第8話「令和への帰還」その2
桃眞が目を覚ましたのは、晴明の浮ついた笑い声のせいだった。
「うるさい……」と、桃眞は起き上がると、目を擦りながら縁側へと出た。
今日は平安京に来て初めての鉛色の空だった。
また、若い女と戯れているのかと思ったが、そこに居たのは、男だった。
水色に金の刺繍が入った、狩衣とは違う、袖の長い直衣を纏い、黒い烏帽子。笏と呼ばれる30センチ程の細長い木の板を持っている。
「どちらさん」と桃眞が訊ねると「朕の事か?」と男は、自分の顔に指を差した。
「ちん……下ネタ」と桃眞は聞き返す。
「……しもねた」と、その男はまたも聞き返した。
話が噛み合わない……。
その時、晴明が口を開いた。
「村っちょ。コイツは口の聞き方を知らんのだ」
「晴明。またその様な呼び方を。帝と呼べ、帝と」と笑いながら答える男。
どうやら帝らしい。
無骨な表情に、彫りの深い顔。整えられた口髭と顎鬚が目立つ。
厳格そうではあるが、どこか憎めそうにもない愛嬌が垣間見える。
「みかどって、あの帝の事すか」
「お主、朕を知らぬと申すか。処す?」と晴明の表情を伺う。
中庭で跪く護衛の武人が、刀を鞘から抜きかけた。
「いや、処さぬとも良いだろう」と、帝が持つ杯に、瓶子を傾けた。
帝が、手の平をひらひらと仰ぐと、武人は、刀を鞘に収めた。
「このお方は、村上天皇。帝だ」と晴明は紹介した。
「そ、そうなんですね。で、村上だから、村っちょすか。チャリーっすね」
その言葉に顔を強ばらせた帝。
「何たる無礼。その名を口にしても良いのは晴明のみ。処す? 処す?」と、晴明を見る。
中庭で跪く護衛の武人が、刀を鞘から抜きかけた。
「いや、処さぬとも良い」
帝が、手の平をひらひらと仰ぐと、武人は、刀を鞘に収める。
「晴明さん……、何となく察しはつきますけど、処すって何?」
「お前を殺すと言う事だ」
「いや、めっちゃサイコパスじゃないですか」
その後、晴明は、桃眞を交え、あらかたの経緯を帝に説明した。
やはり、スマートフォンを見せると「あなやッ!?」と絶叫していた。
帝からは、平安時代の先の出来事を聞かれたが、あまり歴史に詳しくない桃眞が困り果てていると、晴明が「村っちょ、あまり先の世を知らん方が良いぞ」と諭してくれた。
なぜ晴明が『村っちょ』と読んでいるのかは、現代のあだ名を付ける感覚とは少し違っていた。
帝が、自分の名前を言おうとした時に、しゃっくりが出てしまい、『村っちょ! 村っちょ!』と発した事が発端らしい。
そこに愛嬌を感じた晴明は、親愛の思いを込めてそう読んでいる。
帝が気を許している晴明だけが、そう呼ぶ事を許されているのだ。
帝は、時折、酒や肴を持っては、ラフな直衣に着替え、晴明の屋敷に遊びに来る。
この時だけは、自分が帝である事を忘れ、一人の男として、晴明とたわいもない話ができる。息抜きでもあるのだ。
ちなみに、好奇心旺盛な帝は、晴明が関わった妖しに同行したり、時には、帝が聞いた事件を一緒に解決したりという事もあるらしい。
晴明は、桃眞の土に汚れた手に気付いた。
「桃眞。その手、どうしたのだ」
「あ、これですか。昨日の晩、道の真ん中に、死にかけの犬が埋められてたんですよ」
そういうと、帝が「お主、その犬を掘り起こしたのか」と慌てた様子で訊ねた。
何故、それ程までに慌てるのか。その訳理由も分からず、訝し気に「そうです……けど」と答えた。
晴明が口を開いた。
「それは、今では禁止とされている呪術だな」
「呪術……」と言葉を繰り返す。
「飢餓状態の犬を、そのままや、時には首だけを埋めたりもする。その上を人が跨ぐ事で、怨念を蓄え呪物として呪いを成就させる。犬の周りに食べ物を置き、首を斬り落とした瞬間に食べ物に喰らい付く頭部を焼き、その骨を呪術に使うという事もある。その犬は犬神とも呼ばれるが、何れにせよ、惨たらしい光景故、今では使われる事はない」と、淡々と晴明は説明した。
その光景を想像すると、胸の気持ち悪さを覚えた桃眞
「誰がそんな事を……。あっ……」
「どうした」
桃眞は昨夜みた髪の長い男の事を思い出した。
桃眞から、謎の男の話を聞いた晴明と帝。
帝は、晴明の方へ向き、「なぁ、晴明。もしやすると、道満ではなかろうか」と訊ねる。
「誰だそれは……」と、心当たりの無い様子で答える。
「芦屋 道満だ。都に帰ってきたのか?」
「悪いが、俺は抱いた女の名前しか覚えておらん。男に興味はない」
そう言い、杯を唇に付ける。
「その芦屋 道満って何者なんですか」と桃眞が訊ねた。
帝が答える。
「陰陽寮に属していない陰陽師でな。主に、都の外で術を奮っておる。あ奴に道理などない、目的の為なら人の命すら呪物に変えるような危険な男だ。……とは言え、幾度も晴明に術比べを挑みはするが、返り討ちにされておる」
「ほぉ」と言う桃眞の横で、晴明が「俺は術比べをした覚えもない」と嘲笑う。
「あいつ、俺が鬼を喰らった事を知ってました」
「ほう。お前もこの時代で名が売れ始めたかな」とからかう晴明。
「んな訳ないでしょ」
「まぁ、その事がまたお前が首飾りを付けておる原因と言う訳か」と晴明はズバリと言い当てる。
帝は、お膳の上の餅に手を伸ばした。
「どおりで、犬神に憑かれている事に気付かん訳だ」
その言葉に、慌てる桃眞。
「えっ、マジで。ちょ、晴明さん、祓って下さいよ」
「お前が、情けを掛けた犬であろう。直ぐに祓ってしまっては味気ないではないか」
「味気ないって……」
「とにかく、その犬神が、今すぐにお前の命を奪おうとは考えておらんようだ。気が済んだら消えるだろう。暫くは側に置いてやれ」
そう言い、晴明もお膳の餅を齧る。
遠くの空に稲妻が見えた。
「雨が降るな」と帝が言った。
風が生暖かい。湿気を含んでいる。
「では、そろそろ朕は帰るとしよう」
そう言い、立ち上がると、帝は、武人を引き連れ中庭を歩き、門の外へと向かった。
大きな車輪が付いた籠を、牛が引っ張る牛車に乗り込む。
ガタゴトと砂地を車輪が踏みしめ、帝が大内裏へと帰っていった。
酒と肴を、式神の女に片付けさせた晴明に桃眞は、再度、陰陽の訓練をお願いした。
「晴明さん。もう一度、陰陽の術を教えてくれませんか」
「昨日教えたではないか」
「いや、一日では流石に覚えれないですよ……」
そう言い、晴明の顔色を伺う桃眞。
晴明は、今にも雨が降りそうな空を見ながら、一つ条件を出した。
「であれば、一つ頼まれてはくれぬか」
「何をですか」
桃眞が訊ねると、晴明は袖から人形を取りだした。
「今、紙を切らしておってな。人形を作るのに必要なのだ。悪いが、陰陽寮に行って貰って来てはくれぬか」
「わかりました。じゃあ、雨も降りそうだし、今すぐ行ってきます」
そう言うと、桃眞は草履を履き、走って大内裏へと向かった。
朱雀門に着く頃には、ぽつりぽつりと、雨が砂地に染みを作り始めていた。
門を警護している男に会釈し中に入ると、記憶を頼りに、陰陽寮を目指す。
令和の時代では大きな屋敷だったが、この平安の時代では、沢山ある離れの一つのようだ。
『陰陽寮』と書かれた札が掛かっている離れを見つけ、引き戸を開いた。
中では、この時代の陰陽師達が、六壬と呼ばれる道具や、地球儀の様な道具を使い、吉凶を読み取っている最中だった。
巻物を開いては、筆で何かを記し、また、道具から何かを読み取る。
桃眞には、何をしているのか定かではなかったが、陰陽師とは呪術だけではなく、地味な作業もあるんだなと思った。
そして、そんな地味な作業をする陰陽師が、役割を担うのに、ギリギリのスペースに収めらているかの様に感じた。息が詰まる。
桃眞は近くにいた陰陽師に声を掛けた。
「すみません。安倍晴明さんの遣いで来たんですけど、紙が欲しいって」
「あぁ、では用意して参るので、しばし待たれよ」と目の前の男は告げ、部屋の隅の棚へと向かった。
待てとは言われたが、あちこちが気になる桃眞。
部屋の奥に『漏刻所』と札が掛かった部屋がある。
出入りする陰陽師の隙から覗くと、水時計が見えた。
それを見て、元の時代に戻るヒントが無いか気になった桃眞。
陰陽師達の間を通り抜け、漏刻所の扉を開いた。
急に音が消えた……。
振り返ると、小部屋の中に、木製の簡易ベッド。
そして、前を向くと、さっきまで見えていた石造りの水時計はそこになく、大きなガラス製の水時計があった。
「これってもしかして……」と辺りに視線を巡らせる。
壁に掛かっている電波時計。
「これってもしかしてッ」と期待に胸が躍る。
水時計の向こう側から漏刻博士の宮田の姿が見えた。
やっと帰って来れたのかと、桃眞は安堵し、全身の力が抜けてその場にへたり込んだ。
いやー、やっと桃眞が現代に帰ってこれたね。
さて、今回登場した「犬神」の儀式は、史実でも本当に実在した呪術なんよ。
実際は生首を埋めたり、そのまま斬首したり、エグイ呪術があったもんやな。で、やっぱりグロいとかやり過ぎってのもあって、禁止されたそうな。
帝が持ってた笏。しゃく。
わかるかなー。あの「おじゃる丸」が持ってるような細長い板。
高価なモノでは象牙で作られてるのもあったそう、本当に階級が高い人とか、しかも儀式の時だけとか使ってたみたい。普段は木製。
何の為に使ってたかと言えば、神職の人が呪術の文言を忘れないように、メモをするカンペらしい。これマジで。
昔の人は、そこに、カンペ書いたり、メモにしてたって事。




