第2話
レメリィに連れられて、森の中を歩く。
彼女の肩には、さっきの“あれ”ダイアーラビットがぶら下がっていた。
もう血は抜かれていて、腹も裂かれている。
あの場で、迷いなく処理していた。
慣れている──それだけで、この世界の現実が伝わってくる。
埋めた内臓の場所に血の匂いを残すのは、
獣をそちらに引きつけるためらしい。
合理的だ。
そして、容赦がない。
レメリィは、何度も足を止めた。
こちらの歩幅に合わせてくれている。
……ありがたい。
ありがたい、が。
正直、きつい。
逆に折れていた膝が、じんわりと痛む。
完全には治っていないらしい。
それでも歩けている。
──生きている。
一度どころか、二度は死を覚悟した。
それでも、こうして歩いている。
奇跡みたいなものだ。
それにしても…
あれは一体何だったんだろう。
一瞬だけ感じた“死なない可能性”。
僅かに見えたようなあの感覚。
経験したことのない感覚だった。
歩きながら、いくつか質問をした。
レメリィは嫌な顔ひとつせず、淡々と答えてくれる。
この森は、ルメインの森。
彼女たちが暮らすのは、そのままルメインの村。
森の中にある、小さな集落。
断片的な情報でも、もう理解できる。
──ここは、日本じゃない。
アルファの言っていた“リキャスリング”。
あれは、失敗したんだろう。
理由はわからない。
ここがどこなのかも、まだわからない。
だがひとつだけ、はっきりしている。
──まずは、生き延びる。
拠点がいる。
休める場所がいる。
それだけだ。
どれくらい歩いたのか。
気づけば、森の色が変わっていた。
光が薄くなり、影が濃くなる。
その頃、ようやく村が見えた。
木を切り開いて作られた空間。
周囲は丸太の柵で囲われていて、
外の森とははっきり区切られている。
境界線だ。
中に入れば、人の領域。
外は──そうじゃない。
門の上、櫓に立っていた男がこちらに気づく。
「おー、レメリィか。収穫は……さすがだな」
視線が、ぶら下がった獲物に向く。
それから、ゆっくりと俺へ。
「で? そいつはなんだ」
温度が下がった。
「森で拾った」
レメリィは淡々とさっきまで通りの顔で言った。
(言い方……)
「拾ったぁ?」
男は露骨に顔をしかめる。
「ほっといたら死ぬと思ったから…」
少しだけ、声が低くなる。
さっきまでとは違う。
「だからって、あーもう……そんな顔すんなって。」
男は一瞬言葉に詰まり、視線を逸らした。
「ワーゲルに見られたら面倒だろ。」
声が小さくなる。
「ちょっと待ってろ」
男はそう言って、櫓を降りていった。
姿が見えなくなった瞬間。
レメリィが、こっちを見る。
そして──ほんの少しだけ、舌を出した。
──不意打ちだった。
鼓動が強く波打つ。
何事もなかったかのように、彼女は前を向く。
数秒遅れて、門が軋みながら開いた。
「さっさと入れ。村長のとこ行けよ」
男に促され、中へ入る。
村の中は、どこか懐かしい匂いがした。
土と木と、煙の匂い。
丸太の家。
草で葺かれた屋根。
窓にはガラスがなく、隙間から煙が流れている。
人が暮らしている匂いだ。
視線が集まる。
見知らぬ存在。
当然だ。
レメリィは気にせず歩く。
俺も、それについていくしかない。
やがて、少し大きめの家の前で止まった。
「ここで待ってて」
それだけ言って、中に入っていく。
残された時間は、やけに長く感じた。
やがて扉が開き、呼ばれる。
中に入ると、奥の部屋に老人がいた。
「話は聞いた。わしが村長のルーメルじゃ」
白髪に、深い皺。
だが目は鋭い。
「名は?」
「……シンガ、です」
「シンガ、か。聞かぬ響きじゃな」
顎髭を撫でながら、こちらを見定める。
「レメリィから聞いておる。事情は…よい」
一瞬、息をつく。
「今晩は馬小屋を使え。明日、寝床は用意してやる」
胸の奥に、溜まっていたものが落ちた。
「ありがとうございます」
「ただし、働け。それが条件じゃ」
「はい」
迷う理由はない。
話は終わりだとでも言うように、手を振られる。
外に出た瞬間。
でかい男が立っていた。
「おいレメ。こいつか」
「うん」
「俺は聞いてねぇぞ」
「言ってない」
男の視線が刺さる。
「どこの馬の骨かもわからねぇやつ、村に入れて──」
「うるさい」
レメリィが遮る。
空気が一瞬、張る。
「……何かあったら、誰が責任取る」
低い声だった。
正論だ。
レメリィは、少しだけ視線を逸らして──
「私が取る」
と言った。
一瞬だけ、男が言葉を失う。
「行こう、シンガ」
舌打ちする男に俺は小さく頭を下げて、
その場を離れた。
村長の家を出てから一言も話さなかった。
レメリィについて行くだけだった。
(あの男、どういう関係なんだ…)
胸がざわつく。
(レメって呼んでたな…)
焦燥感が重なる。
──どうかしてるだろ俺。
(今日助けてくれた、それだけだ。)
考えない。
気にしない。
レメリィの後を静かに歩いていた。
案内されたのは、馬小屋だった。
干し草の匂い。
獣の体温が残る空気。
決して快適じゃない。
だが──
屋根がある。
レメリィが持ってきてくれた食事を口に運ぶ。
味は薄い。
でも、温かい。
胃に落ちていく感覚に、ようやく実感が追いつく。
──助かった。
藁の上に横になる。
硬い。
埃っぽい。
それでも、目を閉じると体が沈むように重くなる。
日本の、あの狭いワンルーム。
朝、いつも通り始まるはずだった日常。
それが、もう遠い。
代わりに残っているのは──
白い部屋の記憶。
アルファという男。
「理論上は100%戻せる」
(……嘘つきが)
“馴染んできた”藁の感触が
全身グレーのスウェット越しに伝わる。
──どこなんだよここ…
意識が、落ちていく。
──その直前。
>> LSS connection attempt unavailable.
>> LSS接続:試行不可
>> Current location: unknown.
視界の奥で、何かが“ズレた”。
>>LSS connection: feature not unlocked
>>LSS接続:機能未解放
>>現在地: 不明
──表示が、一瞬だけ書き換わる。
LSS接続: 試行中
気づく前に、意識は沈んだ。
《続く》




