第9話「放課後の式神ファイト倶楽部」その1
その知らせが入り、食べかけの塩鯖定食を返却口へと押し込むと、皇は食堂を飛び出した。
白い玉石が敷き詰められた中庭を囲む回廊を、スタスタと奥へと進む。
陰陽頭の部屋の戸を開いた。
八畳程の畳の間に、陰陽頭である陣内 羅門。紫の狩衣。
そして、陰陽助と呼ばれる、陰陽頭の補佐官が二人。
陣内の右に座る――霞 黄明。朱色の狩衣。
四十歳らしいが、童顔な為、三十歳半ばにも見える。歴代最年少で陰陽助に昇進したエリートだが、目立った功績は見当たらなく、その実力は未知数。
その為に、ただの胡麻擦りが上手い野心家と言う噂もある。
左に座る――朧谷 憲臣。濃い緑の狩衣。
歳は六十五歳の陣内よりも三つ下。
陰陽寮では、陣内の次に経歴が長い。寡黙で発する言葉は少ないが、朧谷の言葉には説得力がある。陰陽師や博士達からの信頼も厚く、次期陰陽頭の筆頭候補とも言われている。
その三人の視線の先に、土で汚れた白い狩衣を纏う阿形 桃眞が、畳の上に座していた。
不安げな表情をしている。
青い狩衣の皇が、桃眞の後方で正座をすると、陣内が口火を切った。
「この二日間……何処に」と訊ねる。
「………………」
桃眞は、返答に困った。正直に平安時代に行っていましたと伝えるべきか。
普通なら、鼻で笑われるような言い訳だ。学校でそう言えば笑いの一つも取れるかも知れない。
困る桃眞を余所に、霞が言葉で追い詰める。
「陰陽寮に属する者は、上官の許可がないまま外界に出れば、退学処分になると初めに聞いておろう」
「……はい」と桃眞が答える。
桃眞の視線の先には、博識のある者ばかり。
下手な嘘は簡単に見抜かれる上に、状況は更にややこしくなる可能性がある。
彼らから放たれる気迫が、桃眞の思いつく限りの選択肢を削ぎ落していく。
「あり得ない事ですけど……平安時代にいました」
桃眞は、正直に答えた。
不思議な事を扱う陰陽師の世界なら、この突拍子もない言葉も受け入れて貰えるかも知れない。
真面目に聞いてくれるかも知れない。桃眞はそう思い、本当の事を口にした。
そして、目の前の三人の顔色を伺う。
顔を見合わせる三人。
表情からは何も語られず、彼らの中で眼から眼へと語られるようだった。
「確かに、あり得ないですな。そんな言い訳が通じるとでも思っているのか」
霞の言葉を聞いて肩を落とした。
やはり、流石にタイムスリップとなると、陰陽師の範疇を超えているのだろう。
その時、ずっと黙っていた朧谷が口を開いた。
「阿形 桃眞」
「はい」
「その服の汚れ。爪に入り込んだ砂。それは何を物語っている?」
「あ、これは、平安京の十字路に犬が埋められてまして。それが、禁じられた陰陽の呪術とは知らずに、勝手に掘り起こして供養してあげたんです。安倍晴明さんには、そのせいで犬神に憑かれてるって言われましたけど、まだ害がないから放っておけと」
そう答えた瞬間、一同の空気が変わった。
またも、顔を見合わせる。
桃眞は首飾りの事や、自分が鬼喰いの力がある事を言おうとしたが、晴明に言われた言葉を思い出した。
――『その力を悪用しようとする者もいる。無暗に、首飾りの事や、力の事を口にしない方がよいだろう』
漏刻の間を、神妙な面持ちで跡にした桃眞。
あの後、どうやって過去に行ったのか、それが嘘か真実かを確かめる為、漏刻の間へとやってきたが、仮眠室の扉を開けようが、他の扉を開けようが、平安時代に飛ぶ事は無かった。
だが、その場で処分が下されず、協議の末と言う事になった。
漏刻の間の仮眠室で、難しい顔をしている四人。
「犬神の儀式の細かな仕様は教科書にも載っていない。それをどうして彼が言い当てたのだ……」と、霞が訝し気に口を開いた。
「図書寮の閲覧禁止の本にしか詳細は載っていない。わざわざ盗み見た……と言う事は考えにくいだろう」
顎を触りながらあらゆる可能性を思案する朧谷に対し、皇は弧を描く口を開いた。
「本当に時を超えた……。そう考える方が、合点がいきませんか?」
「いや、しかしだね……」と霞。
間髪を入れず、皇が言葉を続けた。
「ちなみに、この二日間で外界との結界を通ったのは、食料の買い出しに向かった壇と調理スタッフ5名、陰陽頭だけです。つまり、阿形 桃眞は、陰陽寮を出ていない。……と言う事になります」
それを聞いて、口にしかけた言葉を飲み込んだ霞。一呼吸置いてから、別の言葉を口にした。
「では、皇。お前は、奴が時を超えたという証拠があるのか? 奴の言葉を証明できるのか」
「皆様にも見えていたはずです。彼の側に座っていた犬。半妖半神の犬……。あれこそが、彼の言っている事が真実だと裏付ける事にもなりませんか? 犬神の儀式が禁止されている今となっては考えられない事です」
「だが、アレは真の犬神ではない。探せば現代にも存在している可能性はある。実に浅はかな考えだ」と、霞が皮肉交じりに反論した。
皇の言葉にやけに食って掛かる霞。
自分の立場を脅かす、目障りな存在だと思っているのかも知れない。
「本当にそうでしょうか? ここに来た時の彼には、憑いていませんでしたが。とにかく私は彼の退学には賛成致しかねます。私は……阿形 桃眞を信じます」と、皇は優しい笑顔で言った。
「何を考えている皇よ。法力も持たぬ小僧に何故そこまで肩入れをする」
そして、皇に歩み寄り、自分の顔をその端正な顔に近づける。
「陰陽頭がお前の申し出を受け入れた故、彼の入学をしぶしぶ許可したが、少々我が過ぎると私は思うがね。相変わらず心の内を悟らせん作り笑いをしおって……まるで蛇だな」鼻と鼻が紙一重の距離で、そう吐き捨てる。
「おい、霞。言葉が過ぎるぞ」と朧谷が叱咤した。
「私が蛇なら、貴方は狐ですか……それとも狸……」
表情を変えずそう言い返した皇に、「貴様ッ……なんたる無礼ッ」と顔を紅潮させる霞。
「やめんかッ!!」と陣内が激高した。
皇から離れ、口をつぐむ霞。
「霞、立場を弁えなさい。そして皇、上官に向かって無礼が過ぎる。反省しなさい」
「申し訳ございません」
皇が霞に陳謝した。
「阿形 桃眞の処分は、追って、私から各自に伝えよう」
陣内はそう言うと、漏刻の間を後にした。
続いて、三人も部屋を出る。
最後まで皇を睨んでいる霞を、朧谷は哀れだと言わんばかりの溜息と共に、見送った。
皇から、風呂に入る事を許可された桃眞は、男子寮の大浴場で体の汚れを落とし、紺の狩衣を纏った。
ちなみに、桃眞が来ている狩衣は、皇の古着だ。
金も、この世界での便りもない状況で、今の桃眞に陰陽師としての衣服や生活用具一式、勉強道具一式を揃えれる訳がない。
ずっと陰陽寮で忘れ物として残っていたモノや、善意で集められた寄付で、なんとか桃眞は寮生活をする事ができた。
寮内や、生活スペースには、電気が通っている。
桃眞は、ドライヤーで髪を乾かし、烏帽子を被った。
一階の男子寮から外に出ると、丁度、授業を終えた学生が戻ってきていた。
友達と談笑しながら戻ってくる者や、考え事をしながら歩く者。
その中に、緑の狩衣を纏う慎之介を見つけた桃眞が、一目散に駆け寄る。
「慎之介ぇぇッ」
「なんだお前か」と淡泊に答える。
「なんだよ冷たいなぁ」
「初日で嫌気がさして、尻尾巻いて逃げ帰ったかと思っていたが……」
そう言いながら、階段を上がる。桃眞も付いていく。
「いや、お前には、聞いて欲しい事が沢山あるんだよ」
「そうか」
慎之介は桃眞に目もくれず、男子寮の部屋に入ると、自分の名前が書かれた和箪笥に、持っていた本を数冊直した。
そして、またすぐに部屋を出る。
「どこ行くの? 良かったら、食堂で晩飯でも食べて話を聞いてくれよ」
階段を下りながら桃眞はそう言ったが、「悪い、これから部活なんだ」と、あしらわれた。
「部活なんてあんの」と訊ねる桃眞。
「まぁな」
慎之介は、男子寮を出ると回廊へと進んだ。
空は日が沈み始めている。
「付いて行ってもいい」と桃眞が聞くと、「好きにしろ」と慎之介は歩みを止めずに答えた。
回廊から奥の廊下へと進む。
そして階段で二階へ上がった。
3ブロック程進むと、歩みを止めた。
目の前に格子の扉がある。
その横の柱に倶楽部名が彫られた板が掲げられている。
――『式神拳闘倶楽部』
「しきがみ……けんとうくらぶ」
「しきがみファイトクラブ」と、訂正した慎之介。
「へぇ、めっちゃ面白そうじゃん」と言う桃眞を尻目に、慎之介が扉を開いた。
そこは、学校の体育館程の広さの道場のような場所だった。
床は、あちこちが傷だらけの板の間。くすんだ白い土壁。
天井付近に等間隔に並ぶ、小さな長方形の空気口から、外が見える。
キョロキョロと辺りを見回すと、既に十数名の狩衣を着た生徒がいた。
桃眞と慎之介を除き、男子が十六名、女子が四名。
女子の中には、櫻子もいる。
桃眞と、慎之介を見かけると櫻子が近づいてきた。
「あら、アンタも来たの」
「あ、いや、見学をね」と答える桃眞に、「退屈だと思うよ。だって式神が見えないんでしょ」と櫻子が言った。
「う、うん。まぁ……」と答える。
首飾りを外せば見えるが、それを口に出す事を躊躇う。
「慎之介。アンタ、分かってて連れてきたの?」と、烏帽子を取り、髪を結い直す櫻子。
右側の前髪を垂らし、残りをお団子にする。そして、上から烏帽子を被った。
「いや、勝手に付いて来たんだ」
「ふーん。まぁどうでも良いけど」
「なぁなぁ」と二人に訊ねる桃眞。
「式神拳闘倶楽部ってさ。名前の通り、式神を戦わせるのか」
櫻子が答える。
「そうよ。一カ月後の選抜選考会で勝ち進むには、式神をどれだけ鍛えるかも重要だからね」
また新しい言葉が出てきた。首を傾げる桃眞。
「選抜選考会って何」
すると黙っていた慎之介が、スクエア型のインテリ眼鏡を、クロスで拭きながら説明を始めた。
「毎年、夏休み前になると選抜選考会の募集が始まる。そこで良い成績を収めた者は評価が上がり、陰陽師への道が近くなる」
「まじかよ」
「とは言うモノの、それは表向きの謳い文句であって、実際の所はお前が入りたがってる『怪伐隊』へのスカウトが目的とも言われているが、どのみち、成果を出せば特典は大きい」
そう言い、眼鏡を掛ける。
「なるほどね。じゃー俺も出ようかな」と桃眞が言うと、珍しく慎之介が笑った。
「なんだよ」と怪訝そうな顔で訊ねる桃眞。
「言い忘れてたが、この選抜選考会は命を落とす可能性もある。それを覚悟で出場するんだ。法力のないお前が生き残れる訳ないだろ」
「どうせ、俺は一度死にかけたし、これからも死線を潜り抜けないといけないんだ。そう言う慎之介も出場するのか」
「いや、俺は出ない」
「えっ」と驚く桃眞に、「こいつビビりなの」と櫻子が言った。
その言葉に、少しムッとした表情の慎之介。
「俺は、リスクがある事はしないんだ。勉学に励んで陰陽師を目指す。命を賭けるのは馬鹿げている」
「とか言っているけど、ビビってるんでしょ」と卑しい笑みを見せる櫻子に続き、「ビビってるんでしょ」と桃眞も茶化す。
「ビビってねぇッ」と声を荒げる慎之介。
「じゃあ、なんでこの倶楽部にはいってるのさ」と桃眞が問うと、「前に言ったろ、俺が今研究してるテーマが式神だって。それの一環だ」と慎之介は答えた。
そこで、ある事が気になった桃眞。
「って事は、櫻子は出場するのか」と問う。
「もちろん」と笑顔で返答した。
「死ぬかもしれないのに?」
「そんなのやる前から考えないの」
そう言った後の、櫻子の表情が一瞬曇ったのを桃眞は見逃さなかったが、直ぐに明るく振る舞う姿が忘れさせる。
格子の扉が開くと、黒い狩衣を纏う寺沢 漣樹が三人の仲間を引き連れてやってきた。
「なんだ、今日はこれだけか」と、倶楽部内の人数を見ながら言った。そして、桃眞が視線に入ると、訝し気な視線を送る。
「おや、誰かと思えば、阿形 桃眞。死にに来たのか」と下卑た笑い声を上げる。
「どっちが」と言い返す桃眞に、「おい、やめとけ。一応、部長なんだぞ」と慎之介が肩を掴んで止める。
「おい、腰抜け。一応とはなんだ。……で、阿形 桃眞……入部届けは出したのか?」
「いや、見学に来ただけだ」
「なんだ。そっか……まぁ、良い」
漣樹達が道場の奥へと歩いて行くのを見届けると、櫻子が桃眞に話しかける。
「そう言えば、さっきから気になってるんだけど、アンタの横に座っている犬は何なの」
「あー、そうそう。だからこの事をさ、慎之介にも話そうと思ってたんだけど。じつは……」
「じゃー、時間だ。始めるぞ」
漣樹の言葉が、桃眞の言葉を遮る。
全員が整列する。
桃眞も、最後尾で列に並んだ。
道場の正面から、全員に向かって立つ漣樹。
右横を向き、神棚に一礼をする。
そして、皆に向かって一礼をした。
全員が、一礼をする。桃眞も、他に習って一礼をした。
普段から態度が悪そうに見える漣樹だが、陰陽師を目指す身でもあるのか、こう言った礼儀は弁えているのだろう。
正面の注連縄の下に祀られている、大きな水晶玉に向かって手の平を掲げる漣樹。
他の倶楽部生が、部屋の四隅の蝋燭に火を灯す。
漣樹が術を唱え、右手の人差し指と中指で手刀を作る。
「急急如律令ッ」
そう唱えると、道場に静寂が訪れた。
そこに居たのは、桃眞ただ一人だけ。
一瞬にして、桃眞以外の生徒が消えてしまった。
カラスの鳴き声が聞こえる。
「あれ……」と言う声が反響した。
「みんなどこに行ったの」と辺りを見回すが、人の気配はない。
暫くそこに立ち尽くす……。
――『俺に法力がないからなのか……?』
そう思った桃眞。
自分の法力を封印している首飾りに手が伸びる。
そして、それを外そうか悩んだが、今は好奇心の方が勝っていた。
鏡を掴むと、思い切り紐を引きちぎった。




