第13話「負けられない戦い」その1
皇が法力を込めた水晶の刀身が、蒼白い光を帯び、刻まれた陰陽の文字が青く濃く浮かび上がる。
脚を開き、地面を踏み締め、腰を捻り、次の一撃への溜めを作った。
眼前の無数の思念鬼を、その細い目で睨み付ける。
そして、その目が大きく見開いた時、軋む体が一気に解き放たれた。
空を裂く刃は、扇状の鋭利な真空波を発生させ、長く続く警察署の廊下を寸断した。
数十体の警官達の腹部が真っ二つになり、空洞の陶器が木っ端微塵になるかの如く飛散する。
床には、血塗れの警官の衣類が散らばり、その周りには転がる眼球と粉々になった白い粉末が沈積していた。
後方のリーパーの群れを皇の一撃が一掃したのも束の間、再び無数の扉が開き、血塗れのリーパーが現れる。
これではキリがない……。
桃眞の前方には、同じ刀を持った飛葉と山那。
両者が、走る桃眞の速度に合わせる様に、数歩前で並走し、迫り来るリーパーを斬り伏せる。
次の部屋への心門を探す桃眞だが、延々と続く細長い廊下に見える無数の扉から、正解を見抜くのは不可能だった。
このまま走り続けていては時期に体力と時間が尽きてしまう。
桃眞は意を決して、右側の目に付いた扉を開けた。
皇と、飛葉、山那も桃眞に続く。
扉を潜った先は、また無限に続く廊下と、溢れかえるリーパーの群れだった。
だが、何かがおかしい。
気付くと、天地が逆になっている。
桃眞達だけが天井に足を付け、リーパー達は床に立っている。
天井……いや、頭上の床には、先ほど皇達の斬撃によって粉砕されたリーパー達の亡骸が見える。どうやら、同じ通路に戻ってきた事は確かだ。
ただ、自分達にとってはそれが天地逆となっていた。
またも目の前に砂嵐の様なノイズが走る。
「今度は何ですかッ」
桃眞がそう叫んだ時、足首を何かに掴まれた。
視線を足元に向けると、天井から白い陶器の手が現れ桃眞の足首を掴んでいた。
まるで水面から手が出ているかの様に、その腕の周りの天井がゆらゆらと波打つ。
「……えっ」と事態が飲み込めない桃眞。
足元から、ヌゥっと顔を出すリーパーの眼球が桃眞を捉え、その無機質な表情が次第に笑みを湛え始めた。
「しまったッ」
飛葉がそう叫んだ瞬間、桃眞は一気に地面の中に引き摺り込まれた。
暗黒の液体の中を下へ下へと引っ張られる。
桃眞は、恐怖から目も開けれずに呼吸を止め続けた。
いったいいつまで続くのか?
このまま呼吸が止まっても尚、深淵の先へと沈んでいくのだろうか。そんな不安が脳裏をよぎる。
桃眞の肺が限界を感じ始めた時、全身に伝わっていた液体の感覚が無くなり、どこかの空間へと辿り着いた。
冷たい床に横たわっているのだと置かれた状況を察知し、慌てて呼吸を再開しながら恐る恐る目を開ける……。
薄暗く空気の重い部屋の中心に、スチール製の寝台があり、その上に大きな白い布を被せられた遺体と思しきモノがある。恐らく、白い布の下には真理が眠っているのだろうか。
ここは警察署内の遺体安置室なのだと桃眞は察した。
寝台の向こう側には、灰の上に線香が立てられ、ゆっくりと寂しそうに煙が舞う……。
――『05:30:33』
「もう時間があまり無いな。てか、皇さんは? 飛葉さんや山那さんは……」
辺りに視線を巡らせても誰の気配も感じない。
どうやら、はぐれてしまった様だ。
一人になった途端に、不安と恐怖が押し寄せ、足がすくむ。
今、リーパーが襲って来ようモノなら、どう立ち向かって良いかも分からない。
ダイブの前、そして直後にあれ程強く心に誓っていた使命感と勇気は、案外脆かったのだと気付かされた。だが決して、逃げ出したいとは思わなかった。
自分にできるのなら、何としてでも制限時間内に二人ともを救いたい。
しかし、今はその術が分からない。
皇はいったい、自分に何を期待しているのだろうか?
そんな纏まりの付かない思考が桃眞の脳内を駆け巡る。
その時、寝台で横たわっていた何かが桃眞の目の前で起き上がる。
上半身を起こした事で布が落ちる……。
やはり、現れたのは真理だった。
だが、その姿に言葉を失う桃眞。
真理の顔から三本の黒い触手が生えている。
それは、あの黒い鬼の鉤爪に貫かれた目や口、頬からだ。
触手の先は、あの鉤爪のようだ。
真理の苦痛に歪む表情と呻き声が安置室に木霊する。
桃眞は、目の前の真理に問いかけた。
「おい、真理ッ……。俺だッ、桃眞だ」
その声に真理が反応した。
「と……ト、トおマ……」と、ノイズがかった声を発した。
目から蠢く触手がカタツムリの角のように動き、桃眞の存在を察知しようとする。
「俺だよ。ずっとお前に謝りたかったんだ」
「わタしに……。ト、トトトト……とオまが……あ、アアアア、あヤまル……」
真理の足が冷たい地面に着地し、寝台の横に立つ。
「な、ナゼあやママる……? ド、ドドドどコデ……」
壊れたオーディオプレーヤーの様に何度も同じ言葉をリピートしながら喋る真理。
その時、一瞬、桃眞は何か違和感を感じた。
直後にソレは、自分の中の直感だと確信する。
――目の前の真理は本体じゃない。と言う事。
ここが最深部なら、真理の母親も居なくてはならない。つまりは、まだ部屋がある事を意味している。
そしてこの警察署内で、真理や母親の思念が滞っているとすれば、この遺体安置室しかない。
すなわち、目の前の真理の姿をしている存在こそが……心門なのだ。
桃眞は意を決して、目の前の真理の手首を掴んだ。
………………
………………
赤みを帯びた満月の光が、生い茂る木々の間をすり抜け、桃眞の顔を照らす。
その月には見覚えがある。
全てが終わり、そして全てが始まったあの場所。あの森。
異形の存在……黒い鬼によって、真理と翔太が惨殺された場所だ。
残りの時間を確認した。
――『03:31:02』
スマートウォッチから視線を前に向けると、視線の先に、蠢く大きな塊が見えた。
月の光に照らされるソレを見た時、桃眞はそれこそが本体であり、ここが最深部なのだと確信した。
苦悶の表情を浮かべる真理の母親の顔に、真理の顔がへばり付いている。真理の口や目から伸びる触手の先端が細い網目状となり、母親の頭部と一体となり、また一糸まとわぬ体は融合し捻じ曲がり、四本の腕、四本の脚がちぐはぐに生えている。
それはもはや人の姿ではない。
おぞましい、異形の魔物だ。
「何なんだよ……何なんだよコレはッ!?」
策など何もない。
ただ、説得するにしても声が届く場所まで近づく必要がある。
その思いで桃眞は湿った落ち葉の上を走り出した。
残りの制限時間に焦る気持ちが恐怖心を掻き消す。
その時、桃眞を先に進ますまいと落ち葉の中から無数の思念鬼が現れた。
苦悶の表情を浮かべる真理と母親の顔を模した泥人形だ。
「邪魔だ、どォォけぇッ!!」
その瞬間、迷いが吹っ切れた。
目の前の小物相手に時間を消費する訳にはいかない。
(俺にも力が……力が欲しいッ)
桃眞は、そう強く心の中で念じた。
その時、右手の中に硬い塊を感じた。それは皇達が持っていた水晶の刀、そして左手の中には呪符が巻かれた銃が現れた。
理由など考える余地もない。
桃眞は一心不乱に刀を振り、前方のリーパーを斬り伏せる。泥人形は木っ端微塵に消え去った。




