第6話「少女を救うは最弱の陰陽師?」その2
「いやーん」と甘い声が聞こえる。
「んん?」と首を傾げる桃眞。
今度は、男の声が聞こえる。
「良いではないか。良いではないか。おひょひょひょ」
「んん?」
どういう事かと廊下の奥を覗き込むと、次の瞬間、目を覆いたくなるような光景が繰り広げられた。
母屋と言われる寝室。
障子張りの引き戸が開くや、全裸の女が廊下へと飛び出してきた。
それぞれの手で、胸と股間を隠しながら桃眞の方向へと走ってくる。
そして今度は、母屋から全裸の男が、女を追いかける。
黒い烏帽子は被っているが、大きな皿で股間を隠しながら……。
「待たれよー。待たれよー」と鼻の下を伸ばしながら追いかけるその男の目に、桃眞の姿が入るや、慌てた弾みに足を滑らせ、尻を回廊の床に擦る。
「あっつッ!! アッツッ!!」 と言いながら尻を摩り、藻掻く。
全裸の女は、桃眞を見るなり「あなやッ」と叫び、恥ずかしそうに廊下の奥へと消えていった。
男は、ゆっくりと立ち上がると、桃眞に声を掛けた。
「お前は誰だ。黙って入るとは無礼な奴め」
「阿形 桃眞です。いや、門は開いてたし、呼んでも何の反応も無かったので」と頭を下げる。
「で、何の用だ」と、訪ねる男に「安倍晴明さんはどこですか」と逆に質問をした。
男は、全裸のまま一つ咳払いをすると「俺が安倍晴明だ」と答えた。
少しの沈黙が起こる。
「…………で、安倍晴明さんはどこですか」
「いや、だから俺が安倍晴明だ」
「で、安倍晴明さんはどこですか」
「……………………。え? むしろ、え? 何で分かってくれないのだ」
「安倍晴明さんは、こんな変態じゃないでしょ。で、どこに居るんですか」と呆れた顔で問う。
「変態とは失礼な……」と男の顔が強張る。
「いや、どう見ても変態でしょ。現に、それ早く隠してくださいよ」と言われ、男は、ゆっくりと皿を拾い上げると、スッと股間を隠した。
「で、安倍晴明さんはどこですか」
「だから、俺が安倍晴明だッ」と怒鳴った男。
だが、桃眞は全く信じようとしない。
いや、これまで想像していた人物像と掛離れ過ぎているからだ。
皇の嬉しそうに、安倍晴明の人物像を語っていた顔が目に浮かぶ。
――『妖艶で美しく、不思議な魅力があり、まるで、雲を掴むかのような人』
…………ではない。
確かに言われてみれば、白狐のような切れ長で、整った顔立ちはしているが。
この時点において、桃眞のイメージは全裸の変態だと言う事だ。
そこになんら神秘性も美しさも、魅力もない。
信じようとしても信じれないのだ。
男は、溜息を吐くと、何か術を唱え始めた。
そして、烏帽子の中に隠していた人の形をした紙に、何やら念を送る。
その紙については桃眞も授業で見た記憶がある。
『人形』や、『形代』と呼ばれているモノだ。
男が、術を唱え終わり、その人形を空中に投げると、紙が消えた。
「おぉ、紙が消えた」と驚く桃眞。
その反応に首を傾げる男。
「いや、そうじゃ無くてよ」と言うが、桃眞には何も見えない。
「お前、式神が見えんのか」と言われ、「あぁ、そうですね。俺、式神が見えないみたいです」と答える。
「そうか……」
また沈黙が続く。
「…………すみません」
「何だ」
「前。隠して貰っても良いですか」
男は、ゆっくりと皿を拾い上げると、スッと股間を隠した。
母屋の横の部屋で、対面する晴明と桃眞。
とりあえず、状況的に、目の前の男が安倍晴明なのだと、認めるしかなった。不本意ではあるが……。
「で、俺に何のようだ」と、薄紫色の狩衣を纏う晴明が訪ねる。
狩衣を纏い烏帽子を付ければ、それらしく見えなくもない。
晴明は片膝を立て、そこに肩肘を置きながら、姿勢を崩している。
対する桃眞は正座をしていたが、「崩してくれ」と言われ、胡坐をかいた。
「今から言う事は、全て本当の事です。信じられないと思いますけど、聞いてください」
そう前置きを言い、桃眞は、自分が居た時代の事、鬼が現れた事、陰陽寮に入り、そして、この平安京に迷い込んだ事。そして、真秀の事を話した。
晴明は一通りの話を聞いたあと、懐から取り出した扇を顎に付けながら、考え事を始めた。
まず、晴明自身も、桃眞の話を噛み砕く必要がある。
難しい表情をする晴明に、「信じて貰えませんか」と訊ねる。
桃眞は、ハッとある事に気付くと、スマートフォンを取り出した。
「見てください。この時代にこんなのありますか」と画面に時計と壁紙を出して見せつけた。
「あなや。これは……何だ。硝子の板に、精巧な絵が……」と驚いた様子の晴明。
桃眞は、画面を指で操作しカメラを起動すると、晴明とのツーショットをインカメラで撮影した。
パシャリと音が鳴り、その画面に映し出された写真に、晴明は驚愕した。
「あ、あなや!!」
「あなやって何ですか」と、桃眞はさっきから気になっている言葉について聞いた。
「驚いているという事だ」と答える。
そして、晴明は続けた。
「これは、何の術だ」
「術じゃないですよ。科学ですよ」
「かがくとな……。それは何だ」
「…………いや、俺も、そこまで詳しくはないですけど……」
晴明は、再び何かを推考し始める。
しばらく時間が経った。
広げていた扇を、勢いよく閉じる。
「お前の言っている事を信じようではないか」
「ありがとうございます」と桃眞の笑みが零れる。
「だが……」
「だが……?」と晴明の言葉を繰り返した。
「その女童は、俺は関与しない」とキッパリと言った晴明に、「女童って何ですか」と問う。
「お前が言っている、子供の女の事だ」
「その女童……どうして関与しないんですか」
「俺に何の得も無いからだ」と晴明は、遠くの空を見ながら言った。
「はぁ? どういう事ですか」
「俺にモノを頼みたい時は、"女"か"珍しい酒"か"金"を持ってこい」と、卑しい笑みを桃眞に投げ掛けた。
「真秀ちゃんは女ですけど」
「女童に興味はない」
桃眞は落胆したかのように、頭を垂れ「やっぱりアンタはクズだな」と言い放つ。
「なんだと」
「ちなみに俺が未来に帰る方法はあるんですか」と立ち上がりながら訪ねるが、「無い」と晴明は答える。
「だったら、もう良いです。俺が何とかして、真秀ちゃんを救います。 何が平安最強の陰陽師だよ。期待して損した」
そう言い残し、部屋から出る。
「法力の無い、お前に何ができる」
晴明には、桃眞に法力がない事が既に見抜けていた。
黙り、俯く桃眞。
拳を強く握りしめた。
「役に立たない平安最強よりも、平安最弱の俺の方がよっぽど役に立ちますよ」
そう皮肉を残し、桃眞は、真秀の元へと走った。
もう辺りは夕闇が迫っていた。
藤原宗忠の屋敷に着くや、桃眞は、真秀の元へと向かった。
「真秀ちゃん。大丈夫か」と訊ねた。
「もう少しで鬼がくる」と怯える真秀。
「まだ早いだろ」
「もうそこまで来ておる、ワシにはわかる」
その時、母屋の扉が開き、白い単を纏い、烏帽子を被った老人が立っていた。
「陰陽師か……」
「いえ、まだ学生ですけど、俺が真秀ちゃんを救います」
そこへ、摩柴も現れる。
「頼平様。お戻りを」と促すが、頼平は聞く耳を持たない。
「この小童、真秀に何をする気じゃ。宗忠は、宗忠はおらんのか」
「まだ、暫くは戻って来られません」と諭す摩柴。
辺りは次第に、暗くなり、黒く大きな雲の動きが速くなる。
風も次第に強くなり、庭園の草木がなびき始めた。
もう時間がないと感じた桃眞は、ある事を思い出した。
「摩柴さん。紙とペンを持ってきて下さい」
「ぺん……?」
「あー。筆です」
「わかりました」
桃眞は、スマートフォンを取り出すと、動画ファイルを開いた。
そこに、授業で、厄除けの呪符の作り方を偶然にも撮影していたのだ。
とりあえず、紙を、呪符サイズに手でちぎり、動画内の呪符と同じ文字を書き写す。
暫くすると、風が吹く度に行灯の火が揺れ出した。
辺りに冷たい空気が漂い始める。
それは、いくら法力の無い桃眞でも、異変に気付くモノだった。
そして、次第に、真秀が息苦しそうに深い呼吸を繰り返し始めた。
「おい、大丈夫か」との問いに返事はない。
すると、その異様な状況に恐れを成した頼平は「おい、お前は真秀を救えるのか」と問う。
「全力を尽くします」
それが、今の桃眞にとってはハッキリと言える事だった。
救える自信はない、だが、何が何でも真秀を救う。
その意志だけは確かだったのだ。
鉤爪で引っ掻いたかの様な、弧を描いた月が、寝殿造りの屋敷の上に浮かんでいた。大きく真っ黒な雲の隙間を、顔を出しては隠れ、また現れを繰り返す。
ザーザーと風になびく草の音が、忍び寄ろうとする者の足音さえ、消してしまいそうである。
一瞬、風が止んだ。
辺りが静まり返る。
不気味な静寂が辺りを包み込んだ。
「キィィーーャヤッ」
その静まり返った屋敷で、真秀の奇声が、闇夜の静寂を切り裂いた。
庭園の真向かいにある、障子張りの引き戸。
そこに映る灯りが、チラチラと人影に遮られている。
薄紅色の単を纏う真秀の表情は、この世のモノでは無くなっていた。
黒い網目状の血管が、首元から乱雑に伸びる枯れ枝のように頭部へと走り、目は充血し腫れ上がっている。舌は黒く変色し、垂れ落ちる唾液もまた墨汁のようだ。
どうやら、鬼が真秀に憑りついたようだ。
法力の無い桃眞には、鬼が近づいた事すら見えなかった。
その光景に腰を抜かした頼平と、摩柴が恐怖に震えながら母屋の隅で蹲うずくまっている。
「急急如律令ッ、急急如律令ッ?……え、えっと、急急如律令ッ」と、震える手で真秀を床に押さえつける桃眞。
袖から取り出した呪符に念を込めて、額に押し付けるが、全く効果は無い。
「クソッ……クソッ……」と、目に涙を浮かべながら、暴れる真秀に馬乗りになっている。悔し涙だ。
子供の声とは思えない様な、太く低い呻き声をあげる真秀に対し、「俺が必ず助けてやるからなッ。だから負けるなッ。頑張れッ……」と声を掛ける。
桃眞の首元から顔を覗かせる鏡の首飾りが、行灯の橙色の光を反射していた。
子供の力とは思えない程の怪力に、桃眞の体が弾かれそうになる。
「くそ、どうすれば良い。どうすれば良いんだ」と次の策もなく、ただ鬼と化す真秀を押さえつけているだけの状態。
ジュッ!!
何かが焼ける様な音が聞こえ、次の瞬間、真秀の表情に苦悶の色が見えた。
何が起こったのか、辺りを見渡した時、またも焼ける音が鳴った。
よく見ると、桃眞の首から垂れている楕円形の鏡の首飾りが、真秀の顔に触れる度に、焼ける様な音を鳴らしていたのだ。
理由は分からないが、もしかすると、真秀の体内にいる鬼を苦しめる事が出来るのかも知れない。
そう思い、桃眞は、首飾りを引きちぎり真秀の額に押し付けた。
「キィィーーャヤッ」と叫びながら、藻掻く真秀。額から煙が噴き出す。
「どうだ、苦しいだろ。だったら真秀ちゃんから出ていけッ!!」と力いっぱい、鏡を額に押し付ける。
次の瞬間、真秀の口から、赤黒い煙が飛び出し母屋の天井付近でとぐろを巻いた。
ふと、下をみると、真秀の姿が元に戻っている。
「やった」と喜んだのも束の間、天井付近でぐるぐると滞留していた煙が、桃眞の咥内に勢いよく入り込んだ。
凄まじい勢いで、胃や肺に潜り込む。
嗚咽するも、その勢いに抑え込まれてしまう。
息ができない。
次第に、桃眞の意識が霞んでいった。
頼平と摩柴の前で、横たわる桃眞の体が、右へ左へと滑る。
そして、空中に飛び跳ね天井に衝突し、地面に叩きつけられた。
慌てて、摩柴が真秀を抱き寄せる。
次第に、憑依された真秀のように、全身に黒い血管が浮き出し、咥内も黒く染まる。
そして、一瞬で立ち上がると、目の前の真秀を睨みつけ歩き出した。
その時、障子張りの引き戸が甲高い音と共に開いた。
そこに現れたのは、白い狩衣を纏う安倍晴明。
五芒星が描かれている小瓶の水を桃眞に掛けると、焼ける音と共に煙が出る。
飛び掛かる桃眞。
晴明が手の平を突き出すと、桃眞の体は母屋の壁に吹っ飛んだ。
黒い唾を吐く桃眞。
「阿形 桃眞。御代はツケにしておいてやろう」
不敵な笑みを浮かべた安倍晴明。
呪符を取り出すと、桃眞に向けて投げ飛ばした。




