第二十五話 スープの真相、飲まないのが正解
アルダーは少しの間、女——アンネローズを見た。
見つかるアイテム、というのは難しい。見つかる、という結果は対象によって手段が変わる。なくした場所の記憶を補助するものか、特定の素材に反応して知らせるものか、あるいは何か別の方法か。まず何を探しているかを聞かなければ話が始まらない。鍛冶屋の経験上、「見つかる」という注文の七割は、実は「思い出す」の注文に近い。残りの三割は、そもそも注文の内容を聞き直したほうがいい類の話だった。
「なくした場所は」
「ベイルの森です」
セレニティーが少しだけ前のめりになった。ミラも同じように、表情を微かに変えた。
アンネローズはその反応に気づいたのか、小さく首を傾けた。「ご存じですか、ベイルの森」
「知ってる」とセレニティーが言った。「魔の森——最近、特にアンデッドがいる」
「そうですね」アンネローズは言った。声のトーンは変わらなかったが、まばたきが一度だけ増えた。「あの森は、そう呼ばれることがありますね」
「あなた、あの森を一人で調べたんですか?」
「はい。実は——少し長い話になりますが」
アンネローズはセレニティーとミラを見た。「よろしいですか?」
二人は同時に頷いた。前のめりだった。身を乗り出す速度まで揃っていた。
「私は、ベイルの森が好きなんです」
アンネローズは静かに語り始めた。「あの森には、独特の静けさがあります。木の間を流れる風の音と、土の湿った匂い——街には街の良さがありますが、ああいう場所は他にありません。良く歩きに行くんです。いつかあそこに美しい花畑を作れないかと思いながら」
「素敵〜!」とセレニティーとミラが、声を揃えた。
アンネローズは少し目元を和らげた。頬が動く角度よりも、目の表情の変化の方がわずかに先行する笑い方だった。
「ただ、街の方々には魔の森と呼ばれていて。ベイルの森、という本来の名前がなかなか広まらないのは、少し残念で」
「すごく素敵な名前だと思います」とミラが言った。
「ありがとうございます。そう感じてくださる方がいると、嬉しいです」
アンネローズはそこで少しだけ間を置いた。
「——ちょうど、一ヶ月ほど前のことです」
◆
——あれは、今よりも森がまだ静かだった頃の話だった。
いつものように、アンネローズは森を歩いていた。夕方に近い時間で、木の間から差し込む光が斜めになり、地面に長い影を作っていた。光は葉の隙間を抜けるたびに色を変え、一歩進むごとに足元の模様が書き換えられていく。鳥の声がどこかで聞こえた。どの鳥のものかはわからないが、縄張りを主張する種類の鳴き方ではない。ただ、今日は機嫌がいいんだ、という声の出し方だった。踏みしめた落ち葉が、柔らかくしなる感触が靴底を通して伝わってくる。乾いた葉の下に、湿った葉がある。その二枚目の葉がたわむ瞬間の、わずかな抵抗と弾みが、歩くたびに靴裏に届く。歩幅を合わせる相手がいない散歩の、一番好きな時間帯だった。誰にも邪魔されない、誰にも気を遣わない、自分の呼吸だけが自分の耳に届く時間。マントの裾が下草を撫で、その音だけが自分に帰ってくる時間。
そのとき、匂いが来た。
食べ物の匂い。何かを煮ている。野菜と肉と香辛料が混ざった、温かい匂い。
アンネローズは立ち止まった。
普段は人を避けている。理由はいくつかある。一人でいる方が楽、ということ。そして——自分の素性を知られると、何かと面倒なことになる、ということ。
しかし今日はまだ、何も食べていなかった。
匂いに負けた。
匂いを辿って進むと、開けた場所に出た。木の幹が広がるその場所に、焚き火があった。そして焚き火の前に、人物がいた。
人物、という言葉では少し足りない。
巨体だった。天幕が動いているかのような体格で、草木にぶつかりながら前屈みになって鍋を混ぜている。緑がかった肌、大きな手、鍋を持っているのに剣も背負っている。鍋に対して木の棒を使っているのだが、その木の棒が普通の成人男性の腕ほどの太さだった。鍋の方もおかしい。野営で使うにしては大きすぎて、けれど大きいわりに深い。焚き火の薪の組み方も、経験者の手によるものだった。煙の逃げる方向が風と合っていた。オーク。頭の中で一拍遅れて言葉が追いついた。こんな森の開けた場所に一人で焚き火をしているオークという存在は、アンネローズのこれまでの人生の範疇にはなかった。範疇にないものを見たとき、人はまず「これは見てはいけないものだろうか」と考えるらしい。アンネローズも、ほんの一瞬、そう考えた。
アンネローズはそっと後退しようとした。
巨漢が顔を上げた。目が合った。
大きな目が、アンネローズをまっすぐに見た。威嚇でも、驚きでも、警戒でもなかった。ただ「あ、人がいる」という表情だった。
「食う?」
短かった。しかしその一言に、敵意がなかった。
アンネローズは数秒迷った。普段なら断っていた。しかし腹が鳴った。小さく、しかし確かに。お腹の方が先に判断を下してしまった、と表現するのが、本人としては一番正直なところだった。
◆
「グロームだ」とセレニティーが小声で言った。アルダーの方を向いた。アルダーが無言で頷いた。
アンネローズは少し首を傾けた。「ご存じの方で?」
「知ってる」とアルダーが言った。「続けろ」
アンネローズはわずかに驚いた表情を見せてから、続けた。
「膝を抱えた格好で、その方の隣に座ったんです。鍋の中を覗き込んで——本当に良い匂いで。お腹の音が恥ずかしかったのですが、その方はそんなことを気にする様子もなく、鍋を混ぜながらスープの状態を確認していて。それで——少し味見させてもらえないかと思って」
アンネローズは懐に手を入れ、取り出した。細い柄に、細かい細工が入った、小さなスプーンだった。金属の色がわずかにくすんで見える。しかし傷一つない。大切に使われてきたことが一目でわかった。形そのものより、表面の当たりの柔らかさが、使い込まれた道具特有のものだった。新しい道具は、形は整っていても当たりが硬い。長く手に触れられた道具だけが、指の側に少しずつ歩み寄ってくるような、角の取れた触感を持つ。そのスプーンは、触感だけでいえば、持ち主がまだ子供だった頃から一緒にいたのではないか、と思わせる柔らかさだった。
「何も考えずにスープを掬って、口に運んだんです。そうしたら——スープの色が変わっていて。慌ててしまって」
「スープの色が?」とセレニティーが訊いた。
アンネローズは少し困ったような顔をした。「これは」と彼女はスプーンを少し持ち上げた。「呪いのスプーンなんです。家系に代々伝わっているもので。私自身には効かないのですが、影響を受けるものには——変化が起きることがあって」
「私って、バカ・バカ」とアンネローズは急に後頭部を両手でポンポンと叩き始めた。「私って本当にバカなんです」
三人は少し面食らった顔で、アンネローズを見た。あの優雅な女性が後頭部をポンポンしている。優雅さと自責の素振りが、同じ動作の中で共存していた。優雅な動作で自分を叩く、というのは人間にできる芸の一つとしては上位に入る、とアルダーはどうでもいいことを思った。
「どんな呪いなの?」とミラが訊いた。
「変化の呪いです。過去の強い思い出に影響されるみたいで、私もよくは知りません」
「物騒な……」とセレニティーが呟いた。
「呪いにかかってしまった場合の解除は知りませんが、スープくらいなら呪いの効果を無効にできるハーブを知っているんです。だからそのオーク方に飲んではいけないと伝えて、急いでハーブを取りに行ったんです。少し距離があったので走って——」
「それでグロームから離れて森に入って行ったのか?」
「はいそうです!!」
「ご存じなんですね」アンネローズはほっとしたような仕草をした。「ということはそのオークさんはスープを飲まないでいてくれたんですね。よかったです」
「でも戻らなかった」とアルダー。
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