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93 王都の闇に煌めく深海の色塩と高笑う貴族

「んん……アキトさん、おはようございます。まだ夢の続きみたいです」


 ふかふかの羽毛布団に包まれたリナが寝ぼけ眼でリビングに現れた。そこには既に高級ソファーを完全に占拠して大いびきをかいているゴードンと、壁に飾られた絵画を「これ裏に隠し金庫とかないかな?」と真剣に調べているミカの姿があった。


「おはよう、リナ。迎賓館の朝食が出るらしいけど――どうする?」


 俺が尋ねるとミカが即座に振り向いた。


「お兄さんの料理以外、今は受け付けないよ! あのシチューのせいで舌が贅沢になっちゃったんだから!」


「同感ね。王宮のシェフには悪いけれど今の私たちの胃袋はアキトの魔力に毒されているわ」


 いつの間にか着替えを済ませたセレフィナが優雅に紅茶を啜りながら現れた。机の上に一枚の黒い招待状を置く。


「アキト、腹ごしらえを済ませたら外出するわよ。王都の裏側、魔導競売場へね」


 俺たちはセレフィナに導かれ王都の商業区の外れにある、窓のない巨大な石造りの塔「金銅の古塔」へと向かった。そこは正規の市場には出回らない魔導具や禁忌の書物、そして――極上の珍味が取引される、貴族や大商人のための社交場だという。


「なんだか……怖いところですね」


 リナが俺の裾をぎゅっと掴む。入り口では黒い仮面をつけた男たちが立っており、セレフィナが招待状を見せると無言で道を開けた。


「ぬはは! なにが出るか楽しみよのう。伝説の武具でもあれば儂が買い取ってやろう!」


「ゴードン、貴方の財布は昨日、酒代で空になったはずよ。アキト、今日の目的は貴方のための道具とスパイス。私の鑑定眼で最高の一品を選んであげるわ」


 場内は円形劇場のようになっていた。豪華なボックス席には素性を隠した貴族たちが座り、冷ややかな視線をステージへと注いでいる。


「次なる出品物は遥か南の深海。一万年に一度、海神の加護を受けた岩塩層からしか採取できない伝説の調味料――深海の色塩でございます!」


 オークショニアの声とともにステージ上の台座に小さな水晶の瓶が置かれた。その中には七色に輝く美しい塩の結晶が入っている。


「深海の色塩?」


 俺は思わず身を乗り出した。


 究極の調理の知識が疼く。あの塩、ただの塩じゃない。食材の旨味を数百倍に引き上げるだけでなく、魔力を調和させる触媒としての性能が極限に達している。


 セレフィナが不敵に微笑む。


「欲しいなら買いなさい。お金なら前回の討伐報酬の残りが山ほどあるわ」


「開始価格、金貨十枚から!」


「金貨二十枚!」

「三十枚だ!」


 場内が沸き立つ。俺はセレフィナの合図で右手を挙げた。


「金貨、百枚」


 一瞬、会場が静まり返る。


「えっ、アキトさん……金貨百枚って家が建ちますよ?」


 リナが震えている。だが俺には確信があった。あの塩があれば王宮のどんな食材も神の供物に変えられる。しかし上方の特等席から遮るような高笑いが響いた。


「はっはっは! どこぞの成金かと思えば薄汚いエプロンを着た男ではないか? 貴様のような奴がこの至高の塩を扱えるとでも? 豚に真珠、農奴に金貨だな」


 そこには豪華な刺繍を施したローブを纏い、太った指にいくつもの魔導指輪をはめた男がいた。


「金貨、二百枚。王宮に仕える我がガストル侯爵家が、その塩を正しい場所へ導いてやろう」

「ガストル侯爵――ね」


 セレフィナの目が氷のように冷たく細められた。


「あいつ、王宮の食糧管理局の責任者よ。それに現王宮筆頭料理人ゼノスの最大の後援者でもあるわ」


 ガストル侯爵は見下すような視線を俺たちに向けた。


「ゼノス様は仰った。王都に料理で人を惑わす偽物が現れたようだが、道具が良ければ誰でも美味いものは作れるとな。この塩はゼノス様が来週の美食祭で国王陛下に捧げる究極の皿のために使われるのだ。雑魚は引っ込んでいろ」


「三百枚」


 俺は静かに――だがはっきりと告げた。


「な、なんだと!」

「道具が良くても使い手が食材の声を聞けなきゃ意味がない。その塩はあんたたちの見せびらかしの道具にするにはあまりにも勿体ない」

「貴様っ!」


 会場の熱気は今や俺と侯爵の意地の張り合いに集中していた。ミカは「お兄さん、かっこいいけど……お金大丈夫?」とハラハラし、ゴードンは「面白い! 若造、言わせておけ!」と拳を鳴らしている。


 結局、侯爵がプライドを爆発させて「金貨五百枚!」と叫んだところで俺は手を引いた。


「諦めるの、アキト?」


 セレフィナが意外そうに俺を見る。


「いや、あいつの顔を見て確信した。あの侯爵、深海の色塩を今夜のパーティーでただの珍しい見世物として使うつもりだ。それなら正しく使われるべき場所へ奪い返すだけだよ」


「奪い返す? 泥棒でもするつもり?」


「まさか……料理人なら料理でわからせる。美食祭を待たず王宮に乗り込む口実ができた」


 俺の目は既にその先――侯爵の背後にいる、まだ見ぬ筆頭料理人ゼノスとの戦いを見据えていた。


 オークション終了後。会場を出ようとする俺たちの前に塩を手に入れたガストル侯爵が勝ち誇った顔で立ち塞がった。


「ふん、賢明な判断だったな。身の程をわきまえよ。お前のような野良料理人が王宮の権威に勝てるはずがないのだ」


 俺は侯爵の目を真っ直ぐに見つめ一歩前に出た。


「侯爵。その塩、せいぜい大事に持っておいてくれよ。近いうちにあんたが一番信頼している料理人に、その塩を使っても勝てない相手がいることを証明しにいくからさ」


「……なんだと?」


「王宮筆頭料理人ゼノスに伝えてくれ。聖域の調理師がキッチンを掃除しに行くとな」


 言い放ち俺たちは背を向けた。後ろで侯爵が激昂する声が聞こえたが誰も振り返らなかった。


「言っちゃいましたね、アキトさん。王宮に喧嘩を売っちゃいました」


 リナが今にも倒れそうになっている。


「いいじゃない! 盛り上がってきたよ! あたしたちも全力でサポートするからね!」


 ミカが拳を突き出す。


「ぬはは! 王宮の鼻を明かしてやるか! 酒が美味くなりそうだわい!」


 セレフィナだけが少しだけ心配そうに、しかし楽しそうに俺の隣を歩く。


「アキト、ゼノスは卑劣よ。でも貴方の今の顔、嫌いじゃないわ」


 王都の夜。オークションの熱狂はそのまま王宮を揺るがす食の戦争へと繋がっていく。

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