第10話
すっかり日は昇りきっていた。
小鳥たちは食事を終え、枝を渡りながら囀り合う。
朝靄に包まれていた森はその薄衣を脱ぎ、
湿り気を帯びた光を受けて、静かに息づいていた。
木漏れ日は幾つもの帯となって、地に落ちる。
それはまるで、
何かを見届けるために整えられた、
舞台のようだった。
その光の中に、レメリィは立っている。
古木に背を預け、目を伏せる。
淡い光がその輪郭をなぞり、
現実から少しだけ、
浮いたような気配をまとわせていた。
──だが。
「どうしよう……」
零れた声は、ひどく現実的だった。
あのあと、シンガを遠目に見ていた。
いや──見続けることが、できなかった。
空中へ手を伸ばし、何かを操作するような仕草。
何もない場所で立ち止まり、しゃがみ込む。
独り言を呟いたかと思えば、今度はぴたりと止まり、
虚空を見つめ続ける。
──意味がわからない。
水車のことを考えている、
ようには見えなかった。
理解しようとする段階は、すでに過ぎていた。
気味の悪さすら、もうない。
ただ──
未知のものを見てしまった、という感覚だけが残る。
見ているほどに頭が痛くなり、思考が濁っていく。
「……無理」
小さく呟き、レメリィはその場を離れた。
気づけば、村の近くまで戻っていた。
◇
古木にもたれたまま、レメリィは目を閉じる。
胸の奥が、ざわついている。
(……放っておく?)
関わらなければいい。
見なかったことにすればいい。
それが一番、楽だ。
けれど。
(……無理ね)
短く切り捨てる。
気になってしまった時点で、もう逃げ道はない。
あれは何なのか。
シンガは、何をしているのか。
知らないままでは、落ち着かない。
小さく息を吐く。
──本人に聞くしかない。
それだけだった。
レメリィは村の手前で足を止め、シンガを待つ。
やがて、彼は戻ってきた。
どこか晴れやかで、わずかに誇らしげな表情。
それが余計に引っかかる。
「あれ? レメリィ?」
気づいたシンガは、ぽかんとした顔をする。
──見られていた自覚など、まるでない。
レメリィは一瞬だけ迷い、
そして真顔のまま口を開いた。
「シンガ、あんた……一体なんなの?」
その一言で、シンガの表情が強張る。
「どういう……意味?」
「何をしてたの?」
沈黙。
ただ、まっすぐ見返してくるだけ。
「何か言ったら?」
一歩、距離を詰める。
「教えて……」
不思議と、恐怖はなかった。
目の前にいるのは“シンガ”であると、
本能でわかっていた。
やがて、彼は口を開いた。
「ごめん。ここじゃ話せないから……いい?」
そう言って、森の奥へと歩き出す。
一瞬だけ警戒がよぎる。
だが、それもすぐに解けた。
レメリィは黙って、その背を追う。
◇
(……見られた、よな)
歩きながら、シンガは考えていた。
どこまで見られた、のかはわからない。
だが、あの様子なら──誤魔化しは効かない。
(全部話すか……どこまで……)
一方で、レメリィも思う。
(どこまで行くつもり……?)
ここでは話せない理由。
誰かに聞かれたくないってこと?
「ねぇ、どこまで行くのよ」
声をかけると、シンガははっとして立ち止まった。
「あぁ、ごめん」
振り返る。
思ったよりも歩いていたらしい。
少し距離を置いて立つレメリィ。
その姿を見て、シンガはふと、
最初の出会いを思い出す。
あの時は、全身で警戒していた。
(……今は違うな)
警戒はない。
(……信じてくれるか)
小さく息を吐く。
──決めた。
「レメリィ。誰も知らないこと、全部話すね」
「え? ……うん」
「えっと……何から話せばいいか……」
少し迷い、それでも言葉を選ぶ。
「俺の名前は、加藤真我。日本の、二十歳の学生」
「……ん?」
「ここじゃない世界にいたんだ」
困惑を浮かべるレメリィを前に、シンガは続ける。
朝、目が覚めたこと。
そして、もう一度目覚めたこと。
「真っ白い部屋にいたんだよ。意味わかんないよな」
どこか遠くを見るような声。
「たぶん……別の世界に連れてこられたんだ」
淡々と語られる言葉。
「実験だったらしくてさ。終わったら帰してやるって」
レメリィは黙って聞いていた。
理解は追いつかない。
それでも──嘘ではないと感じる。
「迷惑かけたからって、何かもらったんだ」
首をさするシンガ。
「でも……失敗したみたいで…」
わずかに、呼吸が乱れる。
一拍の沈黙。
「気づいたら……空にいたんだよ」
痛みの滲む声だった。
シンガは話し続ける。
落下。
瀕死。
レノス。
そして──出会い。
すべてを。
レメリィは何も言わず、ただ聞いていた。
そんな彼女を見てシンガは続けた。
出来る事が増えたこと。
それを試していたこと。
そして──
水車は、きっとうまくいくという確信。
レメリィは半分も理解できなかった。
それでも。
胸の奥に引っかかっていた違和感が、
静かにほどけていく。
気づけば、森は静寂に包まれていた。
小鳥の声は遠のき、
ただ木漏れ日だけが、変わらず降り注いでいる。
まるで、この場所だけが──
世界から切り離されたかのように。
沈黙の中。
レメリィは、ゆっくりと目を開いた。
森は、静まり返っている。
光だけが、二人を照らしていた。
そのまま、レメリィはシンガを見た。
「……ねぇ」
小さく、しかし迷いのない声。
「それ、みんなに話せる?」
シンガは、一瞬だけ言葉を失う。
視線が揺れる。
何かを言いかけて──
止まる。
そして、
「俺は──」
その続きを、シンガは飲み込んだ。
《続く》
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