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97 絶対零度の番人と伝説の武王――剛力が氷壁を砕くとき

 王都の地下深奥。歴代の王ですら立ち入ることを躊躇った永久氷結貯蔵庫の最下層は、空気そのものが凍りついた死の世界だった。俺が熱量操作で作り出した防寒の結界さえ、パキパキと音を立てて凍りつき亀裂が入るほどの冷気だ。


「見えてきたわ。あれが龍の吐息の祭壇。そして……最悪の不確定要素ね」


 セレフィナの視線の先――青白く発光する巨大な氷の祭壇を守るようにそれは鎮座していた。全長五メートルを超える巨躯。岩石ではなく何万年もの圧縮に耐えた氷の結晶のみで構成された古代の守護者――エターナル・フロスト・ゴーレム。


「グォォォォォン!」


 ゴーレムが動き出した。その一歩ごとに地下空洞全体が地震のように揺れる。


「あわわっ! アキトさん、あれ、私たちが今まで戦ってきた魔物とは魔力の密度が違い過ぎます!」


「逃がしてはくれないようね。いいわ、アキトは下がっていなさい。私の絶対零度で存在理由ごと凍結させてあげる」


 セレフィナが前に出た。銀髪を逆立たせ魔導杖を掲げる。彼女の周囲に幾重もの魔法陣が瞬時に展開された。


「極大魔術――銀世界コキュートス・エンド!」


 セレフィナの放った一撃は触れるものすべてを分子レベルで静止させる究極の氷結魔法だ。


 だがしかし――


「なっ! 吸収……された?」


 氷の槍も凍結の波動もゴーレムに触れた瞬間に巨躯の一部として取り込まれていく。ゴーレムは逆に一回り大きく膨れ上がり透明度を増した。


「演算ミス! いいえ、あいつの体質は氷属性そのもの。私の魔法はあいつにとって食事に過ぎないというの?」


 焦るセレフィナにゴーレムの巨大な拳が振り下ろされる。


「セレフィナさん、危ない! 聖域の防壁アーク・シールド!」


 リナが全魔力を込めて障壁を展開したが、ゴーレムの物理的な質量と冷気の圧力に、障壁はガラス細工のように粉砕された。


「ひゃっ!」


「リナ! ちっ、隙だらけだよデカブツ! 影縫い・氷晶砕き!」


 ミカが影から飛び出しゴーレムの関節部分に魔力を込めた短剣を突き立てる。だが硬度を増した氷の身体に刃は通らず、火花を散らすだけで弾き飛ばされた。


「嘘でしょ? 私の急所穿ちが効かないなんてどんな密度してるのさ!」


「かかか! 嬢ちゃんたち、下がりおれ。氷に氷をぶつけても、ただの足し算にしかならんわい」


 絶体絶命の窮地。今まで俺の隣で「早く酒が飲みてぇのう」とぼやいていた老人がゆっくりと前へ出た。普段は筋肉ダルマだの酒浸りの爺さんだのと揶揄されているが、その背中が今はやけに大きく見える。


「おい……無理すんな、ここは一旦引くのもありだろ?」


 俺は止めようとしたがゴードンの纏う空気の変化に言葉が詰まった。熱い。マイナス百度を超えるこの極寒の地で、ゴードンの周囲だけが、陽炎が立つほどの熱を帯び始めていた。


「アキト、よく見ておけ。魔法だの理論だの、そんなものは小細工に過ぎん。世界を動かすのは、いつだって意志を乗せたこの拳よ」


 ゴードンが古びた外套を脱ぎ捨てた。そこにあったのは鋼を幾重にも鍛え上げたような、老いを感じさせない驚異的な肉体である。


「セレフィナの嬢ちゃん。貴様の魔法は美しい。だが理屈が勝ち過ぎている。氷を壊したいなら単純に氷より硬いもので叩けばいい」


「なに……馬鹿なことを? あのゴーレムの硬度はダイヤモンドすら凌駕するのよ。人の拳で壊せるはずが――」


 セレフィナの言葉が終わる前にゴードンが動いた。


 踏み込んだ一歩で氷の床がクモの巣状に砕け散った。ゴードンの姿が消える。次に俺たちの目に入ったのはゴーレムの眼前に肉薄した老人の姿だった。


「ふんっ!」


 短い吐息とともになんの変哲もない正拳がゴーレムの胴体に叩き込まれた。瞬間――音が消えた。


 衝撃波が一瞬遅れて爆発する。


「グ……ガ……ッ!」


 ゴーレムの巨躯が打撃を受けた場所から逆円錐状に内側へ向かって粉砕されていく。それは単なる力任せの攻撃ではなかった。ゴードンの放つ魔力が拳を通じてゴーレムの体内に浸透し、その構造の共振点を物理的に破壊し尽くしていたのだ。


「武王流・壱の型――山河砕き」


 ゴードンが拳を引き軽く突き出す。パキィィィィィン! という耳をつんざくような快音が地下空洞に響き渡った。ダイヤモンドより硬いはずのエターナル・フロスト・ゴーレムが、まるでただの薄氷のように何千万もの破片となって四散した。


「……嘘……物理攻撃だけで永久氷結の構造を……中和もせずに上書きしたの?」


 セレフィナが呆然と呟く。ミカもリナも言葉を失って立ち尽くしていた。


「ぬはは! 少しばかり筋が鈍っておるのう。若造、なにをしておる。番人はいなくなったぞ。さっさとその氷の欠片とやらを回収せんか?」


 ゴードンは何事もなかったかのように耳をほじりながら俺を振り返った。その顔にはいつもの呑気な爺さんの笑みが戻っていた。


 俺は震える手で祭壇の上に輝く万年氷晶を手に取った。ゴーレムを粉砕したゴードンの熱は今やこの最下層の冷気さえも中和し周囲は驚くほど穏やかな温度になっていた。


「……ゴードンさん。あんた、本当に武王だったんだな」


「かかか! 今更なにを言っておる。儂が本気を出せば王城の壁だろうが王様の胃袋だろうが一発でぶち抜いてやるわい!」


「やめてくださいよ。これ以上、騒ぎを大きくするのは」


 俺は苦笑いしながら手に入れた究極の食材を大切に木箱に収めた。セレフィナは未だに納得がいかない様子でゴードンの腕をまじまじと見つめている。


「非論理的ね。筋肉密度と魔力伝達率の比率が、既存のどの文献にも当てはまらないわ。アキト、後でこの爺さんの細胞を一つ調理していいかしら? その強さの根源を分析したいわ」


「ひ、ひぃ! 嬢ちゃん、それは勘弁してくれ! 儂は食っても不味いぞ!」


「大丈夫ですよ、セレフィナさん。ゴードンさんは美味しいお酒さえあれば、ずっとこのままですからね」


 リナがようやく笑顔を見せ、ミカも「まあ、最強のボディーガードがいるなら、あたしは安心して稼げるかな!」と機嫌を直した。


 伝説の武王の一撃によって拓かれた道。手に入れた万年氷晶は、その表面にゴードンの放った熱の名残を受け、さらに眩い輝きを放っているように見えた。


「よし、地上へ戻るぞ。最高の氷が手に入ったんだ。美食祭、世界を驚かせる準備は整った」


 俺たちは王都の地下から英雄の足跡とともに再び光の射す場所へと歩み出した。

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