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第三十五話『戦わない選択』(改訂版 ver1.01)

三つ星昇格試験、最初の想定外。


街道の先から漂ってきた、焦げたような匂い。


試験官のシロナは、答えを教えてくれません。


進むのか。

立ち止まるのか。

助けるのか。

そして――戦うのか、戦わないのか。


答えを出すのは、ニールたち自身。


そして今回は、ミーナが一歩前へ進みます。


第三十五話『戦わない選択』


ぜひお楽しみください!


面白かったら、高評価・ブックマークで応援していただけると嬉しいです!

「……何か、焦げてる」


 ミーナの言葉で。


 俺たちは足を止めた。


 ラグナードを出て。


 まだ、それほど時間は経っていない。


 街道は穏やかだった。


 空は晴れている。


 風も弱い。


 少なくとも俺には。


 変なところなんて何もない。


「俺には分からないけど」


「僕も」


 ハリトが鼻を動かす。


「どんな匂い?」


「薬草……かな。でも、それだけじゃない」


 ミーナの獣耳が小さく動く。


「油っぽい匂いもする。あと……獣脂?」


「獣脂?」


「多分」


 ミーナは街道の先を見る。


「結構強い。風に乗ってきてる」


 俺も。


 思いっきり息を吸ってみた。


「…………」


「どう?」


「土の匂いがする」


「ニールはもういいよ」


「諦めるの早くない!?」


「鼻は私の方がいいから」


「それはそうだけど!」


 俺は。


 後ろを振り返る。


 少し離れたところを。


 シロナが歩いていた。


 目が合う。


「…………」


「…………」


 聞きたい。


 めちゃくちゃ聞きたい。


「ニールさん」


「はい」


「私の顔に答えは書いてありませんよ?」


「まだ何も言ってない!」


「顔に書いてありました」


 くそ。


 試験官め。


「行って確認しよう」


 ハリトが言った。


「ただし、少し速度を落とそう。何があるか分からないから」


「了解」


「うん」


 俺たちは。


 再び歩き出した。


 今度は。


 さっきより慎重に。


 先頭はミーナ。


 少し後ろにハリト。


 俺は荷物を背負って。


 その後ろを歩く。


 しばらく進むと。


「あ」


 今度は。


 俺にも分かった。


 鼻の奥に残るような。


 独特の臭い。


「これか」


「うん」


 さらに進む。


 そして。


「……荷馬車?」


 街道の先に。


 一台の荷馬車が横倒しになっていた。


     ◇ ◇ ◇


「すまない! 助かった!」


 俺たちを見るなり。


 荷馬車のそばにいた男が駆け寄ってきた。


 三十代くらいだろうか。


 服は泥だらけ。


 でも。


 怪我をしている様子はない。


「怪我は?」


「俺は大丈夫だ。馬も無事だ」


 見ると。


 馬は少し離れた木につながれている。


 問題は。


 荷馬車だった。


 片方の車輪が外れている。


 そのせいで荷台が大きく傾き。


 積んでいた荷物の一部が街道へ散らばっていた。


 割れた壺もある。


 そこから。


 茶色っぽい液体が地面へ染み込んでいた。


「この匂いだったんだ」


 ミーナがしゃがみ込む。


 でも。


 液体には触れない。


 少し離れたところから鼻を動かす。


「魔物除け?」


「分かるのか?」


 男が驚いた。


「里でも使ってたから。ちょっと配合は違うけど」


 ミーナが顔をしかめる。


「結構こぼれてるね」


「ああ……商品だったんだがな」


 男が肩を落とした。


「突然、車輪が外れちまって。馬が暴れなかっただけ運がよかった」


 俺は荷馬車を見る。


 車輪。


 散らばった荷物。


 一人では。


 どうにもならなそうだ。


「手伝おう」


 俺は言った。


「ニール」


 ハリトが俺を見る。


「あ」


 そうだった。


 俺たちにも。


 依頼がある。


 この荷物を。


 明日の日没までに《ルーベン村》へ届ける。


「……でも、このままにはできないだろ」


「うん。僕も無視しようとは言ってない」


「じゃあ?」


「どこまで手伝うか決めよう」


「どこまで?」


 俺だったら。


 荷馬車を直して。


 荷物を全部積み直して。


 この人が出発できるまで手伝う。


 多分。


 そうしていた。


 でも。


 それに何時間かかる?


 そもそも。


 俺たちに車輪を直せるのか?


「俺、荷馬車の修理なんてできないぞ」


「僕も」


「私も無理」


 三人で黙る。


 すると。


 ミーナが散らばった荷物を見た。


「……私たちには、私たちの依頼がある」


 男の顔が。


 少し曇る。


「でも」


 ミーナは続けた。


「だからって、何もしないって意味じゃないよ」


「ミーナ?」


「私たちにできるところまでやろう」


 街道を塞いでいる荷物。


 横倒しになった荷馬車。


 それを指差す。


「荷物を脇へ寄せて、荷馬車を起こすくらいならできるでしょ?」


「その後は?」


 俺が聞く。


「次に人のいる場所へ着いたら知らせる。途中で商人とか冒険者とすれ違ったら、その人にも伝えられる」


「……なるほど」


 全部。


 俺たちがやらなくてもいい。


 できることを。


 できるところまで。


「どうですか?」


 ハリトが男に聞く。


「十分だ!」


 男が頷く。


「荷馬車を起こしてもらえれば助かる。あとはここで、通りかかる商人を待つよ」


「じゃあ決まり」


 俺は。


 背負っていた木箱を下ろそうとして。


「待って」


 ミーナに止められた。


「何?」


「その箱、どこに置くの?」


「…………」


 地面を見る。


 木箱を見る。


 もう一度。


 地面を見る。


「危なっ!」


「依頼品でしょ」


「俺、これ背負ったまま荷馬車起こすの!?」


「無理でしょ」


「じゃあどうすんだよ!」


「私が持つ」


 ミーナが手を出す。


 俺は木箱を渡した。


「絶対落とすなよ」


「誰に言ってんの?」


「ミーナ」


「返そうか?」


「ごめんなさい」


 ハリトが笑っていた。


 少し離れた場所では。


 シロナが。


 何も言わず俺たちを見ている。


 ……今の。


 減点されてないよな?


 聞かない。


 絶対に聞かないぞ。


     ◇ ◇ ◇


 荷馬車を起こすだけなら。


 それほど時間はかからなかった。


 俺とハリト。


 それに男の三人で。


 傾いた荷台を持ち上げる。


「せーの!」


「ぐっ……!」


「もう少し!」


 重い。


 でも。


 持ち上がる。


「今だ!」


 男が支えを入れる。


 完全に直ったわけじゃない。


 それでも。


 街道を塞いでいた状態からは動かせた。


 散らばった荷物も。


 通行の邪魔にならない場所へ寄せる。


「本当に助かった」


「いえ」


「ラグナードへ戻るのか?」


「いえ。俺たちは西へ」


「西?」


 男の表情が。


 少し曇った。


「どうしました?」


「いや。この魔物除けなんだがな」


 男が。


 割れた壺を見る。


「かなり臭いが強いんだ。これだけこぼれたら、しばらくこの辺りには魔物も寄ってこないと思うが……」


「…………」


 ミーナが。


 地面へ染み込んだ液体を見る。


「どうした?」


「ううん」


 首を振る。


「行こう」


 俺たちは男に別れを告げ。


 再び。


 西へ向かった。


     ◇ ◇ ◇


 それから。


 三十分ほど進んだ頃だった。


「止まって」


 また。


 ミーナだった。


 今度は。


 声が小さい。


 俺とハリトが。


 その場で止まる。


「何かいる?」


「いる」


 ミーナが。


 街道の右側を見る。


 草原の向こう。


 低い丘が連なっている。


「三匹」


「何が?」


「多分……」


 ミーナが目を細める。


 その直後。


 草むらが揺れた。


 現れたのは。


 猪。


 いや。


 ただの猪じゃない。


 俺の腰くらいまである大きな身体。


 黒く。


 硬そうな毛。


 そして。


 口元から伸びる二本の牙は。


 金属みたいな鈍い光を放っている。


「《鉄牙猪(アイアンボア)》」


 ミーナが。


 小さく言った。


「知ってるの?」


「見たことはある。突進がかなり強い」


 一匹。


 二匹。


 三匹。


 草の中から。


 次々と姿を現す。


 でも。


 こっちを見ていない。


 三匹とも。


 地面の匂いを嗅ぎながら。


 落ち着かない様子で歩いている。


「さっきの魔物除けかな」


 ハリトが言った。


「多分」


 ミーナが。


 アイアンボアを見る。


「さっきの人は、魔物が寄ってこなくなるって言ってたけど……」


 少し考えて。


「違う」


「何が?」


「いなくなるんじゃない」


 ミーナが言った。


「嫌な匂いから離れるだけ」


「……あ」


「だから、近くにいた魔物が別の場所へ押し出されてるんだと思う」


 俺は。


 アイアンボアを見る。


 魔物が。


 本来いた場所から移動する。


 一瞬。


 《エルティア大森林》のことが頭に浮かんだ。


 石角羊。


 グラスドッグ。


 ロックリザード。


 森から逃げていた魔物たち。


 でも。


 今回は違う。


 原因が。


 ちゃんと目の前にある。


 割れた壺。


 大量にこぼれた魔物除け。


 その臭いを避けて。


 アイアンボアが移動してきた。


 多分。


 それだけだ。


「三匹か」


 俺は。


 剣を見る。


 今の俺たちなら。


 戦える。


 多分。


 倒せる。


「俺が――」


 剣へ。


 手を伸ばす。


「待って」


 ミーナだった。


 俺の手が止まる。


「気づかれてない」


「でも、このまま進んだら近づくぞ」


「うん」


 ミーナは。


 アイアンボアを見る。


 それから。


 周囲を見る。


 草原。


 丘。


 街道。


 風。


「……ニール」


「ん?」


「戦うの?」


「え?」


「倒せるかどうかじゃなくて」


 ミーナが言った。


「倒す必要、ある?」


「…………」


 俺は。


 もう一度。


 三匹を見る。


 俺たちには。


 依頼がある。


 荷物を。


 無事に届ける。


 アイアンボアを倒せなんて。


 どこにも書いてない。


 あいつらも。


 俺たちに気づいていない。


 なら。


「……ないな」


 剣から。


 手を離した。


「ハリトは?」


「僕も戦う必要はないと思う」


「じゃあ」


 俺は。


 ミーナを見る。


「ミーナ。どうする?」


「え?」


 ミーナが。


 俺を見る。


「私?」


「俺には分からん」


「威張って言うこと?」


「こういうのはミーナの方が分かるだろ」


「でも……」


 ミーナが。


 一瞬だけ。


 ハリトを見る。


 それから。


 後ろにいるシロナを見る。


 シロナは。


 何も言わない。


「…………」


 ミーナが。


 もう一度。


 草原を見る。


 風を読む。


 地面を見る。


 アイアンボアとの距離を見る。


 そして。


「……戦わない」


 言った。


「丘の南側を回る」


 今度は。


 はっきりと。


「今の風なら、あっちから回った方が私たちの匂いを流しにくい。少し遠回りになるけど、街道には戻れる」


「時間は?」


 ハリトが聞く。


「そんなにかからないと思う」


「危険は?」


「絶対安全とは言えない」


 ミーナは首を振った。


「でも、ここで三匹と戦うよりは低いと思う」


 ハリトが頷く。


 俺は。


 少しだけ考えて。


「分かった」


「……いいの?」


「うん」


 俺は。


 ミーナを見る。


「ミーナに任せる」


「…………」


「頼んだ」


 一瞬。


 ミーナが目を丸くした。


 それから。


「うん」


 小さく。


 笑った。


「任せて」


     ◇ ◇ ◇


 そこからは。


 完全にミーナの領分だった。


「こっち」


 草の高さ。


 風向き。


 地面の状態。


 アイアンボアとの距離。


 一つずつ確認しながら。


 ミーナが先頭を進む。


 俺には。


 何が違うのか分からない。


 右も左も。


 同じ草原にしか見えない。


「なあ、なんでそっち?」


「風」


「風?」


「今、こっちから吹いてるでしょ」


 ミーナが。


 指を立てる。


「私たちの匂いを、あいつらの方に流したくないの」


「…………」


「分かった?」


「全然」


「じゃあ黙ってついてきて」


「はい」


 ハリトが笑う。


「ニールにも苦手なことあるんだね」


「いっぱいあるよ!」


 だから。


 任せる。


 俺に分からないことを。


 分かる仲間に。


 少し進んだところで。


 ミーナが。


 片手を上げた。


 止まれ。


 俺とハリトが。


 すぐに足を止める。


 一匹のアイアンボアが。


 顔を上げていた。


「…………」


 俺の身体が。


 わずかに固くなる。


 でも。


 剣には触らない。


 ミーナを見る。


 ミーナも動かない。


 アイアンボアが。


 鼻を動かす。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 長い。


 やがて。


 アイアンボアは。


 再び地面へ顔を戻した。


 ミーナの手が。


 ゆっくり下がる。


 進め。


 俺たちは。


 また歩き出す。


 そして。


 しばらくして。


「もう大丈夫」


 ミーナが言った。


「気づかれずに抜けたよ」


「おお……」


 俺は。


 振り返る。


 三匹のアイアンボアは。


 もう遠い。


「すげえな」


「何が?」


「いや」


 俺は。


 腰の剣を見る。


「俺だったら、普通に戦ってた」


「知ってる」


「即答するなよ」


「でも」


 ミーナが。


 俺を見る。


「今日はちゃんと止まったじゃん」


「……まあな」


 倒せる。


 だから。


 倒す。


 それだけが。


 冒険じゃない。


 戦えるのに。


 戦わない。


 それだって。


 一つの選択だ。


「それにしても」


 俺はミーナを見る。


「よく分かったな」


「何が?」


「あの道」


「まあね」


「俺には全然分からなかった」


「知ってる」


「それ二回目!」


「だって本当だし」


「だから」


 俺は笑う。


「任せて正解だった」


「…………」


 ミーナが。


 少しだけ目を丸くする。


 その時だった。


「……あれ?」


 ミーナが。


 足を止めた。


「どうした?」


「今……」


 自分の胸元へ。


 手を当てる。


 目を閉じる。


「ミーナ?」


「ちょっと待って」


 しばらくして。


 目を開いた。


「……上がった」


「何が?」


「LEVEL」


「え?」


 ミーナ自身も。


 少し驚いた顔をしている。


「七になった」


「ええっ!?」


「静かに!」


「ご、ごめん!」


 慌てて。


 口を押さえる。


 遠くのアイアンボアを見る。


 動いてない。


 セーフ。


「でも」


 俺は。


 声を落とす。


「一匹も倒してないぞ?」


「私に言われても知らないよ」


 ミーナも。


 首を傾げている。


「LEVELは、魔物を倒した時だけ上がるものじゃないよ」


 ハリトが言った。


「訓練を続けて上がる人もいるし、新しい技術を身につけた時に上がる人もいる」


「じゃあ」


 俺はミーナを見る。


「今の何?」


「知らないよ!」


「ミーナのLEVELだろ!」


「上がる瞬間まで全部分かったら苦労しないって!」


「それもそうか」


 経験。


 俺は。


 その言葉を頭の中で繰り返す。


 魔物を倒す。


 それも経験。


 訓練する。


 それも経験。


 知らなかったことを知る。


 自分で考える。


 自分で決める。


 そして。


 誰かに任される。


 もしかしたら。


 そういうものも。


 全部。


 その人の中に積み重なっていくのかもしれない。


「なんか」


 俺は言った。


「冒険者っぽいな」


「今さら?」


「今さら!」


 ミーナが笑う。


 ハリトも笑った。


 少し離れた後ろ。


 シロナは。


 何も言わない。


 ただ。


 ほんの少しだけ。


 笑っていた。


     ◇ ◇ ◇


 日が。


 傾き始めた頃。


 俺たちは。


 ようやく街道へ戻った。


 予定より。


 少し遅れている。


 でも。


 まだ間に合う。


「今日、どこまで行く?」


 俺が聞く。


「この先に小さな宿場がある」


 ハリトが。


 地図を見る。


「日が落ちる前には着けると思う」


「じゃあ、そこだな」


「うん」


 ミーナも頷く。


 三つ星昇格試験。


 まだ。


 始まったばかりだ。


 魔物は。


 一匹も倒していない。


 派手な戦いも。


 していない。


 それでも。


 ミーナは。


 一つ強くなった。


「次は俺かな」


「何が?」


 ミーナが聞く。


「LEVELアップ」


「そういうの、順番待ちするものじゃないでしょ」


「じゃあハリトか」


「なんで僕なんだよ」


「だってLEVEL八だろ?」


「数字の順番で上がるわけじゃないからね?」


「じゃあ俺か」


「最初に戻っただけじゃん」


 ミーナが笑う。


 俺も笑った。


 いつものように。


 三人で話しながら。


 西へ進む。


 その後ろを。


 試験官のシロナがついてくる。


 俺たちが目指しているのは。


 この先にある小さな宿場。


 今日は。


 そこで一泊する。


 その予定だった。


 ――この時までは。


 俺たちは。


 まだ知らなかった。


 その宿場で。


 次に答えを出さなきゃいけないのが。


 ハリトになることを。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


今回はミーナの成長回でした。


《鉄牙猪》三匹。


今のニールたちなら、戦うこともできたかもしれません。


でも――。


「倒せるか」ではなく、「倒す必要があるのか」。


戦えるから戦うのではなく、依頼の目的を考え、自分たちにとって必要な選択をする。


そしてミーナは、自分の知識と判断で仲間たちの進む道を決めました。


その経験が積み重なり――LEVEL6からLEVEL7へ。


この世界では、魔物を倒すことだけが「経験」ではありません。


何を経験し、何を学び、どう成長したのか。


それもまた、LEVELへつながっていきます。


そして三つ星昇格試験は、まだ始まったばかり。


次に待っているのは、小さな宿場。


そこで今度は――ハリトが「自分で決める」ことになります。


次回もぜひお楽しみに!


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