第5話
「王都の方なら、あるかもしれないけど……」
レメリィは歩みを緩め、ふと空へ視線を逃がした。
顎に指先を当て、とん、とん、と軽く叩く。
木々の隙間から差し込む光が、横顔を淡くなぞる。
「見たことないわね、そんなの」
くるり、と振り返る。後ろ手に組んだ腕。
淡いブロンドがさらりと揺れ、
陽を受けてやわらかく光る。
わずかに前屈みの姿勢。
無防備で、自然で──完成されている。
(…今これは、ヤバいな…)
シンガは内心で呟きながら、満水の桶を抱え直す。
(無意識、だろうけど…)
視線を逸らそうとするほど、逆に引き寄せられる。
意識した時点で、もう逃げ場がない。
「あ、でも──ちょうどいいかもよ?」
レメリィは後ろ向きのまま数歩進み、ぴたりと止まった。
「何が?」
「もうすぐ王都から人が来る時期だから」
「王都?」
「そう。毎年この時期に来るの」
「誰が?」
「王家の人」
(王家……王族、ってことか?)
「今年、成人するのがいるから、必ず来るわ」
いたずらっぽく笑い、今度は前を向いて歩き出す。
その背中を見ながら、シンガは現実感の薄い言葉を反芻した。
──王都と王家。
どこか遠い世界の話のようでいて、
今自分がいるこの場所と繋がっている。
こんな話になったのは、少し前のことだ。
◇
レメリィにもらった肉を食べ終え馬小屋を出た。
外はひどく静かだった。
一晩の寝床を借りられただけだったが、
奇妙な安心感が残っている。
その感覚を振り切るように、
外で待っていたレメリィに声をかける。
「ありがとう、待たせた」
「ん。じゃ、いこっか」
二人は村長の家へと向かい、桶を持ち出す。
そのままレメリィに連れられ、村の外へ向かう。
歩きながら、視線を感じていた。
——だが、それは敵意ではなかった。
警戒でも、拒絶でもない。
ただ、珍しいものを見るような目。
(……なんだろうな)
居心地の悪さと、どこか拍子抜けするような感覚が混ざる。
門の近く、櫓の上には昨日も見た男が立っていた。
「さっき見てきたから大丈夫だ。だが、油断はするなよ?」
レメリィに向けられた声は、低く、抑えられている。
「うん、わかった」
素直な返事。
その直後だった。
「おい、お前」
男の視線が、シンガに向く。
「村長が決めたにしても、ワーゲルは黙っ——」
「ダイノ」
レメリィの声が割り込む。
しかし、
「ワーゲルはレメリィの——」
「ダイノ!」
今度は、明確な拒絶だった。先ほどよりも強く、大きく。
その目に、一瞬だけ鋭い光が宿る。
「……チッ。わかったよ。お前…しっかり手伝うんだぞ!」
吐き捨てるように言い、男——ダイノは手を振った。行け、という合図。
それ以上は何も言わなかった。
森の中へと続く道を、二人で歩く。
(ワーゲル……?)
昨日、村長の家で見た男の姿が浮かぶ。
大きく引き締まった体躯。鋭い視線。
(あいつのことか……)
レメリィが臆せず言い返していた相手。
(レメって呼んでたしな……)
そういう関係なのだろう、と自然に納得する。
得体の知れない男を連れ帰れば、
ああいう反応になるのも当然だ。
「はぁ……」
思わず、ため息が漏れた。
(助けてもらっただけだ。それだけだ)
そう言い聞かせるように、足を進める。
しばらくして、小川に出た。
森の中を流れる水は澄み切っていて、
光を受けてきらきらと輝いている。
水量も豊富で、流れは思ったよりも力強い。
(ここで、水汲みか…?)
レメリィは川辺に立ち、水面をじっと見つめている。
動かない。
声もない。
「あの……レメリィさん?」
おそるおそる声をかけた、その瞬間——
「もういい加減にしてよ!」
弾けた。
「いっつも見張って!」
「子どもじゃないんだから!」
「ほっといてくれていいでしょ!」
「ダイノもなんなの!?」
「すぐ報告しに行くし!」
「ほんっと腹立つ!」
一気に吐き出される言葉。
感情が、抑えきれずに溢れていた。
その勢いに、シンガは一歩たじろいだ。
「あのー……?」
肩で息をしているレメリィに、恐る恐る声をかける。
「あ……ごめんね。ちょっと我慢できなくて」
ふっと我に返ったように、苦笑いを浮かべた。
「水、汲もっか」
「……はい」
ザブッ、と桶を水に沈める。
持ち上げると、ずしりと重い。
体のあちこちが軋む。
だが、不思議と嫌ではなかった。
そのまま二人で歩き出す。
しばらく無言が続いたが、先に口を開いたのはレメリィだった。
「あの……ごめんね?」
「え、何が?」
「さっきの」
「ああ……大丈夫です」
平静を装う。少しだけ距離を置く。
(助けてもらっただけだ。単にそれだけだ)
繰り返すように、心の中で言葉を重ねる。
桶の重さに軋む痛みが今はありがたかった。
「ワー兄がね、過保護すぎるの…頭きちゃって」
───?
聞き慣れない呼び方に、思考が止まる。
「ダイノも一緒になっちゃって、嫌んなる!」
「…わあにい…って?」
「え? 昨日おじいちゃんちで会ったでしょ?」
「え?」
「部屋出たとこに立ってた、無駄にでかい奴!」
「ああ…」
「あれ、ワーゲル。お兄ちゃん」
「お兄ちゃん…」
「さっき門にいたのがダイノ、ワー兄の幼馴染」
「幼なじ…」
その瞬間だった。
胸の奥にあった何かが、すっと軽くなる。
理由は…はっきりしない。
だが、確かに——軽い。
気づけば、口元が緩んでいた。
(……なんだこれ)
抑えようとしても、抑えきれない。
重い桶を抱えているはずなのに、足取りが妙に軽い。
レメリィは、少し不思議そうな顔をした。
その時なぜか、
「……あれ?」
ふと、疑問が浮かぶ。
「この水汲みって、毎日やってるの?」
「え?うん…今はね…」
「今は?」
レメリィは話し始めた。
村のこと。昔のこと。
数千年前、この森に辿り着いた先祖の話。
泉を中心に築かれた村。
だが数年前、泉の水量が急に減り始めたこと。
地下水の流れが変わったのだろうという推測。
過去にも同じことがあり、十年ほどで元に戻ったこと。
それまでの間、川から水を運んでいること。
話を聞きながら、シンガは考える。
「川から引いてこれないのか?」
「え?」
「水路とか掘って、村まで持ってくるとか」
レメリィは首を振る。
「無理よ。川の方が少し低いもの」
(低い……?)
その言葉で、何かが引っかかった。
——水車。
小学校の校外学習。
水を汲み上げる、大きな輪。
「……水車って、ないのか?」
「すいしゃ?」
首をかしげる。
シンガは、できるだけ分かりやすく説明した。
水の力で回る輪。
そこに付いた箱で、水を上に運ぶ仕組み。
レメリィは目を見開く。
「そんなこと……できるの?」
「たぶん」
「見たことも聞いたこともない……」
「王都の方なら、あるかもしれないけど……」
◇
——王都と王家。
どこか遠い世界の話のようでいて、
今自分がいるこの場所と繋がっている。
その言葉と、レメリィのいたずらっぽい笑み。
その意味を考えながら、シンガは思考を巡らせる。
(……作れるか?)
思考が回る。
その瞬間——
視界の端に、無機質な文字が走った。
>> LSS Database access attempt : feature not available
(……なんだ、これ)
思考が、引っかかる。
——“知っているはずの何か”に、触れ損ねた感覚。
(機能未開放……?)
理解は追いつかない。
だが、ひとつだけ分かる違和感。
——何かが、“まだ使えない”。
その感覚だけが、静かに残った。
《続く》
少しでも面白い、続きが読みたいと思って頂けましたら、
ブックマークや高評価を頂ければ、尻尾振って喜びます。




