けると、イヌヒコは伏し目がちに、クゥーンと鳴いた。
桃眞は踵を返すと、再び歩き出した。
「なにが、幻のしょうゆラーメンだよ、存在してないから幻だろ。売ってる時点で幻じゃねぇじゃん」と自分を諦めさせるかの様に、皮肉を口にした。後ろ髪を引かれながら……。




