第四話『森の奥から』(改訂版 ver.1.01)
《エルティア大森林》で遭遇した、レイザーマンティス。
「倒せるか」ではなく、
「何を守るべきなのか」。
初めての護衛戦で、ニールは冒険者として大切なことを一つ学んでいきます。
そしてもう一人。
森へ足を踏み入れてから、ハリトの身にも少しずつ異変が――。
知らないはずの技。
呼ばれているような感覚。
そして、森の奥から逃げてきた魔物。
果たして《エルティア大森林》の奥には、何があるのでしょうか。
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巨大な鎌が、ゆっくりと持ち上がった。
レイザーマンティス。
森の色に溶け込む緑色の外殻。俺の背丈を軽く超える身体。その前脚は、名前の通り刃物みたいな形をしている。
「危険度は!?」
「二! でも正面から鎌を受けないで!」
ミーナが叫ぶ。
「二なら――!」
俺は剣を握り、前へ出ようとした。
「出るな!」
ダリオの声に、足が止まる。
「え?」
「敵だけ見るな! 何を狙ってる!」
何を?
俺はレイザーマンティスを見る。
その複眼が向いている先は――俺たちじゃない。
「……馬?」
荷馬車を引く馬たちが、怯えたように足を鳴らしている。
レイザーマンティスの身体が沈んだ。
「来るぞ!」
次の瞬間。
跳んだ。
速い。
「右!」
誰より早くミーナが叫ぶ。
「オルド!」
「任せろ!」
オルドが馬車の前へ飛び出し、巨大な盾を構える。
振り下ろされた鎌が、盾へ叩きつけられた。
ガンッ!!
「ぐっ……!」
オルドの身体が沈む。
「重っ……!」
「下がらせろ!」
横からカイルの槍が突き出された。
レイザーマンティスが鎌を振る。
カイルは無理に押し込まず、すぐに槍を引いた。
「硬いな!」
「外殻があります!」
セラが杖を構える。
「火は?」
俺が聞く。
「駄目です! ここは森です!」
「あ、そっか!」
「燃やしたら護衛どころじゃないよ!」
ハリトに怒られた。
なるほど。
魔法が使えるからって、何でも撃てばいいわけじゃない。
「セラ、攻撃はいい! 馬を落ち着かせろ!」
「はい!」
ダリオの指示を受け、セラがすぐに荷馬車へ下がる。
レイザーマンティスが再び身体を沈めた。
俺は剣を構える。
「今度こそ――」
「ニール!」
「分かってる!」
走ろうとして。
止まった。
――違う。
俺たちの後ろには荷馬車がある。
俺が前へ飛び出したところで、こいつが俺を狙ってくれるとは限らない。
そもそも。
こいつを倒すのが、俺たちの仕事じゃない。
『俺たちの仕事は、商人と荷物を目的地まで届けることだ』
出発前にダリオが言っていた。
「青! 左の馬を守れ!」
「俺、ニールです!」
「今それどうでもいいだろ!」
「はい!」
俺は馬車の横へ走った。
確かにどうでもよかった。
◇ ◇ ◇
「また来る!」
ミーナの耳が動く。
レイザーマンティスが木を蹴った。
今度は左。
速い。
「ニール!」
「おう!」
剣で受ける?
いや。
あの鎌をまともに受けたら、俺の剣がどうなるか分からない。
なら――。
「水よ!」
手を地面へ向ける。
水が一気に流れ出し、街道の土を濡らしていく。
「何してるの!?」
ミーナが叫んだ直後。
レイザーマンティスが着地した。
濡れた土。
細い脚。
ズルッ。
巨体が大きく傾いた。
「おおっ! 成功した!」
「自分で驚くな!」
「今だ!」
カイルが飛び込む。
槍がレイザーマンティスの脚を横から叩いた。
そこへオルドも、盾を構えたまま突進する。
「押すぞ!」
二人がかりで、レイザーマンティスを馬車から引き離す。
「ミーナ!」
「分かってる!」
ミーナはすでに動いていた。
速い。
正面には立たず、側面へ回り込む。
短剣が狙うのは、硬い外殻じゃない。
脚の関節。
レイザーマンティスの鎌がミーナへ向く。
「させない!」
俺が剣で牽制する。
今度は鎌が俺へ向いた。
「うわっ!」
「だから正面に立たない!」
「今覚えた!」
「遅い!」
でも。
さっきまでとは違う。
一人で戦っていない。
ミーナが敵の動きを読む。
オルドが守る。
カイルが距離を作る。
セラが商隊を守る。
ハリトが全体を見る。
俺は――。
俺にできることをする。
「ニール、もう一度水!」
「おう!」
ハリトの声。
今度は迷わない。
俺は再び水を地面へ走らせた。
レイザーマンティスが濡れた場所を避ける。
その動きを見て、ハリトが弓を構えた。
「そこ……」
小さく呟く。
そして。
ハリトの動きが止まった。
「……え?」
俺には分からなかった。
でも。
ハリトには、何かが見えているようだった。
◇ ◇ ◇
風が吹いた。
木々が揺れる。
葉が舞う。
レイザーマンティスの脚。
外殻。
関節。
鎌の軌道。
次に踏み込む場所。
風の向き。
そのすべてが。
まるで最初から知っていたみたいに、ハリトの中で一つにつながった。
「――そこだ」
弦が鳴る。
矢が放たれた。
「え?」
俺は思わず声を漏らした。
外れた。
そう思った。
矢はレイザーマンティスではなく、その横に立つ木へ向かって飛んでいる。
いや。
違う。
矢は枝のすぐ脇を抜けた。
その瞬間。
風が吹く。
ほんのわずかに。
矢の軌道が変わった。
そして――。
ズッ!
矢が、レイザーマンティスの脚の関節へ突き刺さった。
巨体が崩れる。
「すげえ!」
「今です!」
セラの声。
今度は火じゃない。
杖の先から魔力が走り、レイザーマンティスの周囲の土が盛り上がる。
残った脚の動きを阻む。
「カイル!」
「おう!」
槍が突き出される。
レイザーマンティスが鎌で防ぐ。
だが、その隙にオルドが前へ出た。
「離れろ!」
巨大な盾が、その身体を押し返す。
馬車との距離が開いた。
「ニール!」
「分かってる!」
俺も走る。
剣を構え――。
レイザーマンティスと目が合った。
巨大な複眼。
刃物のような鎌。
でも。
さっきまでとは違う。
片脚を負傷している。
荷馬車からも離れた。
そして、後ろには森がある。
逃げ道だ。
レイザーマンティスが一歩、後ろへ下がった。
「……え?」
さらに一歩。
俺は剣を握り直す。
追えば。
倒せるかもしれない。
素材も手に入る。
経験にもなる。
だけど。
『魔物を追いかけて護衛対象から離れた。その間に別の魔物が荷馬車を襲いました――じゃ、笑い話にもならん』
俺は足を止めた。
「ニール?」
カイルが俺を見る。
「追わない」
「いいのか?」
「ああ」
俺は剣を下げる。
「俺たちの仕事、こいつを倒すことじゃないだろ」
カイルが一瞬だけ黙った。
そして。
槍を下ろした。
「……そうだったな」
レイザーマンティスは俺たちを警戒しながら後退し、そのまま木々の間へ飛び込んだ。
誰も追わなかった。
「ふう……」
剣を下ろす。
後ろを見る。
荷馬車。
商人。
馬。
全部無事だ。
「……守れた」
「ああ」
ダリオが剣を鞘へ戻す。
「それでいい」
その一言が。
なんだか少し、嬉しかった。
◇ ◇ ◇
「……あ」
「どうしたの?」
ミーナが俺を見る。
「素材」
「は?」
「レイザーマンティスの鎌、売れそうだったなって」
「逃がしたんだからないよ」
「だよなぁ……」
「追う?」
「追わない!」
「成長したね、勇者様」
「その言い方やめろ!」
ミーナが楽しそうに笑う。
そこへ商隊の商人がやってきた。
「助かったよ。馬も荷物も無事だ」
「いえ!」
俺は反射的に答えた。
魔物は倒していない。
素材もない。
それでも。
商人は笑っている。
荷物も無事だ。
馬も無事だ。
これでいい。
いや。
これがいいんだ。
「……冒険者って、難しいな」
「今さら?」
ハリトが言った。
「だってさ。魔物が出たら倒すもんだと思うだろ」
「依頼によるよ。討伐なら倒す。護衛なら守る。採取なら目的の物を持ち帰る」
「同じ魔物が出ても、正解が違うのか」
「そういうこと」
「……なるほどなぁ」
勇者だから強い敵を倒せばいい。
冒険者だから魔物を倒せばいい。
そんなに単純じゃないらしい。
――というか。
「ハリト!」
「何?」
「今の矢!」
「ああ……」
「めちゃくちゃすごかったぞ! どうやったんだ!?」
「それが……」
ハリトが自分の弓を見る。
「分からない」
「え?」
「狙う場所が、分かったんだ」
「弱点が見えたってこと?」
「それだけじゃない」
ハリトは弓を握った自分の指を見つめる。
「風も。角度も。矢がどこを通るかも……全部、分かった」
「すげえじゃん!」
「……うん」
でも。
ハリトは笑っていなかった。
「どうした?」
「僕、あんな射ち方……知らないんだ」
俺は黙った。
「練習したこともない。父さんから教わったこともない。それなのに――」
ハリトが自分の胸へ手を当てる。
「身体が知ってた」
「身体が?」
「……そんな感じがした」
風が吹いた。
《エルティア大森林》の奥から。
ハリトの緑色の髪が揺れる。
その瞬間。
ハリトが顔を上げた。
「……まただ」
「何が?」
「さっきと同じ」
ハリトは森の奥を見つめる。
「呼ばれてるような……」
俺も同じ方向を見る。
木々が続いている。
その向こうには、何も見えない。
なのに。
腰の《勇者装具》が、小さく光った。
「また……」
青い核が、一度。
そしてもう一度。
淡く明滅する。
「ベルトさん?」
『――反応』
「何に?」
少し間が空く。
『――不明』
「分からないのか」
『――肯定』
青の《勇者装具》にも分からない。
でも。
何かには反応している。
そしてそれは。
ハリトが森の奥を気にするたび、少しだけ強くなっている気がした。
「……ねえ」
ミーナの声だった。
さっきまでの軽い調子じゃない。
地面にしゃがみ込み、何かを調べている。
「どうした?」
「これ」
ミーナが指差した。
地面に残っているのは、レイザーマンティスの足跡。
「こいつ、どっちから来たと思う?」
「森だろ?」
「うん。でも、変なの」
ミーナが森の奥を見る。
「レイザーマンティスは、もっと森の奥で縄張りを作る魔物なんだよ。街道近くまで出てくることは、あんまりない」
カイルも近づいてきた。
「餌を探してたんじゃないのか?」
「だったら、こんな動き方しないと思う」
ミーナが足跡を追っていく。
「ほら。ここ」
草が倒れている。
枝が折れている。
木の幹にも、新しい傷が残っていた。
「かなり急いでる。途中で何度もぶつかったみたい」
「つまり?」
俺が尋ねる。
ミーナは少し考えた。
「街道に来たんじゃなくて――」
ハリトが続けた。
「森の奥から逃げてきた?」
「……たぶん」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥に何かが引っかかった。
「……待って」
「ニール?」
「それ……前にもなかったか?」
ハリトも気づいた。
「《蒼天遺跡》……」
「ああ」
あの時もそうだった。
本来なら別の場所にいるはずの魔物が移動していた。
何かを避けるように。
何かから逃げるように。
そして。
その先にあったのは――。
俺を待っていた、《蒼天遺跡》。
思わず腰の《勇者装具》を見る。
青い核が、静かに光っている。
「……この森にも」
俺は《エルティア大森林》の奥を見る。
「何かあるのか?」
誰も答えなかった。
ハリトも。
ミーナも。
青の《勇者装具》も。
ただ。
森の奥から吹いてきた風だけが。
俺たちの間を通り抜けていった。
◇ ◇ ◇
その頃。
《エルティア大森林》の深部。
街道から遥か離れた場所で。
小さな変化が起きていた。
長い。
あまりにも長い沈黙。
木々に覆われ。
蔦に埋もれ。
誰にも見つけられることなく。
そこに存在し続けていたもの。
その暗闇に。
緑色の光が灯る。
《戦闘行動――検出》
《技能反応――確認》
《魂反応――上昇》
わずかな沈黙。
《照合――継続》
《追跡――継続》
そして。
そのさらに奥で。
巨大な何かが、ゆっくりと瞳を開いた。
二つの緑色の光。
その視線が向けられている先には。
街道を進む、一人の少年。
弓を背負い。
緑色の髪を風になびかせる少年がいた。
五百年間。
眠り続けていた何かが。
少しずつ。
目を覚まし始めていた。
レイザーマンティスを倒さず、商隊を守ることを選んだニール。
素材も経験も欲しい。
でも、今回の目的は魔物討伐ではなく護衛。
少しずつですが、ニールも「強くなること」だけではない冒険者の仕事を覚え始めています。
一方で、気になるのがハリト。
教わったことも、練習したこともないはずの射ち方。
「身体が知ってた」
さらに、街道へ現れたレイザーマンティスは、何かを求めてやってきたのではなく――森の奥から逃げてきた可能性が浮かびました。
それは、かつて《蒼天遺跡》の周辺で起きていた異変とどこか似ています。
そして《エルティア大森林》の深部で、五百年の眠りから少しずつ目を覚まし始めた“何か”。
青の次に動き始めたものは、一体――。
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