──Interlude : CASTLING──
加藤真我。二十歳。
物心ついた時には、すでに施設にいた。
十八歳になるまで、そこが家だった。
親の顔は知らない。
親戚に会ったこともない。
だが、不幸だと思ったことはなかった。
施設には飯があった。
眠る場所もあった。
職員はみんな厳しかったが、そこには確かな優しさがあった。
専門学校へ進学したいと言った時、施設長は反対しなかった。
学費まで工面してくれた。
ありがたいと思った。
卒業後は、そのまま施設に就職する予定だった。
自分と同じような子どもたちの、面倒を見る仕事だ。
少なくとも、不幸ではなかった。
卒業まで、あと半年ほど。
そんな、金曜日の朝だった。
◇
枕元で鳴る電子音に、シンガはゆっくりと目を開けた。
「……ぅ」
眠い。
昨夜はノートPCでレポートをまとめていた。
提出期限が近く、かなり遅い時間までやっていた。
頭が重い。
感覚的には、ついさっき寝たばかりだった。
ぼんやりと天井を見る。
見慣れたアパートの天井。
白い壁紙。
隅にある薄い染み。
起きないとまずい。
そう思うのに、身体がベッドに沈み込んだまま動こうとしない。
このまま横になっていたら、間違いなく二度寝する。
シンガは小さく息を吐き、無理やり上半身を起こした。
ベッドに腰掛ける。
そこまでは、はっきり覚えている。
カーテンの隙間から朝日が差し込み、横から顔を照らした。
眩しかった。
思わず目を細める。
――その瞬間だった。
「――っ」
目が覚めた。
今、この瞬間に初めて覚醒したみたいに。
意識が急浮上する。
夢を見ていた感覚はない。
今が夢だという感じもしない。
間違いなく今、目を覚ましたのだ。
知らない場所で。
「…………ぇ?」
喉から漏れた自分の声が、やけに遠く聞こえた。
真っ白な部屋だった。
無機質な“塗り潰された白”。
照明らしきものは見当たらない。
部屋全体が発光しているみたいに明るかった。
周囲には大量の白い機械が並んでいる。
低い駆動音だけが、空間の奥で不気味に響いている。
シンガは息を呑んだ。
自分だけが、その機械群から少し離れた場所にいた。
いや。
据え付けられていた。
ついさっきまでベッドに腰掛けていた、その姿勢のまま。
無骨な椅子に固定されていた。
椅子は異様に巨大だった。
金属の骨組みに、白い装甲みたいなものが何層も被さっている。
周囲の機械とは、何本もの白いコードで繋がっていた。
背筋が粟立つ。
手首。
足首。
首。
硬質な拘束具が食い込むように固定していた。
反射的に身体を捩る。
だが、びくともしない。
金具がわずかに軋む音だけが響いた。
「な……」
──んだよこれっ!
叫ぼうとした。
だが。
「ぁ……?」
声が出ない。
喉がまともに動かなかった。
空気が掠れるような音しか漏れない。
心臓が一気に跳ね上がる。
呼吸が浅くなる。
意味が分からない。
どうしてこんな場所にいる。
さっきまで、自分はアパートにいたはずだ。
ベッドに座って――。
「いきなりで済まないね……」
不意に声がした。
いつの間にそこにいたのか。
白い部屋の奥に、一人の男が立っていた。
白衣を着た男。
三十代後半ほどに見える。
不気味なほど緩やかな笑みを浮かべている。
「私はアルファ。科学者だよ」
穏やかな声だった。
だが、シンガは言葉を返せない。
急に知らない場所で目を覚まし、拘束され、見知らぬ男に自己紹介されている。
意味が分からなかった。
「……ぁ……」
喉を震わせるが、まともな声にならない。
アルファは気にした様子もなく、ゆっくり近づいてきた。
靴音すらしない。
男はシンガの横まで来ると、軽く屈み込み、耳元で囁いた。
「これは実験でね。キャスリングというんだが……」
吐息が耳にかかる。
シンガは顔を強張らせた。
アルファはそのまま、ちらりと横へ視線を向ける。
「君は今、こちらの世界に来たんだよ」
それだけ言うと、アルファは耳元から離れた。
シンガは呆然と男を見つめる。
(……実験?)
(世界……?)
理解が追いつかない。
何を言われているのか、一つも分からなかった。
だが、男の口調だけは妙に自然だった。
冗談を言っているようには見えない。
「“リ”キャスリングで君を戻す準備をしてるから、ちょっと待ってね」
アルファは穏やかな声でそう言った。
低い駆動音が響く。
シンガは必死に何かを叫ぼうとした。
だが喉は掠れた空気しか吐き出さない。
そんなシンガを見て、アルファは小さく笑う。
「問題ない。理論上は100%戻せるからね。君のいた世界に」
その言葉に、シンガはわずかに息を呑んだ。
意味は分からない。
状況も理解できない。
だが、“戻せる”という一言だけは、頭に強く残った。
帰れる。
その事実だけが、沈みかけていた意識を辛うじて繋ぎ止める。
アルファはそんなシンガを見て、小さく肩を竦めた。
「とはいえ、迷惑だよね。お詫びに、これを――」
そう言って、白衣のポケットへ手を入れる。
取り出したのは、銃のようなものだった。
だが普通の拳銃ではない。
全体が白く、継ぎ目もほとんど見えない。
妙に滑らかな形状をしている。
アルファはそれを、何の躊躇もなくシンガの首筋に当てた。
「私からの、ささやかな贈り物だよ」
「――っ!?」
次の瞬間。
首筋に鋭い衝撃が走った。
「ぐっ――!」
焼けるような痛み。
思わず呻く。
全身がびくりと跳ねた。
何かを撃ち込まれた。
そう理解した時には、熱が首から広がりはじめていた。
「使い方は、すぐ分かるだろう……」
アルファはそう言いながら一瞬だけまた視線を横に向けた。
その声が、少し遠く聞こえる。
視線を戻し、微かに笑みを浮かべ言った。
「生存率が上がるはずだよ」
直後だった。
部屋中に警報音が鳴り響いた。
赤い光が明滅する。
真っ白だった空間が、一瞬で赤に染まった。
アルファが僅かに目を細める。
その時。
頭を殴られたかと思うほどの爆発音と共に、部屋が揺れた。
「……あぁ、まずいな」
抑揚のない声だった。
感情というものを削ぎ落としたような、機械的な響き。
「エネルギーが足りないが、仕方ない」
アルファはそう呟き、静かに機械の並ぶ方へ歩いていく。
「リキャスリングしよう」
警告灯が赤く点滅していた。
耳障りなアラート音が、崩れかけた研究室に断続的に響いている。
「今死ぬよりはいいだろう?」
一度だけ振り返り、アルファはシンガへ視線を向けた。
だが返事はない。
シンガの意識は、すでに限界寸前だった。
さきほどの爆発。
脳を揺さぶる衝撃。
視界は白く霞み、音も遠い。
意識そのものが沈みかけていた。
その直後だった。
――ザザッ。
椅子に拘束されたシンガの身体へ、突如としてノイズが走る。
テレビの砂嵐にも似た、不安定な揺らぎ。
――ザザザザザザッ。
ノイズは一瞬で全身を覆い尽くした。
輪郭が崩れる。
肉体が、存在そのものが、空間から切り離された。
そして。
唐突に、消えた。
そこにはもう、シンガはいなかった。
アルファは、その光景を静かに見つめていた。
表情は変わらない。
やがて。
轟音。
二度目の爆発が施設全体を揺らした。
天井が裂け、壁面が弾け飛ぶ。
火花と炎が暴風のように吹き荒れる。
「いつになるか……また会おう」
アルファは小さく呟いた。
焦りはない。
逃げる様子もない。
ただ静かに、手元のスイッチへ指を伸ばす。
カチ、と乾いた音。
その瞬間。
アルファの瞳が反転する。
次の瞬間、糸が切れた人形のように、その場へ崩れ落ちた。
直後。
世界が、裂けた。
研究施設を中心に膨れ上がった白光は、しかし大爆発では終わらなかった。
――爆縮。
広がったはずの全てが、逆流する。
炎も。
瓦礫も。
海も。
大地すらも。
あらゆる物質が一点へ収束し、やがて中心部に、漆黒の点が生まれた。
極小ブラックホール。
それは周囲を呑み込み続け――そして、弾けた。
超高密度の衝撃波が世界を蹂躙する。
巨大津波が全大陸を呑み込み、都市の光が波紋のように消えていく。
この星の文明は、その日終焉を迎えた。
──Interlude : CASTLING End──
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