第11話「成春の狂気。そして迫り来る傷跡」その1
図書寮から一人出てきた桃眞。
廊下の障子窓から見える空は、暗い灰色に染まっている。
桃眞は、図書寮でタイムトラベルについて調べようとしたが、目星い情報が得られなかった。
出てきたのは、外界に存在する映画やドラマの情報ばかりだった為、諦めて帰ってきたのだ。
三階の廊下から下の階に続く長い階段を下りる。
桃眞の一歩先を進む犬神。青白く半透明な為、階段が透き通って見える。
「まだ、俺の事、殺したいって思ってんの」と声を掛けるが、犬神は聞こえていないかの様に歩を止めない。
「悪気があった訳じゃないんだって。普通、あんな光景を見たら助けようとするだろうよ」
そう言った時、犬神は歩みを止め、顔だけ振り返った。そのまま沈黙が続く。
「……何だよ……」
桃眞がそう言うと、犬神はまた前を向き、階段を下りる。
その態度に苛立ち、溜息を吐く桃眞。
「喋れるなら、何か言えよ」
一階に降り、回廊を歩いていると、聞き覚えのある笑い声が桃眞の耳に入ってきた。
「おひょひょひょ……おひょひょひょひょ……」
桃眞の脳裏に全裸の安倍晴明の姿が浮かんだ。大皿で股間を隠し、鼻の下を伸ばしているあの情けない光景だ。
「この個性的なキモ笑いは……安倍晴明……?」と訝しげな顔で、恐る恐るその声がする方へと歩みを進める。
回廊から女子寮との通路の間にある、十字路を曲がる。
「おひょひょひょ……あひょ……」
謎の笑い声の主がいる場所から二十メートル程離れた廊下に、小さな何かが動いていた。
スマートフォンを担ぐセーラー服の女の子だ。
一畳程の大きさの畳を、両手で水平に持ち上げるかのようにスマホを持ち、スタスタと歩く。
顔の面積に対して異常に大きいキラキラの瞳。その微笑みの表情は微動だにせず、感情が読み取れない。さらには瞬きすらしない。
そう……これは女子高生のフィギュアだ。フィギュアがスマートフォンを担ぎ、歩いている。
足音を立てずに、そろり……そろりと半開きの戸の隙間から部屋に入った。
天井から足首辺りにまで伸びるカーテンの隙間を潜り抜ける。
フィギュアはパイプベッドの下に隠れると、スマートフォンを一旦、床に置き、ゆっくりと頭側から斜めに起こしていく。
スマートフォンの背面で怪しく光るカメラのレンズの先……。
艶かしく組まれた足が見える。
黒いミニスカートを履いた白衣の女が、ローラー付きの椅子に座っていた。
カメラはゆっくりと被写体の姿を上へと捉えていった。
じっくりと味わうかの如く……。
絶対領域を極める黒いミニスカートから、引き締まった白衣のウエスト。
ピッチリとした白衣が、その美しいボディーラインを更に強調させているのは言うまでもない。
スマートフォンを操作する腕に乗る二つの肉塊。
細い首、白い肌。
憂いを帯びた唇と、その斜め下に位置する小さなホクロ。
まだあどけなさの残る瞳。
アップに纏める亜麻色の艶やかな髪。
――霧島 流海。二十三歳。
保健室の先生である。去年に採用された陰陽寮のマドンナ的存在だ。
男子達からの羨望の眼差しは絶えることがない。
スカウトしたのは陰陽助の霞だった為、一部では下心で採用したのではないかと噂されていた。だが、どうやら、彼女には特殊な治癒の力があるそうだ。
陰陽の術ではないが、サイキック、もしくは霊能力の系統らしい。
「あひょひょひょ……」
桃眞が廊下の角を曲がると、柱の横でVRゴーグルを装着し、鼻の下を伸ばしている吉備洲 成春が居た。
中肉中背でスポーツができるようなタイプではない。見た目に気を遣うと言う意識はなく、いつも後頭部が寝癖でパッカーンと上下に開いている。紺色の狩衣に、美少女アニメのキャラクターが所々に刺繍されている。烏帽子は邪魔なのか板の床に転がっていた。
「何してんの」と桃眞が声を掛ける。
「今良い所なのでござるよ。邪魔をするなしん」と成春は声の主を確認せずにあしらう。
鼻息の荒い成春を、好奇の眼差しで見つめる桃眞。
そっと近づく……。
そして、成春の耳元で、息を吹き掛けた。
フゥー……。
「あぁんッ!?」
慌ててVRゴーグルを外す。
「貴様ッ……な、何をするナリッ。感じてしまったではないかッ」と憤慨する。
「何してんの」
「な、何でもないわい」とVRゴーグルを後ろに隠す。
「ふーん」と言い、その場から立ち去ろうとする桃眞だったが、何かを思い出すと、踵を返した。
「そう言えば……」と話し始めた桃眞に「何だ」と成春が問う。
「俺、アンタのソレのせいで酷い目に会ったんだよな。また覗きでもしてたんだろ」
目を細めながら、そう指摘する。
「失敬な。これは覗きではあるが、決してくだらない覗きではないでござるよ」と、動揺するどころか胸を張って言い切った。
「覗きに、くだらないとか、そうじゃないとかあるの?」と桃眞が問う。
成春は、袖から取り出した眼鏡を掛けた。
そして、「チッチッチ」と指を振る。
「そこに美学があるかどうかさ」
「美学……」と問いかける。
「エロは男を成長させるナリよ」とキメ顔で言い放つ成春。
「それって美学なの」と理解に苦しみ、首を傾げる。
「とにかく、小生の覗きには美学があるのさ。成長なくして立派な男にはなれないナリ」
「なんか、堂々と言ってるけど、それ犯罪だからね」と桃眞が冷静に指摘する。
「成長に危険は付き物なのだよ。だが小生はその一心で、フィギュアに式神を憑依させる事に成功したナリよ」
「まぁ、それは凄いけどさ」
「確か……君は……」と、思い出そうとしているのか指をクネクネさせる。
「阿形 桃眞っす」
「では桃眞氏。人間は何故二足歩行ができるようになったか存じておるか」と成春が問いかける。
「そんなの知らないよ」
「もともと人間は、四足歩行だったんだけどね。オスはメスに求愛する為に、沢山の木の実や果物をプレゼントしようとしたのさ。四足歩行では、渡せる数に限りがあるナリ。もっとプレゼントしてメスに気に入られたいと言う下心が、両手でモノを抱え、二足で歩くことを可能にしたと言われているナリよ」
その説得力のある話しに妙に納得した桃眞。
「なるほどね」
少しして急に黙り込み、難しい表情で考え込む桃眞。
「桃眞氏。どうされた」と心配そうな表情で声を掛ける成春。
桃眞は、神妙な面持ちでゆっくりと口を開いた。
「じゃあ……メスはどうして、二足歩行ができるようになったんだ?」
「………………」
成春が黙り込む。
その質問に対する答えは用意していなかった様だ。
またも沈黙が続いた。
「あ、あの、たぶん」
「たぶん?」
「……あれで御座るよ。もっとよこせッ……的な……」と、成春は両手でカモンと言わんばかりの身振り手振りをしてみせた。
「おい、足らねーぞ。もっとくれよーって?」と桃眞も、同じジェスチャーをした。
「そ、そうナリ。もっとぉ……もっとぉって……ヘイ、カモンッつって……」とカモンのジェスチャーを続ける。
「キャモンッ?」
「イエス、カモンッ」
「オッケー、カモーンッ」と二人が交互にカモンコールを続ける。
「オウッ、エクストラワンダフルカモンッ」
「ベイビーキャモンッ」
女子寮への廊下を歩く女子生徒が、二人のやり取りを横目に笑う。
話しの脈絡も分からない人間からすると、廊下で男子が向き合い、カモンコールの応酬を延々と続けているのだから無理もない。
正に奇っ怪な光景だ。
「カカカカモーンッ」と成春が顔を真っ赤にしながら叫んだ。
すると、急に冷静になり首を傾げた桃眞。
「うーん。やっぱりなんかシックリこないね」と言い、その場から立ち去る。
「だったら何故に付き合ったのじゃ……」と荒い息で呟く成春。
桃眞が見えなくなると慌ててVRゴーグルを再装着した。
「あぁぁーー……」と嘆く。
「術が解けてるぅな……り……」
成春はうなだれた。
食堂で夕飯を取った桃眞は、その足で皇の部屋の戸を叩いた。
「どうぞ」と言われ中に入る。
室内は、桃眞が思っていた以上に殺風景だった。
座卓と座椅子。和箪笥とその上の鏡。壁に掛かっている数着の狩衣。
押入れもあるが、恐らく布団一式と言った所だ。
見上げると、図書寮にもあった大きめの灯り球が浮いている。
そこは、幾ら鈍感な桃眞でさえ、そこに住む者の色が感じられないと思う程だった。
個性も趣味も見当たらない。
いや、無駄が無いと言う事が個性なのかも知れない。
そんな事を思っていると、「味気ない所でしょう」と皇が桃眞の心中を察したかのような言葉を掛ける。
「シンプルですね」と桃眞が言った。
「ミニマリストなんです」と、皇は笑顔で答える。感情が読み取れないその微動だにしない笑顔が、相変わらず不気味だと桃眞は思った。
「さて。桃眞さん。ようやく貴方に法力が宿っている答えを教えて頂けるのですね」
どうやら、皇には桃眞の行動が読めていたようだ。
桃眞は、真剣な表情でゆっくりと頷いた。
皇は座椅子から立ち上がると、押入れから座布団を取り出し、桃眞に手渡す。
座卓を挟み二人が向かい合う。
そして、桃眞はあの漏刻の間で起きた事から順に語り始めた。
………………
鏡の首飾りが皇の手からぶら下がる。
そして、それをまじまじと覗き込む皇。
「ほぉ。これは私も見た事がありませんね」と、興味津々な素振りで言った。
「自分の正体が分かった気がしましたけど。逆に謎が深まりました」
桃眞は、神妙な面持ちでそう言った。
首飾りを桃眞に返す。
「鬼喰いの力……浄鬼師。それが本当なら、もうこの日本には貴方ただ一人かも知れませんね」
「マジすか……」
「はい。鬼喰いの一族は、既に絶滅していると認定されていますから」
「皇さん……」と改まって桃眞が言った。
「はい」
「俺、どうしたら良いと思いますか。安倍晴明さんは首飾りは付けておいた方が良いって。でも陰陽師を目指すならコレが邪魔になると……」
膝の上で広げた手の中で、首飾りの鏡が鈍い光を放つ。
雷が鳴った。
雨の音が次第に強くなる。
「これを言うのは二回目ですが……。それは人に訊ねる事ですか? 肝心なのは、貴方がどうしたいかです」と表情を変えずに皇はそう言った。
今度は、その笑顔が優しく感じた。
「俺がどうしたいか……」
「良いですか桃眞さん。鬼喰いの力は確かに毒気によって鬼になりましょう。ですが、それはこの社会で生きている人間も同じです」
「同じ……」と桃眞はその言葉を繰り返した。
「残念ながら外界に出れば、今の世の中は、嫉妬、妬み、憎しみ、悲しみ……人の心を鬼に変える毒気で溢れています」
「確かに……」
「その結果、生ける鬼となり犯罪に手を染める人も居ますが、湧き上がる負の感情に抗おうとし、正しい事の為に天寿を全うしようとする者も、また居ます。つまり、貴方は今、自分の事を特別だと思っているかも知れませんが、何ら周りの人間と変わらないと言う事です」
その言葉は、今の桃眞にとっては、まさに目から鱗だった。
鬼喰いの力を持つ者としての不安、恐怖、責任と言う言葉に囚われていた事に気付いた。
だが、皇が言うとおり、それは他の人々と何ら変わりは無かったのだ。
桃眞は、今、それを聞いて、心の中の重りが軽くなった気がした。
「桃眞さん。この世の中は光と闇が表裏一体。それらは背中合わせに存在しています。人の心は、光にも闇にもなると言う事です。すなわち、闇である『陰』と光である『陽』を併せ持つ『陰陽師』は、そのバランスを正しい方向へ導く者の事を言うんです」
「なるほど」と頷く桃眞。
「その首飾りで法力を封印する事は、もしかすると正解なのかも知れません。ですが、貴方がそれを外す事を望むなら、例えどんな事があろうとも、闇に抗い、闇に負けず、光の心で立ち向かうのです。陰陽師である貴方がね」
皇は、そう言い、視線を辺りに巡らせる。
「それに、ここには、沢山の素晴らしい陰陽師がいます。一人で抱え込まずに、仲間を頼りなさい。貴方が闇に落ちそうになっても、仲間がいれば、きっと闇から救ってくれるでしょう……」
「はいッ」と、桃眞は力強く答えた。
「ですが、鬼喰いの力は、他言無用ですよ。貴方が珍しい存在だと言う事は間違いないのですから」と、皇は、人差指を自分の口に当てながら言った。
雨音が更に強くなる……。
「でッ。ですよ」と、皇の広角が更に上がった。
「な、なんですか……」
「会ったのでしょ。安倍晴明と。どんなお方でしたか? 私の言った通りのお方でしたか」と珍しく声にも張りがある。
桃眞は、心の中で櫻子にも同じ事を聞かれたなと思った。
「んー。凄かったですよ。皇さんの言った通りの方でした」
また、嘘を言ってしまった。と。桃眞は心の中で溜息をついた。
その時、激しい雨音を掻き消す程の、忙しない足音が回廊に響いた。




