第二十六話『力の代償』(改訂版 ver.2.00)
三十七匹の《石角羊》を倒し、ハリトとミーナにまで剣を向けてしまったニール。
そして――そのまま意識を失ってから、三日。
ようやく目を覚ましたニールを待っていたのは、全身の激痛と、自分が何をしてしまったのかという現実でした。
《緊急生存補助》とは何だったのか。
あの異常な強さは、本当にニール自身の力だったのか。
そして最後に聞こえた、
『――仲間に、剣を向けるな』
という謎の声。
勇者の力を使った、その代償。
そして何より、ハリトとミーナにもう一度向き合います。
第二章 第二十六話『力の代償』
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「……ニールさん」
誰かの声がする。
「ニールさん」
聞いたことのある声。
近い。
「……ん……」
「起きられますか?」
ゆっくり目を開ける。
最初に見えたのは、白い天井だった。
「…………」
知らない。
少なくとも、宿の部屋じゃない。
ぼんやりとした頭で身体を起こそうとして――。
「痛っ!?」
全身に痛みが走った。
「動かないでください」
「いっ……てぇ……!」
腕。脚。背中。肩。
指を少し動かしただけでも痛い。
筋肉痛なんてものじゃない。
身体中から、動くなと言われているみたいだった。
「だから言ったでしょう」
「……シロナ?」
「はい」
ベッドの横。
椅子に座っていたのはシロナだった。
長い銀髪。
いつもの落ち着いた表情。
「おはようございます、ニールさん」
「……おはよう」
「正確には――三日ぶりですが」
「…………」
ん?
「三日?」
「はい」
「…………」
「…………」
「え?」
「三日間、眠っていました」
「三日!?」
「叫ばないでください」
「痛っ!」
「ほら」
腹まで痛い。
「俺、三日も寝てたの!?」
「先ほどからそう言っています」
「なんで!?」
シロナの眉が、わずかに動いた。
「覚えていないんですか?」
「…………」
覚えて。
いる。
西の丘陵。
三人で受けた初めての依頼。
予想よりずっと多かった《石角羊》。
群れが動き出して。
ミーナが足を捻った。
ハリトにミーナを任せて。
俺が一人で残った。
《水球》を撃った。
それから――。
《生命危機――検知》
《緊急生存補助――起動》
「…………!」
青い光。
遅くなった世界。
勝手に動く身体。
知らない剣の使い方。
逃げていく石角羊。
それでも。
俺は――。
「ハリト!」
反射的に身体を起こす。
「痛っ!」
「ニールさん!」
「ハリトは!?」
「無事です」
「ミーナは!?」
「ミーナさんも無事です」
「本当に!?」
「はい」
力が抜けた。
「……よかった」
でも。
すぐに別の記憶が戻ってくる。
弓。
短剣。
俺に向けられた武器。
そして。
俺が振り上げた剣。
「…………」
「ニールさん?」
「俺……」
喉が乾く。
「二人に、剣向けたよな」
シロナは少し黙った。
でも。
誤魔化さなかった。
「はい」
「…………」
「ハリトさんから聞きました」
胸の奥が冷たくなる。
「俺……斬った?」
「いいえ」
すぐに返ってきた。
「お二人とも、ニールさんから攻撃は受けていません」
「でも」
「剣を振る直前で止まったそうです」
「…………」
そうだ。
止まった。
いや。
止められた?
違う。
あの時――。
『――仲間に、剣を向けるな』
「……あの声」
「声?」
シロナが俺を見る。
「何か聞こえたんですか?」
「……うん」
俺は覚えていることを話した。
《緊急生存補助》という意味が頭に入ってきたこと。
その直後から、身体が自分のものじゃないみたいに動いたこと。
周りの音が異常なくらい聞こえたこと。
石角羊の動きが分かったこと。
習ったこともない剣の使い方を、身体だけが知っていたこと。
そして最後。
ハリトへ剣を振ろうとした瞬間。
「知らない場所が見えた」
「場所?」
「一瞬だけ」
思い出そうとする。
でも。
掴もうとすると消えていく。
「誰かがいた気がする。何人か」
「誰ですか?」
「分からない」
「顔は?」
「見えなかった」
「知っている人ですか?」
「……それも分からない」
ただ。
変な感覚だけが残っている。
「知らないはずなのに、懐かしかった」
「懐かしい?」
「うん」
自分で言っていても意味が分からない。
「それで声が聞こえた」
「何と?」
「『仲間に、剣を向けるな』って」
シロナはしばらく何も言わなかった。
「……それで止まれたんですか?」
「たぶん」
「その声が誰のものなのかは?」
「分からない」
「その景色も?」
「分からない」
「では」
シロナは静かに言った。
「今は、それ以上決めない方がいいでしょうね」
「やっぱり?」
「はい。ニールさん自身の記憶なのか、《勇者装具》に関係するものなのか、それとも別の何かなのか。判断する材料がありません」
「分からないことは――」
「分からないまま持ち帰る」
二人で同時に言った。
「…………」
「…………」
「最近そればっかりだな」
「少しは身についてきたようで安心しました」
「そこは褒めてくれていいんだぞ?」
「褒めていますよ」
「絶対違う」
少しだけ。
身体の力が抜けた。
◇ ◇ ◇
「そうだ。シロナ」
「はい?」
「森の調査は?」
シロナは《エルティア大森林》の先遣調査へ向かったはずだ。
「昨日戻りました」
「昨日!?」
「はい」
「じゃあ、何か分かった?」
「今はニールさんの身体の方が先です」
「絶対なんかあった言い方!」
「寝てください」
「気になる!」
「寝てください」
「ちょっとだけ!」
「ニールさん?」
「はい」
怖い。
「……そうだ」
もう一つ。
聞かなきゃいけない。
「石角羊は?」
「…………」
シロナが黙った。
嫌な予感がする。
「何匹……倒した?」
「三十七匹です」
「…………」
聞き間違えたかな。
「何匹?」
「三十七匹です」
「…………」
「確認された数では、すべてニールさんが倒したそうです」
「三十七匹!?」
「叫ばないでください」
「痛っ!」
「学びませんね」
「いや、だって三十七匹だぞ!?」
「はい」
「俺が!?」
「はい」
「一人で!?」
「はい」
「…………俺、そんな強かった?」
「違います」
「早い!」
即答だった。
「ここは勘違いしてはいけません」
シロナの表情から、わずかに残っていた笑みが消える。
「ニールさんは、強くなったから三十七匹を倒せたわけではありません」
「…………」
シロナの視線が、ベッド脇へ向く。
そこには。
青の《勇者装具》が置かれていた。
「これが原因だと考えるのが自然です」
「……やっぱり」
「ハリトさんから聞きました。戦っている間、装具がこれまでにないほど強く発光していたそうです」
俺も覚えている。
青い光。
身体へ流れ込んできた、あの意味。
「《緊急生存補助》」
「それが機能の名前ですか?」
「たぶん。装具が動いた時、そういう意味が入ってきた」
「緊急時に、使用者の生存を補助する……」
シロナは少し考える。
「名前だけなら、ありがたい機能ですね」
「名前だけなら?」
「実際には、ニールさんは三日間眠っています」
「…………」
「全身の筋肉と関節に強い負荷。魔力もほとんど空になっていました。身体のあちこちに、通常の戦闘では考えにくいほどの疲労が残っています」
「そんなに?」
「今の状態でよく分かるでしょう?」
「……めちゃくちゃ痛い」
「でしょうね」
シロナは俺の腕を持ち上げる。
「痛っ!」
「こちらは?」
「痛い!」
「では脚は?」
「確認しなくても痛い!」
「元気ですね」
「どっち!?」
シロナが腕を戻す。
「おそらく、ニールさんの身体が普段なら出せない力を、無理やり引き出したのでしょう」
「無理やり……」
「身体能力だけではありません。反応、知覚、魔力。ニールさんの話が正しいなら、戦闘技術にも何らかの影響があった可能性があります」
「じゃあ、俺が強くなったわけじゃない?」
「少なくとも、三十七匹を一人で倒せるほど突然強くなった、と考えるべきではありません」
シロナは少し考えてから続けた。
「言うならば――前借りでしょうか」
「前借り?」
「まだニールさん自身では扱えない力を、無理やり使った」
「…………」
その言葉が。
妙にしっくりきた。
あの時の俺は。
強かった。
でも。
俺じゃないみたいだった。
「だから、三日も……」
「はい」
「寝た」
「はい」
「割に合わなくない?」
「命が助かったのですから、今回は割に合ったと考えてください」
「今回は?」
シロナの声が少し低くなる。
「次も三日で済む保証はありません」
「…………」
「身体が耐えられなければ、もっと長く動けなくなるかもしれません。最悪の場合、何が起きるか私にも分かりません」
ベッド脇の青い装具を見る。
助けてくれた。
間違いなく。
でも。
怖い。
初めて。
そう思った。
「だから」
シロナが俺の額を軽く弾く。
「痛っ!」
「自分から使おうなどとは考えないでください」
「俺が使ったわけじゃないぞ!」
「では、なおさら問題です」
「…………」
確かに。
使い方も分からない。
止め方も分からない。
そんなものを切り札にするなんて。
無茶以前の話だ。
「分かった」
「本当に?」
「うん」
「『危なくなったら、またあれを使えばいい』などと考えていませんね?」
「…………」
「ニールさん?」
「一瞬だけ」
「ニールさん」
「ごめんなさい!」
◇ ◇ ◇
その時。
扉が開いた。
「……起きてる」
聞き慣れた声。
「ミーナ!」
扉のところにミーナが立っていた。
片足には包帯。
杖をついている。
その後ろには。
「ニール」
「……ハリト」
二人とも。
いる。
ちゃんと。
生きている。
「よかった……」
思わず声が漏れた。
「それ、こっちの台詞なんだけど」
ミーナがゆっくりと部屋へ入ってくる。
「三日だよ?」
「……ごめん」
「ずっと起きないし」
「うん」
「シロナさんは大丈夫って言ってたけど」
「ごめん」
「ほんとだよ」
ミーナはそう言って。
でも最後には、少し笑った。
俺はハリトを見る。
「ハリト」
「うん」
「俺……」
言葉が詰まる。
何を言えばいい。
決まってる。
「剣、向けた」
「うん」
「…………ごめん」
ハリトは、すぐには答えなかった。
少しだけ視線を落として。
それから俺を見る。
「怖かったよ」
「…………」
「正直、かなり」
「うん」
「ニールが僕を見てるのに、僕だって分かってないみたいだった」
胸の奥が痛む。
身体中の痛みより。
ずっと嫌な痛みだった。
「ごめん」
「でも」
ハリトが続ける。
「最後に、僕の名前を呼んだ」
「……うん」
「ミーナの名前も」
「うん」
「ちゃんと戻ってきた」
ハリトが少し笑う。
「だから、そのことについてはもういい」
「でも――」
「ただし」
「え?」
「まだ怒ってる」
「…………え?」
「一人で残ったこと」
「そっち!?」
「そっちも」
「ごめんなさい!」
「私も怒ってる」
「ミーナまで!?」
ミーナが杖をついたまま、俺を見る。
「私、あの時、本当にニールに斬られると思ったから」
「…………」
笑えなかった。
「ごめん」
「怖かったよ」
「……うん」
「だから」
ミーナがにこっと笑う。
「足が治ったら蹴るね」
「なんで!?」
「一人で残った分」
「結局そっち!?」
「両方」
「増えた!」
「ニールさん」
シロナが静かに口を挟む。
「怪我人同士で喧嘩しないでください」
「はーい」
「俺まだ寝てるだけなんだけど!?」
ハリトが呆れたように笑う。
ミーナも笑った。
俺も。
少しだけ笑えた。
――よかった。
本当に。
二人が無事で。
今は。
それだけで十分だった。
第二十六話『力の代償』でした。
三十七匹を一人で倒したニール。
数字だけ見れば、とんでもない「勇者覚醒回」なのですが――シロナは即答しました。
「違います」
今回ニールが手にしたのは、突然身についた圧倒的な強さではありません。
シロナの言葉を借りるなら、
「まだ扱えない力の前借り」
です。
命を救ってくれた《緊急生存補助》。
でも、その代償としてニールは三日間眠り続けることになりました。
そして今回、一番書きたかったのは力そのものよりも、ハリトとミーナとの場面でした。
「怖かったよ」
仲間だから、何をされても平気なわけじゃない。
怖かったものは怖かった。
それでも最後にニールは二人の名前を呼び、戻ってきた。
だからまた、一緒に冒険できる。
……まあ、一人で残った件については普通に二人とも怒ってますが(笑)
そして、まだニール自身も気づいていないことがあります。
三日間眠り続け、目覚めても身体はボロボロ。
今のニールには、自分の成長を確かめる余裕すらありません。
まずは身体を治すこと。
すべては、それからです。
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