89 武王、山を穿つ――聖なる泉の強行開放と源流の雫が育む清流の水晶蒸し
傲慢の砦を仰ぎ見てリトス村の背後にそびえる、本来なら村人たちの命を繋ぐはずの聖なる泉。そこを塞ぐようにして建てられたガルド男爵の屋敷は見るからに悪趣味だった。
成金の象徴のような金細工が施された壁に不自然に高い見張り塔。そしてなにより俺の鼻を突いたのは、水を堰き止めたことで淀んでしまった、源流の悲鳴のような澱んだ魔力の匂いだった。
「趣味が悪いな。食材を腐らせる料理人を見る時と同じ不快感だ」
俺が呟くと隣に立つセレフィナが扇子を広げ、優雅に、しかし氷のように冷たい視線で屋敷を見上げた。
「同感ね。流体力学への冒涜、かつ景観への暴力だわ。あの水門の配置――設計者の知能指数がオークの平均値以下であることを雄弁に物語っているもの。アキト、あんなガラクタ一秒でも早くこの地上から抹消すべきだとは思わないかしら?」
「あはは……セレフィナさん、相変わらず手厳しいですね。でもあそこにある大きな石の壁、どうやって壊すんですか? 魔法でドカンとやっちゃいます?」
リナが不安そうに杖を握り締める。それに対してミカが腰の短剣を弄びながらニヤリと笑った。
「魔法もいいけどリナちゃん、うちにはもっと物理的で非論理的な破壊兵器がいるでしょ?」
視線の先ではゴードンが巨大な斧を肩に担ぎ今か今かと鼻息を荒くしていた。
「かかか! ようやく儂の出番か! 若造、あの水門をぶち抜けばまたあの美味い麺が食えるようになるのだな? だったら話は早い。この鉄嶺の峠を越えてきた儂の筋肉が、あの程度の石ころに負けるはずがないわい!」
「ああ、頼む。だが、ただ壊すだけじゃ芸がない。村に水が戻るように水路を掃除しながら道を作ってくれ。そのための景気付けだ」
俺はあらかじめ用意しておいた『瞬発の赤身肉バー・聖域仕立て』をゴードンの口に放り込む。
「ぬおおおおおっ! なんという熱量だ! 全身の血が溶岩のように滾っておるわ!」
ゴードンの身体から真っ赤な闘気が噴き出す。俺が作った肉バーには食べた瞬間に筋繊維の結合密度を一時的に最大化させる魔理を組み込んである。
「セレフィナ、サポートを頼む。ゴードンの力は一点に集中し過ぎる。衝撃波で屋敷が村まで流されたら困るからな」
「注文が多いわね、三流料理人。仕方ないわ、私の完璧な演算を野蛮な暴力に貸してあげる。リナ、貴方は衝撃の余波が村に行かないよう障壁の角度を調整しなさい」
「はいっ!」
「ミカとギンは屋敷から出てくる兵士たちの無力化だ。殺すなよ、面倒だからな」
「了解、お兄さん!」
指示を出すと同時に俺たちは動き出した。
「ぬんっ!」
ゴードンが地を蹴った。その一歩で地面がクレーターのように陥没し、巨大な弾丸となって屋敷の正面――水門へと肉薄する。
「そこよ、筋肉ダルマ。左から三番目の石材。そこに全構造の応力が集中しているわ。そこを叩けばドミノ倒しのように水路だけが再構築される」
セレフィナが空中に魔法陣を展開し、ゴードンの視界に叩くべき点を投影する。
「ガッテンよ! 武王流・開拓奥義――山穿ち!」
咆哮とともに放たれた大斧の一撃。それはもはや切るという次元を超えていた。空気の壁を物理的に押し潰し衝撃波が真空の渦となって水門へ叩きつけられる。
「ぎ、ぎゃあああああ! 何事だ!」
屋敷からガルド男爵が飛び出してきたが時既に遅し。ズズズ……ドォォォォォォォン! 轟音とともに巨大な石壁が粉砕された。しかしセレフィナの誘導とゴードンの正確な一撃により、砕けた石は村を襲うのではなく、堆積していた泥を押し流しながら新たな水路の壁として綺麗に両脇へと積み上がっていく。
「かかか! どうだ、若造! 儂にかかれば水路工事など赤子の手を捻るより容易いわ!」
誇らしげに笑うゴードンの背後から堰き止められていた清らかな源流が龍のような勢いで村へと駆け下りていった。
「お、おのれ! 私の……私の美しい庭が水浸しに! 衛兵! 衛兵はなにをしている!」
ガルド男爵がヒステリックに叫ぶが、自慢の衛兵たちは既にミカとギン、そしてリナの連携によって一人残らず地面に転がされていた。
「あーあ、男爵さん。そんなに叫ぶと、せっかくの綺麗な服が台無しだよ?」
ミカが男爵の首筋に冷たい短剣を当てる。
「ひ、ひぃっ! 命だけは……命だけは助けてくれ! 貯め込んだ金でもなんでもやる!」
「金か……セレフィナ、この男の処遇はどうする?」
俺が尋ねるとセレフィナはゴミを見るような目で男爵を一瞥した。
「処刑する価値さえないわね。アキト、この男の資産をすべて村の復興に充て、本人は王都の法務局へ『不当な資源独占および魔力汚染罪』で突き出してあげればいいわ。幸い、私の知人にはこの手の罪状に厳しい官僚がいるの」
「お前の知人が一番恐ろしそうだな。まあ、そうしよう」
俺は男爵を縛り上げさせると、屋敷の食料庫を検品することにした。村から奪った食材が山のように積まれているはずだ。
「ほう、これは……」
奥の棚に見つけたのは源流の最深部にしか生息しないという幻の淡水魚――銀鱗岩魚。それも最高の活きの良さだ。
「よし、今夜のメニューが決まった。村の再開祝いだ。最高のご馳走を作ってやる」
調理:清流の結晶を皿に乗せて村の中央。再び水が溢れ活気を取り戻した広場で俺は巨大な蒸し器をセットした。村人たちが歓声を上げる中、俺の包丁が閃く。
調理工程:源流の魂を呼び覚ます『銀鱗岩魚の水晶蒸し』
不純物の完全排除:【究極の調理】:分子浸透洗浄。
取り戻したばかりの源流の水を使い、魚の細胞膜を傷つけることなく、泥臭さの元となる成分だけを魔力で洗い流す。魚の表面が鏡のように光を反射し始める。
旨味の熱量密封:魚の腹に村のハーブと俺が持参した世界樹の若葉を詰める。
熱量の絶対掌握:飽和蒸気定着。
普通に蒸すのではない。蒸気の粒子を極限まで細かくし、魚の繊維の奥深くまで水そのものの甘みを叩き込む。
魔力による温度微調整:屋敷から没収した最高級の蜂蜜と村の特産である発酵させた木の実を合わせる。
【究極の調理】:香味成分多層結合。
「よし、完成だ。『源流復活の水晶蒸し・聖域の雫添え』。村のみんなで分けてくれ」
濁流蓋を開けた瞬間、広場に清涼感そのものが爆発したような香りが広がった。
「な、なんだこの香りは! 鼻を通るだけで疲れが吹き飛ぶようだ!」
村長が震える手で魚を口にする。
「……美味しい……。川の味がします。アキトさん、ありがとうございます!」
子供たちが輝く水飛沫の中で魚を頬張っている。
「相変わらず暴力的なまでに食欲を煽る構成ね。アキト、私の分は当然、特別に味を調整してあるのでしょう?」
セレフィナが言葉とは裏腹に誰よりも早く箸を動かしている。
「かかか! これよ、これ! この魚の身の締まり、そしてこのタレ! 斧を振った甲斐があったわい!」
ゴードンは樽いっぱいの酒(これも男爵の酒蔵からだ)を片手に豪快に笑っている。
「お兄さーん! おかわり! まだ魚、あるよね?」
ミカとギンも村の若者たちと一緒になってどんちゃん騒ぎだ。俺は再び流れ始めた澄んだ水の音を聞きながら静かに自身の分を口にした。ふむ。水が良くなれば料理の質はここまで上がるのか? 王都へ行けばもっと珍しい食材、もっと素晴らしい水に出会えるだろう。
「王都への旅路、幸先は良いな」
俺は嬉しそうに走り回るリナや仲間たちの姿を見ながら明日への活力をじっくりと腹に収めた。一皿一皿が行く先々の絶望を希望へと書き換えていく。俺たちの王都遠征は、まだ始まったばかりだ。




