第三十二話『森から逃げるもの』(改訂版 ver.1.01)
行方不明になった二人の冒険者。
残されたわずかな痕跡を追って、ニールたちは《エルティア大森林》へと近づいていきます。
けれど――。
森から出てきているのは、彼らだけではないようです。
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「そういえばさ」
新しく張り出された依頼書を持って受付へ向かいながら、俺はミーナを見た。
「なに?」
「さっき、なんで遅れたんだ?」
「まだ気にしてたの?」
「気になるだろ。『女の子にはいろいろあるの』とか言われたら」
「あるんだよ。いろいろ」
「だから、そのいろいろって何だよ」
「まずは、これ」
ミーナが片足を少し上げた。
「靴?」
「うん。直してもらってたの」
「あ」
言われて思い出した。
《石角羊》の群れと戦った時。
ミーナは足を痛めていた。
「足、大丈夫なの?」
「もう平気。でも、あの時に靴の留め具も傷んじゃってたみたいで」
「気づかなかった」
「ニールはそれどころじゃなかったでしょ」
「…………」
三十七匹。
思い出したくない数字だ。
「もう無茶しないから」
「本当に?」
「最近みんなそれ聞くな!」
「信用の積み重ねじゃない?」
「悪い方に積み重なってる!」
ミーナが笑う。
「それと、これ」
そう言って、髪に触れた。
琥珀色の小さな髪飾り。
「あ」
見覚えがある。
前にラグナードの露店で買った、ラグナ石の髪飾りだ。
「それ、まだ使ってたんだ」
「なに、その言い方」
「いや」
なんとなく。
嬉しくなった。
「ちゃんと使ってるんだなって」
「…………」
「ん?」
「なんでもない」
ミーナは髪飾りを指で直した。
「こっちも留め具が緩くなってたから、ついでに調整してもらってたの」
「なるほど」
「だから遅れたの」
「なんだ。普通の理由じゃん」
「普通じゃ駄目なの?」
「『女の子にはいろいろあるの』って言うから、もっと何かあるのかと」
「あるよ」
「あるの!?」
「買い物もしてたし」
「何買ったんだ?」
「それは――」
ミーナが少しだけ笑った。
「女の子の事情」
「結局そこは教えないのかよ!」
「教えません」
「余計気になる!」
「ニールさん。ミーナさん」
声がして、二人で振り返る。
受付の向こうで、リディアさんが苦笑していた。
「依頼の説明を始めてもよろしいですか?」
「あ」
「はい!」
「ニール、依頼」
「分かってるよ!」
ハリトまで笑っている。
シロナは何も言わず、にこにこしていた。
なんか。
それが一番恥ずかしい。
◇ ◇ ◇
リディアさんが机の上へ地図を広げた。
「改めて説明します」
俺たち四人が地図を覗き込む。
「行方不明になっているのは、三つ星冒険者のお二人です。男性の剣士と、女性の薬師。二日前、《エルティア大森林》周辺での薬草採取依頼を受けたあと、帰還していません」
「日帰りの予定だったんですよね?」
ハリトが確認する。
「はい。その日の夜になっても戻らなかったため、翌朝から捜索が始まりました」
シロナが地図の一点を指す。
「私が確認できた最後の足跡が、この辺りです」
《エルティア大森林》の手前。
「ここまでは二人分の足跡がありました。ただ、その先で追えなくなりました」
「それで、別の冒険者がこっちで携帯食の包みを見つけた」
俺が別の印を指す。
「はい」
二つの地点は少し離れている。
「今回の依頼は、この周辺で新しい痕跡を探すことです」
「二人を見つけた場合は?」
ミーナが聞く。
「救助可能であれば保護してください。ただし、危険がある場合は無理をせず帰還してください」
そして。
リディアさんの指が、地図に描かれた森の境界をなぞった。
「最も重要なことです。今回の調査範囲は《エルティア大森林》の外縁部まで」
「森の奥には入らない」
俺が答える。
「はい」
「痕跡が続いてても、無理に追わない」
「はい」
「魔物を見つけても、必要がなければ戦わない」
リディアさんが俺を見る。
「…………」
「なんですか?」
「いえ。成長されましたね」
「俺だって学習しますよ!」
「つい先日のことを思い出すと、少し心配ですが」
「うっ」
《石角羊》。
三十七匹。
痛いところを突かれた。
でも。
昨日、シロナが言っていた。
進めることと。
進んでいいことは違う。
「今回の目的は」
俺は地図を見る。
「二人を探して、分かったことを持ち帰る」
「その通りです」
リディアさんが依頼書へ受付印を押した。
「では、お願いします」
◇ ◇ ◇
昼を少し過ぎた頃。
俺たちはラグナードの北門を出た。
途中で街道を外れ、《エルティア大森林》の外縁へ向かう。
そこから先は、ミーナが先頭になった。
「ニール」
「はい」
「私より前に出ないでね」
「出ないって」
「本当に?」
「俺だって学習するんだぞ」
腰のベルトさんへ手を置く。
「な?」
『――回答不能』
「そこは肯定しろよ!」
「静かに」
「……はい」
ハリトが笑っている。
「何だよ」
「いや。いつも通りだなって」
「どういう意味だよ!」
「静かに」
「はい!」
今日は俺が一番後ろでもいい気がしてきた。
ミーナは地面を見ながら進んでいく。
時々しゃがみ。
土へ触れる。
草の倒れ方を見る。
枝を確認する。
耳を動かして、周囲の音まで拾っている。
「……ミーナって」
「なに?」
「ちゃんと斥候なんだな」
ミーナが止まった。
「どういう意味?」
「普段は普通の女の子だから」
「それ、褒めてる?」
「めちゃくちゃ」
「……じゃあ許す」
「よかった」
「でも静かにして」
「はい」
やっぱり厳しい。
◇ ◇ ◇
北へ進むにつれて、大きな木々が見え始めた。
《エルティア大森林》。
「……あそこか」
俺が呟く。
その瞬間。
隣を歩いていたハリトの足が、ほんの少し止まった。
「ハリト?」
「……うん」
「大丈夫?」
「大丈夫」
そう答えたけど。
視線は森へ向いたままだった。
また。
何か感じているのかもしれない。
俺は聞こうとして。
やめた。
昨日。
シロナが言っていた。
最後に足を動かすのは、ハリト自身だ。
だったら。
俺が答えを急かす必要はない。
「ここです」
シロナが足を止めた。
「以前、私が二人の足跡を見失った場所です」
「ここ?」
「はい」
俺には普通の地面にしか見えない。
土。
小石。
草。
以上。
でも。
ミーナはすぐにしゃがみ込んだ。
「…………」
指先で土に触れる。
少し進む。
またしゃがむ。
「ある」
「何が?」
「足跡」
「どこ?」
「ここ」
「…………どこ?」
「これ」
「全然分からん」
「だと思った」
「もうちょっと俺にも分かるように!」
「この少し沈んでるところ」
「全部同じに見える」
「じゃあ諦めて」
「早い!」
ハリトが笑いを堪えている。
シロナまで微笑んでいた。
でも。
ミーナの表情が変わる。
「……ここまでだね」
「ここまで?」
「うん」
ミーナが足跡を追う。
一歩。
二歩。
三歩。
そして止まった。
「この先がない」
「本当に消えた?」
「……待って」
ミーナは答えなかった。
地面を見る。
そのまま少し横へ移動する。
今度は木の根元。
さらに。
少し先の岩。
「ミーナ?」
「……これ」
ミーナが木の根を指差した。
薄く。
泥がついている。
「泥?」
「うん」
今度は岩を見る。
そこにも。
ほんの少しだけ泥が残っていた。
「これって……」
「消えたんじゃない」
ミーナが立ち上がる。
「足跡を残さないように移動したんだと思う」
「わざと?」
「たぶん」
「なんで?」
「分からない」
ミーナが《エルティア大森林》を見る。
「でも」
その耳が、わずかに動いた。
「何かから逃げてたなら……ありえる」
「…………」
空気が。
少しだけ変わった。
「追えますか?」
シロナが聞く。
「やってみる」
ミーナが再びしゃがんだ。
「完全には消せてない。探せば、たぶん残ってる」
「お願いします」
「うん」
俺は。
ミーナの背中を見る。
さっきまで。
女の子の事情がどうとか言ってたのに。
今は。
完全に斥候の顔だった。
◇ ◇ ◇
痕跡は。
少しずつ西へ逸れていた。
地面ではなく。
木の根。
岩。
倒木。
足跡が残りにくい場所を選んで進んでいる。
「やっぱり」
ミーナが言う。
「これ、意識してやってる」
「追われてた?」
「可能性は高いと思う」
その時。
ミーナが急に手を上げた。
「止まって」
全員が止まる。
「何か聞こえる?」
「…………」
ミーナの耳が動く。
風。
葉の擦れる音。
その向こう。
ぱき。
枝の折れる音。
「何かいる」
「どっち?」
「北東」
俺は。
反射的に剣へ手を伸ばした。
でも。
途中で止める。
――進めることと、進んでいいことは違います。
「……今は戦いに来たんじゃない」
手を離す。
シロナが俺を見た。
ほんの少し。
笑った気がした。
「確認だけしたいですね」
「近づかずに?」
「はい」
「あ」
俺は周囲を見て。
一本の大きな木を指差した。
「上からなら見えない?」
ハリトが木を見上げる。
「……いけると思う」
「頼める?」
「うん」
「俺も――」
「ニールは待ってて」
「まだ何も言ってない!」
「音を立てるから」
「俺、そんなに!?」
三人が黙った。
「否定してくれよ!」
◇ ◇ ◇
ハリトは。
あっという間に木を登っていった。
枝を掴み。
身体を持ち上げ。
さらに上へ。
「すげえな」
「森で暮らすエルフにとっては、それほど珍しくありませんよ」
シロナが言う。
「俺も練習したらできるかな」
「《蒼駆》は使わないでくださいね」
「使わないって!」
『――未熟』
「ベルトさんまで!?」
上から。
ハリトの声がした。
「……見える」
全員の表情が変わる。
「人?」
ミーナが聞く。
「違う」
ハリトの声が硬い。
「魔物だ」
「何匹?」
「待って」
少し間があった。
「……かなりいる」
俺たちは顔を見合わせた。
「種類は?」
シロナが聞く。
「一種類じゃない」
ハリトが目を凝らす。
「《グラスドッグ》」
一度、言葉を切る。
「《ロックリザード》もいる」
「一緒に?」
「うん」
「争ってる?」
俺が聞く。
「違う」
「じゃあ何してる?」
「……移動してる」
「どっちへ?」
少し。
間があった。
「森の外」
「…………」
風が吹いた。
木々がざわめく。
違う種類の魔物が。
争いもせず。
同じ方向へ向かっている。
《エルティア大森林》の。
外へ。
「……逃げてる?」
誰も答えなかった。
でも。
みんな。
同じことを考えていたと思う。
《石角羊》も。
そうだった。
「ハリト、戻って」
「分かった」
ハリトが木から降りてくる。
「どうしますか?」
シロナが俺たちを見る。
少し前の俺なら。
たぶん。
こう言っていた。
行ってみようぜ。
何があるか確かめよう。
でも。
「追わない」
俺は言った。
「俺たちは、魔物を調べに来たんじゃない」
地面に残された。
わずかな泥を見る。
「行方不明の二人を探しに来た」
「はい」
シロナが頷いた。
「その通りです」
◇ ◇ ◇
そこから。
痕跡はさらに西へ向かっていた。
森から。
離れる方向へ。
「やっぱり」
ミーナが呟く。
「二人も森から離れようとしてたんだ」
「じゃあ、まだ近くにいるかも」
「うん」
しばらく進むと。
地面が少しずつ岩混じりになってきた。
その時。
「待って」
また。
ミーナが止まった。
「今度は?」
「…………声」
「え?」
全員が黙る。
最初は。
何も聞こえなかった。
でも。
「……おーい!」
遠くから。
かすかな声。
「人だ!」
「向こう!」
俺たちは走り出す。
「ニールさん!」
「分かってる!」
先頭には出ない。
ミーナの後ろ。
ちゃんと周囲を見る。
少し進んだ先。
岩が重なった場所。
「いた!」
二人。
男が。
岩を背にして座っていた。
その手には剣。
そして。
その奥に。
女性が一人。
「冒険者ギルドです!」
シロナが声を上げる。
男の顔が。
一気に緩んだ。
「……助かった」
◇ ◇ ◇
二人とも。
生きていた。
男性の剣士は。
疲れ切っていたものの、大きな怪我はない。
問題は。
女性の薬師だった。
「足を痛めています」
シロナが確認する。
「歩けますか?」
「支えてもらえれば……なんとか」
「無理はしないでください」
ミーナが。
女性の荷物を受け取る。
「どうしてここに?」
ハリトが聞いた。
剣士が。
《エルティア大森林》を見る。
「魔物だ」
「やっぱり?」
「薬草を採ってた時だった」
男が息を吐く。
「突然、森の奥から何匹も出てきた」
「襲われたんですか?」
俺が聞く。
「いや」
男が。
首を横に振った。
「最初は俺たちも、そう思った」
「違った?」
「あいつら」
少し。
言葉を探す。
「俺たちなんか見ちゃいなかった」
「…………」
「走ってたんだ」
男が言う。
「ただ、森の外へ向かって」
ミーナが。
俺を見る。
「何から逃げてたんです?」
ハリトが聞いた。
「分からない」
今度は。
女性の薬師が答えた。
「でも……普通じゃなかった」
「それで二人も逃げた?」
「ええ」
「足跡を消したのは?」
ミーナが聞く。
薬師が。
少し驚いた顔をした。
「分かったの?」
「途中から」
「追ってくる魔物もいたから」
女性が答える。
「匂いの強い薬草を使って、できるだけ痕跡を残さないようにしたの」
「やっぱり」
ミーナが小さく呟いた。
「でも、逃げてる途中で足を?」
「岩場で」
女性が苦笑する。
「私が転んじゃって」
「それで動けなくなった?」
「ええ」
「一人で戻ることも考えた」
剣士が言った。
「でも、こいつを残していくわけにもいかない」
男が。
隣の薬師を見る。
「それに、森の近くへ戻るのは危険だと思った」
「だからここで救助を待ってたんですね」
シロナが言う。
「ああ」
生きていた。
それだけで。
なんだか力が抜けた。
「よかった……」
俺が呟くと。
女性の薬師が笑った。
「ありがとう」
「いや」
まだ。
何もしてない。
でも。
見つけられた。
それでいい。
シロナが立ち上がった。
「帰りましょう」
「え?」
俺が見る。
「依頼は達成です」
「でも」
俺は。
《エルティア大森林》を見る。
魔物たちが。
逃げている。
何かが。
起きている。
気になる。
ものすごく。
気になる。
「…………」
でも。
俺たちは。
何をしに来た?
二人を探しに来た。
そして。
見つけた。
「……うん」
俺は森から目を離した。
「帰ろう」
シロナが。
少しだけ笑った。
◇ ◇ ◇
帰り道。
俺たちは。
行方不明だった二人を支えながら歩いた。
ゆっくり。
ラグナードへ向かう。
「ニール」
ハリトが。
隣へ来た。
「なに?」
「行かなくていいの?」
「どこに?」
ハリトが。
後ろを見る。
《エルティア大森林》。
「気になってるだろ」
「気になるよ」
「じゃあ」
「でも」
俺は。
前を歩くシロナを見る。
「今日じゃない」
「…………」
「俺たちが勝手に決めていいことでもないし」
それに。
今は。
助けた二人を。
ちゃんと街まで連れて帰る。
それが。
俺たちのクエストだ。
「そっか」
ハリトが言った。
「うん」
少しだけ。
胸を張る。
「俺も成長しただろ?」
『――回答不能』
「そこは肯定しろよ、ベルトさん!」
ミーナが振り返る。
「静かに!」
「はい!」
みんなが笑った。
ハリトも。
笑っていた。
でも。
しばらくして。
俺は気づいた。
ハリトが。
もう一度だけ。
後ろを振り返ったことに。
《エルティア大森林》。
魔物たちは。
そこから逃げている。
行方不明だった二人も。
そこから逃げてきた。
なのに。
ハリトだけは。
森の奥を。
じっと見つめていた。
行方不明だった二人を、無事に発見することができました。
そして今回、少しだけ成長したニール。
気になるものがあればすぐに突っ込んでいた彼が、
「今日じゃない」
と、自分で引き返すことを選びました。
けれど、ひとつの依頼が終わったことで、もっと大きな異変が見えてきます。
《エルティア大森林》から逃げる魔物たち。
そこから逃げてきた二人の冒険者。
そして――。
なぜか、その森の奥を見つめるハリト。
森では、いったい何が起きているのでしょうか。
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