第八話『三人で逃げろ』(改訂版 ver.1.01)
西の森で遭遇した、巨大な《アースボア》。
LEVEL一のニールとLEVEL四のハリトに、まともに戦える相手ではありません。
だから――逃げる。
でも、一人を置いていくのではなく、
「三人で逃げる」
ニールたちが八年間で身につけてきたものが、少しずつ「冒険者としての力」に変わっていきます。
そして、森の奥で起き始めた異変。
七歳のあの日に開かなかった《蒼天遺跡》へ、物語が再びつながり始めます。
改訂版も楽しんでいただけましたら、ぜひブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです!
それでは、
第一章 第八話『三人で逃げろ』(改訂版 ver.1.01)
どうぞ!
巨大な《アースボア》が、地面を蹴った。
土が弾ける。
「走れ!!」
ガレスの声と同時に、俺とハリトは駆け出した。
背後から地面を揺らすような音が迫ってくる。
振り返らなくても分かる。
来ている。
あの巨大な魔物が。
「ニール、前見て!」
「分かってる!」
木々の間を走る。
根を飛び越え、枝を避ける。
その直後だった。
「ふっ!」
背後で鋭い音がした。
金属と硬い何かがぶつかる音。
続いて――。
ズザザザザッ!
巨大なものが地面を削った。
俺は思わず足を止めた。
「ニール!」
ハリトが叫ぶ。
振り返る。
ガレスがアースボアの横をすり抜けていた。
正面から突進を受け止めたんじゃない。
牙へ剣を当てた一瞬だけ、身体をひねった。
たったそれだけ。
なのに――。
アースボアの進む方向が、わずかに変わっている。
「ブォオオッ!」
そのまま巨体が木へ突っ込んだ。
ドォン!!
幹が大きく揺れ、枝葉が降り注ぐ。
「……すげえ」
思わず声が出た。
力で止めたんじゃない。
倒したわけでもない。
あいつの力を――逸らした。
八年間、剣を振ってきた。
だからこそ分かる。
あれは、俺にはできない。
「何止まってんだ!」
「ガレスさん!」
「行け!!」
アースボアが身体を起こす。
その巨体には、ほとんど傷がない。
ガレスは倒そうとしていなかった。
俺たちが逃げる時間を作っただけだ。
「ニール」
隣まで戻ってきたハリトが言う。
「行こう」
「……でも」
「僕たちが残っても、邪魔になる」
分かってる。
俺はLEVEL一。
ハリトはLEVEL四。
あんな魔物とまともに戦えるはずがない。
残ったところで、ガレスが守らなきゃいけない相手が増えるだけだ。
分かってる。
分かってるけど――。
ガレスを見る。
怪しい。
絶対に怪しい。
報酬だって六割取ろうとした。
新人相手に何か企んでいたのかもしれない。
だけど今。
その怪しい一つ星冒険者は。
俺たちを逃がすために、一人でアースボアの前に立っている。
「……三等分」
「何?」
「報酬、三等分になっただろ」
「ニール?」
俺は剣の柄を握った。
「だったらさ」
怖い。
足だって震えてる。
それでも。
「危ないところだけ全部ガレスさんって、おかしくない?」
「…………」
「倒すなんて言わない」
アースボアを見る。
倒せない。
だったら――。
倒さなきゃいい。
「ハリト」
「何?」
「逃げよう」
「それは最初から言ってる」
「三人で」
「…………」
ハリトが俺を見る。
数秒。
それから、大きくため息をついた。
「……そう言うと思った」
「さすが親友」
「褒めてないよ」
「じゃあ行くぞ!」
「ちょっと待って。戻るなら考えてから――」
俺は走り出した。
「ニール!」
「ガレスさんを連れて逃げる!」
「だから考えてから行けって言ってるんだ!」
俺たちは――。
逃げる方向とは逆へ走った。
◇
「おらぁっ!」
ガレスの剣がアースボアの牙へ触れる。
だが。
今度は逸らしきれなかった。
「ぐっ……!」
ガレスの身体が弾き飛ばされる。
地面を転がり、木の根元で止まった。
「ガレスさん!」
「……は?」
ガレスが顔を上げる。
俺たちを見て。
目を見開いた。
「お前ら……!」
アースボアが向きを変える。
前脚が地面を掻く。
「何戻ってきてんだ!!」
「助けに来た!」
「俺が逃がした意味ねえだろ!!」
「倒さなくていい!」
「あ!?」
俺は両手を前へ突き出した。
できることを考えろ。
俺は剣でガレスみたいなことはできない。
LEVELも低い。
だったら。
今の俺に、何ができる?
水。
昔から何度も練習した。
川で。
遊びながら。
何度も失敗して。
顔に水をぶっかけながら。
「《水球》!」
掌の前に水が集まる。
狙うのは――アースボアじゃない。
「そこだ!」
水球を地面へ叩きつける。
弾けた水が、アースボアの足元の土を濡らした。
「ブォッ!?」
突進しようとした前脚が滑る。
巨体がわずかに傾いた。
「ハリト!」
「分かってる!」
弦が鳴った。
一本。
続けて、もう一本。
矢はアースボアを狙っていない。
一本目が木の幹を叩く。
アースボアの頭がそちらへ向いた。
二本目が、その先の低い枝へ突き刺さった。
バキッ!
枝が落ちる。
進路を塞ぐ。
七歳の頃。
レオンさんが見せてくれた弓。
魔物を殺すためじゃない。
矢をどこへ射るかで、相手を動かす。
仲間を助ける。
「ガレスさん、こっち!」
ハリトが叫ぶ。
「お前ら……!」
「早く!」
ガレスが走り出す。
俺たちの横へ来る。
「三等分だろ!」
「はあ!?」
「報酬三等分なんだから、危険も三等分!」
「そういう意味じゃねええええ!!」
森にガレスの怒鳴り声が響いた。
◇
「左!」
ハリトが叫ぶ。
三人で進路を変える。
後ろからアースボアが追ってくる。
「速っ!」
「走れ!」
「走ってる!」
でかい。
なのに速い。
「これ逃げ切れる!?」
「知らねえ!」
「ガレスさん!?」
「俺に聞くな!」
「先輩だろ!?」
「お前らのせいで予定全部狂ったんだよ!」
その時だった。
「止まって!」
ハリトが急に足を止めた。
「何!?」
「前!」
俺も急停止する。
数歩先。
落ち葉の向こうで地面が大きく崩れていた。
深い窪地。
そのまま走っていたら――。
「うわ……」
「右!」
ハリトが進路を変える。
俺とガレスも続く。
「……なるほどな」
走りながらガレスが呟いた。
「何が!?」
「エルフの坊主。お前、森じゃ使えるな」
「今それ言う?」
「褒めてんだよ!」
「じゃあ、もらっとく」
「ハリト余裕あるな!?」
でも。
俺は気づいた。
三人になってから。
ガレスは一度もアースボアとまともに打ち合っていない。
ハリトが道を見る。
俺ができる範囲で足を止める。
危険な時だけ、ガレスが攻撃を逸らす。
誰も倒そうとしていない。
誰も勝とうとしていない。
ただ――。
三人で生きて帰ろうとしている。
あ。
そうか。
ガレスが言っていた。
冒険者の仕事は、魔物を倒すことじゃない。
依頼を達成して――。
生きて帰ること。
「ニール!」
「おう!」
アースボアが距離を詰めてくる。
「もう一発!」
両手を前へ。
「《水球》!」
…………。
ちょろ。
「…………」
「ニール?」
「魔力、ないかも」
「早く言え!」
「今分かった!」
ガレスが怒鳴った。
「だったら使うな! 走れ!」
「はい!」
それならできる!
◇
どれくらい走っただろう。
息が苦しい。
脚が重い。
それでも走る。
やがて――。
「出口!」
ハリトが叫んだ。
木々の向こうに光が見える。
三人で森を飛び出す。
草原。
リーヴェルへ続く道。
まだ走る。
走って。
走って――。
「……来ない」
ハリトの言葉に、俺たちは振り返った。
森の際。
アースボアが立っている。
荒い息を吐いて。
俺たちを睨んでいる。
でも。
出てこない。
「……なんで?」
俺が呟く。
アースボアは森の奥を振り返った。
ほんの一瞬。
それから。
低く唸りながら、再び木々の中へ消えていく。
「…………」
誰も喋らなかった。
やっぱり。
変だ。
俺たちを追ってきたはずなのに。
なのに、あいつは――。
「……逃げてた?」
ハリトが小さく呟いた。
「何から?」
「分からない」
ハリトは森を見る。
「でも、あのアースボア。僕たちを追いかける前から、ずっと後ろを気にしてた」
背筋が少し冷えた。
あんなに大きな魔物が。
何かから逃げていた?
「……とりあえず」
ガレスが地面へ座り込んだ。
「助かったな」
その言葉を聞いた瞬間。
全身から力が抜けた。
「つっかれたぁぁぁ……!」
俺も草の上へ倒れ込む。
「冒険者って毎回こんな感じなの?」
「だったら誰もやらねえよ」
「よかった……」
「よくねえよ」
ガレスが睨んでくる。
「つーか、お前ら」
「ん?」
「なんで戻ってきた」
「言ったじゃん」
「危険も三等分とかいうバカ理論か?」
「うん」
「バカか」
「でもさ」
俺は身体を起こした。
「ガレスさん、一人だったら危なかっただろ?」
「…………」
「だったら、三人で逃げた方がいいじゃん」
ガレスは何も言わない。
しばらく俺を見る。
それから。
「……お前」
「ん?」
「冒険者、向いてねえかもな」
「ええっ!?」
今日なったばっかりなんだけど!?
「普通そこは『向いてる』って言うところだろ!」
「新人が格上の魔物のところへ戻ってくる時点で向いてねえよ」
「でも助かったじゃん!」
「結果論だ!」
「じゃあ結果的には向いてる?」
「調子乗んな」
ごつん。
「痛っ!」
頭を小突かれた。
「帰るぞ」
「え?」
「依頼はまだ終わってねえ」
ガレスが森を見る。
「見たものを全部ギルドへ報告する。そこまでやって依頼完了だ」
俺は。
さっきまでいた森を見る。
勝ってない。
アースボアも倒してない。
グラスドッグだって倒してない。
それでも。
「……そっか」
これも。
冒険なんだ。
◇
リーヴェルへ戻った頃には、空が赤く染まり始めていた。
ギルドの扉を開ける。
「ただいまー!」
受付にいたエマさんが顔を上げる。
俺。
ハリト。
ガレス。
三人を見る。
泥だらけ。
服もボロボロ。
たぶん、すごい顔をしてる。
エマさんから笑顔が消えた。
「……何がありました?」
「アースボアに追いかけられた!」
「はい?」
「すっげえでかかった!」
「ニール」
ハリトが俺の肩を掴む。
「説明が下手すぎる」
「そう?」
「俺が話す」
ガレスが受付へ進んだ。
「西の森の依頼。緊急報告だ」
その一言で。
ギルドの空気が変わった。
エマさんの表情も、一瞬で受付嬢のものになる。
「詳しくお願いします」
俺たちは順番に話した。
森の浅い場所で確認した三匹の《グラスドッグ》。
足跡。
毛。
食べ跡。
それらが増えていたこと。
そして、ただ数が増えたのではなく――。
「森の奥から、外側へ動いてるように見えました」
ハリトが言う。
「外側へ?」
「はい」
そして。
《アースボア》。
エマさんの表情が険しくなる。
「場所は?」
地図が広げられる。
ハリトが指を置いた。
「この辺りです」
「……近いですね」
「やっぱり?」
「ええ。アースボアは通常、もっと森の奥を縄張りにします。この辺りまで出てくるのは珍しいです」
ガレスが腕を組む。
「しかも、縄張りを広げに来た感じじゃなかった」
「といいますと?」
「逃げてた」
答えたのはハリトだった。
「アースボアが?」
「たぶん」
「何からですか?」
「……分かりません」
ギルドの中が静かになった。
エマさんはすぐに別の職員を呼ぶ。
「西の森浅部で受注されている一つ星依頼を確認してください」
「はい」
「状況が確認できるまで、新規受注は停止。それから――調査依頼を出します」
「推奨階級は?」
エマさんは少し考えた。
「三つ星以上で」
三つ星。
俺たちが今日受けたのは、一つ星の依頼だった。
それが。
数時間後には――。
掲示板から依頼書が外された。
代わりに、新しい紙が貼られる。
《西の森・生態系異常調査》
《推奨階級――★★★以上》
「……三つ星」
俺は呟いた。
同じ森なのに。
同じ場所なのに。
俺たちが見つけたものによって、依頼そのものが変わった。
「お前ら」
ガレスが言った。
「今日はもう帰れ」
「ガレスさんは?」
「報告書だ」
「一つ星なのに?」
「お前まだ言うか?」
「だって絶対怪しいじゃん」
「帰れ」
やっぱり怪しい。
「ニール」
ハリトが地図を見ていた。
「ん?」
「これ」
ハリトの指を見る。
アースボアが現れた場所。
そこから、さらに西。
森の奥。
地図の端に近い場所。
そこに。
見覚えのある名前が書かれていた。
《蒼天遺跡》
「…………」
左胸が。
わずかに熱くなった。
「ニール?」
「……なんでもない」
服の上から胸へ手を当てる。
青い痣。
七歳の時。
あの扉の前でも、こんな感覚があった。
でも。
だから何なのかは――分からない。
ハリトが地図を見る。
「グラスドッグは、森の奥から外へ動いてた」
「うん」
「アースボアも、本来いる場所から外側へ出てきた」
「……うん」
ハリトの指が。
ゆっくりと西へ動く。
そして。
《蒼天遺跡》
その少し手前で止まった。
「だったら――」
ハリトが呟く。
「森の奥で、何が起きてるんだろう」
誰も答えなかった。
エマさんも。
ガレスも。
俺も。
答えなんて分からない。
ただ。
俺は地図に書かれた名前から、目を離せなかった。
《蒼天遺跡》
七歳のあの日。
開かなかった扉。
聞こえた、小さな音。
ほんの一瞬だけ見えた、青い光。
そして。
今。
森の奥から逃げてくる魔物たち。
俺は左胸を押さえた。
知りたい。
そう思った。
でも。
昔みたいに、今すぐ走り出そうとは思わなかった。
父さんの言葉を思い出す。
知らないものに近づく時は、一人で決めるな。
知りたいなら、ちゃんと考えろ。
調べろ。
人の話も聞け。
「ハリト」
「何?」
「俺さ」
地図を見る。
「ここで何が起きてるのか、知りたい」
「…………」
「でも――」
俺はハリトを見る。
「勝手には行かない」
ハリトが少しだけ目を見開いた。
それから。
小さく笑った。
「うん」
「ちゃんと調べる」
「うん」
「話も聞く」
「うん」
「それで」
もう一度。
《蒼天遺跡》を見る。
「行っていい時が来たら――」
胸の奥が。
また、ほんの少しだけ熱くなる。
「その時は、自分で決める」
八年前。
開かなかった扉。
その向こうに何があるのか。
俺はまだ――何も知らない。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
今回は、ニールとハリトにとって冒険者になってから最初の大きなピンチでした。
でも二人は、アースボアを倒していません。
ニールは水魔法で足元を崩し、ハリトは矢で進路を変え、ガレスは攻撃を逸らす。
三人がやったのは、
「勝つこと」ではなく「生きて帰ること」。
前話でガレスが言った、
「冒険者の仕事は、魔物を倒すことじゃない」
という言葉を、ニールたちが実際に体験する回でもあります。
そしてもう一つ。
七歳の頃に訪れた《蒼天遺跡》が、ここで再びニールたちの前に現れました。
昔のニールなら、気になった瞬間に飛び出していたかもしれません。
でも今回は、
「勝手には行かない」
「ちゃんと調べる」
「話も聞く」
そして、
「行っていい時が来たら、その時は自分で決める」
と考えています。
八年前、父から教わったこと。
ハリトや仲間たちと経験してきたこと。
LEVELにはまだ表れない成長も、ちゃんとニールの中に残っています。
そして――。
なぜグラスドッグたちは森の外側へ移動していたのか。
なぜ、本来もっと奥にいるはずのアースボアまで逃げてきたのか。
《蒼天遺跡》の周辺で、いったい何が起きているのか。
第一章の冒険は、ここから少しずつ大きく動き始めます。
続きが気になりましたら、ぜひブックマークや評価で応援していただけると、執筆の大きな励みになります!
それでは――次のクエストで!




