第2話 親子
ローラと一緒に姿を見せたのは、俺たちがよく出入りしている会社で働く若い男――マイケルだった。
俺とローラは腕時計の修理やメンテナンスだけで暮らしているわけではない。
いや、正確に言えば、腕時計の仕事だけでも、十分すぎるほどの高収入だ。
だが、こうした機械式の腕時計を所有するという“高額な道楽”は、世間から必ずしも良い目で見られるものではない。
そして、その趣味に付き合う俺たち職人も、一般的な感覚からすれば、決して好意的な感情は向けられない。
だからこそ、同業者の中には、同じコロニー内からの依頼は一切受けないと決めている者までいる。
余計な噂や嫉妬を避けるためだ。
そのため、俺たちは腕時計の修理やメンテナンスという本業とは別に、“表向きの仕事”も持っている。
このコロニーでは一般的な、システムの調整やメンテナンス――いわゆる家電製品の修理や点検だ。
この世界では、ほぼ完全なリサイクルが成立しているため、こうした仕事はいくらでもある。
そして、俺のような腕時計職人のような細かい作業が得意な人間は、特に重宝される。
だから俺は、この“表の仕事”を、自分の好きなタイミングで、やりやすい案件だけ選んでこなしている。
そういう働き方ができるのも、このコロニーの仕組みと、この腕時計修理という俺の技術のおかげだ。
その”表の仕事”の関係で、俺は機器や部品のリユース会社とも付き合いがある。
修理に使う部品や材料を手に入れるためだ。
それに、こちらの方が大事なんだが、稀に――何かのきっかけで、腕時計がリユース品の中に紛れ込んでくることがある。
そういう時は、部品取り用や修理用として確保できる狙いもある。
そのリユース会社で、半年前から働き始めたのが、このマイケルだ。
確か、学校を卒業して入った会社をすぐに辞め、知り合いのつてを頼ってリユース会社に転がり込んだと聞いている。
いい奴で、細かい作業も得意そうだが、若さゆえか――何をしたいのか、自分でもまだ掴みきれていないように見えることがある。
だが――
そんな彼が、わざわざ店を訪ねてきて、しかもローラが奥まで連れてきた理由とは何なのか。
マイケルは俺に軽く挨拶をすると、すぐにエレナ夫人へ向き直った。
「お母さん。クーガーさんに勝手に連絡して、腕時計の修理を頼むなんてやめてくださいよ。
クーガーさん、本当にすみません。母が勝手に話を持ち込んでしまって……」
――お母さん?
紹介者“ミハエル”……“マイケル”。
そういうことか。
「ということは、マイケル。君が僕を紹介したというわけなんだな」
俺とローラの本当の仕事――つまり腕時計の修理業は、先ほどの理由もあってあまり大っぴらにはしていない。
とはいえ、リユース会社のクロフォード社長には、腕時計が紛れ込んだ際には優先的に確保しておいてほしいと話をつけてある。
当然、このマイケルもその事情を知っている。
紹介者が“ミハエル”と名乗っていたことに不審を覚えていたが、こうしてみれば話は単純だ。
マイケルが俺を紹介した――ただそれだけのことだった。
「クーガーさん、その腕時計は……父が亡くなってから二十年ぶりに戻ってきたんです。ずっと行方不明だったんですが……」
マイケルはそう切り出し、少し息を整えて続けた。
「僕はまだ小さかったので覚えていないんですが、二十年前の“コロニー3の大火災事故”はご存じですよね。
あの事故で、父は行方不明になってしまったんです。
そして今年になって、コロニー3で発見されて……母の手元に戻ってきたんです」
コロニー3の大火災事故――
数百人が亡くなり、行方不明者も多く出た、宇宙史に残る大惨事だ。
その現場に、この夫人の夫もいたということか。
そして、このケースの“歪み”。
それは、二十年前のあの混乱の中でついた傷なのだろう。
「母からこの腕時計を見せられて、父の話も聞かされました。
何とかならないかと頼まれたんですが……触ってみて、僕ではどうにもできないことだけは分かったんです。
それでつい……“クーガーさんならもしかしたら”って、口を滑らせてしまって……」
「いや、いいよ。ちょっと不審なところもあったんだが、ようやく腑に落ちた。
むしろ、持ってきてもらえてよかったよ」
マイケルはほっとしたように息をつき、続けて尋ねた。
「ところで……母に、どれくらい費用がかかるかって伝えましたか?」
俺が答えようとしたその瞬間、ローラがちらりと意味ありげに俺を見た。
「そこはまだ伝えていません。まだじっくり拝見していませんから」
ローラは柔らかく微笑み、エレナ夫人へ向き直る。
「しっかりと状態を見させていただきたいので……この時計、しばらくお預かりしてもよろしいでしょうか」
ローラは穏やかな笑みを浮かべて立ち上がった。
「では、ご婦人。お見送りさせていただきますわ」
そしてマイケルのほうへ向き直る。
「マイケルさんには、腕時計の預り書の記入をお願いしたいので、こちらで少し手続きをお願いしますね」
その言い方は自然で、誰も違和感を抱かない。
だが、俺には分かる。ローラは意図的に、俺とマイケルだけを残すつもりなのだ。
本当に、こういうところが実にうまい。
夫人が店を出ていくのを見届けてから、俺はマイケルに向き直った。
時間はあまりない。
「マイケル、この時計は……職人が直すには、とても割に合わない。
金銭的にも、手間の面でも、はっきり言えば“やる価値がない”レベルだ」
遠回しにしても伝わらない。だから、あえて率直に言った。
マイケルはしばらく黙っていたが、やがてゆっくり口を開いた。
「……母は、父への思いもあるんだと思います。でも、それだけじゃないんです」
彼は視線を落とし、言葉を探すように続けた。
「せっかくエンジニアになったのに事故を起こして、会社を辞めて、今はジャンク屋のバイトみたいな仕事をしている俺に……何か伝えたいんだと思います。
こういう仕事が大事じゃないって意味じゃなくて……自分の道を見失って、なんとなく生きている俺に、父の思いを重ねてるんだと思うんです」
その声には、悔しさと、情けなさと、母への気持ちが入り混じっていた。
ローラは、何か良い案を思いついたような、そんな表情を浮かべていた。
その顔を思い浮かべながら、俺はマイケルに向き直る。
「……わかった。『直せる』とは言えないけど、いったん預からせてもらうよ。
何ができるのか、考えてみる」
マイケルは何か言いたげに口を開きかけたが、結局言葉にはせず、静かに立ち上がった。
「……失礼します」
その背中には、期待と不安が入り混じったような重さがあった。
マイケルが店を出ていくと、少し間を置いてローラが戻ってきた。
ローラは戻ってくるなり、少し考え込んだような表情で俺に声をかけてきた。
その顔には、何かひらめいたような光がある一方で、それが本当に正しいのか迷っている影も見える。
「ちょっと出かけてくるけど、いいかしら?」
まだ自分の案に確信を持てていない――そんな揺らぎが、言葉の端ににじんでいた。
「クーガー、悪いんだけれど……私が戻るまで、その時計の状態を見ておいてくれる?
考えがあるの。説明は帰ってからするわ」
俺は短く「わかった」と答えた。
俺はローラが出かけている間、改めて腕時計を手に取り、じっくりと状態を確かめることにした。
――コロニー3の大火災事故。
確か、あの火災は厨房区画から始まったと聞いている。
宇宙開発初期に建設されたコロニー3は設備が古く、今俺たちが居住しているコロニーよりもはるかに耐火基準が低い。
さらに、防火ハッチを通してはいけないはずの移送ラインや信号ケーブルが後付けで敷設されており、そのせいでハッチが完全に閉まらず、火の手が一気に広がった。
最終的には、居住区を含むブロックを真空解放、つまり無酸素にして鎮火した――多くの命と引き換えに。
その時、現場にいたエレナ夫人の夫がこの腕時計を身につけていたのか。
あるいは、どこかに仕舞われたまま、誰にも気づかれずに残っていたのか。
あのコロニーで二十年もの間、何かに挟まれてケースが歪んだのかもしれない。
あるいは、火災の熱で変形した可能性もある。
そして――最近になってようやく発見された、ということか。
この腕時計は修理できるのだろうか。
金銭的な面をいったん脇に置き、俺は改めて可能性を考えてみる。
内部の部品はまだ確認していないが、熱や強い衝撃が加わっているとすれば、簡単な仕事ではない。
とはいえ、夫人の願い――“動くようにしてほしい”という一点に絞るなら、純正部品や同等品にこだわる必要はない。
使える部品は修復し、使えない部品はマイクロマシーンでチタン合金やセラミックを切削して作り直せばいい。
ゼンマイなどの消耗部品も、さっきパーツリストを確認した限りでは、高価だがパーツ屋に在庫がありそうだ。
技術的には、やれない仕事ではない。
問題は――ケースの歪みだ。
この歪みを修正するのは、一筋縄ではいかない。
いっそ切削加工でケースそのものを新調することもできる。
だが、それではエレナ夫人の“願い”とは違う気がする。
彼女が求めているのは、新しい時計ではなく、夫が身につけていた“あの時計”なのだから。
となると、修正するには、まず内部のパーツをすべて取り外し、
ケースに緩やかに熱を加えながら、手作業で少しずつ叩いて形を戻すしかない。
この作業自体は、俺にできないわけではない。
だが、かかる時間と手間を考えれば、とても商売として成り立つ仕事ではない。
いや、内部のパーツひとつ取ってみても、夫人の提示した金額で収まる仕事ではない。
今度は逆に、夫人の提示額から考えてみる。
あの金額でできるのは、内部の簡単な清掃か、外装の一部を軽くリペアする程度だろう。
ケースの歪み修正や、内部パーツの再製作まで含めた本格的な修理には、到底届かない。
それからしばらくして、ローラが戻ってきた。
部屋に入るなり、ローラはまっすぐ俺の前に腰を下ろし、少し息を整えてから口を開いた。
「クーガー……あの時計、修理できるかしら」
俺は腕時計を見つめながら答えた。
「できないことはない。金と手間をかければね。
でも……それは“すべきじゃない”だろう」
「どうして?」
ローラはすぐに自分の意見を言わず、まず俺にこの時計の現状を説明させようとしている――そんな意図が、表情の奥に見えた。
「もちろん君も知っていることだけれど、俺たちに仕事を依頼してくるお客さんは、50万の仕事には50万の結果を求めてくる。
50万払って100万の結果を期待する人はいない。
もちろん、50万払って40万の結果しか出せなければ、お客さんは離れていくけれどね」
そこで一息つき、俺は続けた。
「でも、もう一つ大事なことがある。
10万で100万の仕事をしてはいけない。
それは一部の顧客だけを優遇することになるからだ」
ローラが静かに頷く。
「時計にかける思いなんて、人それぞれだ。
だからといって“特別な事情”を酌量して、破格の仕事をしてしまえば……
俺たちは、今のお客さんからの“信頼”を失ってしまう」
ローラは黙って俺の話を聞いていた。
その表情から、なぜ最初に説明を求めたのか――ようやく理解できた気がした。
やがて、ローラは静かに口を開く。
「では、その“特別な事情”が許される場合って……何かあるの?」
その問いで、ローラの狙いが見えてきた。
「ということは、ローラ。君が出かけていたのは……クロフォード社長のところか」
ローラは軽く頷いた。
「そう。クロフォード社長のところへ行ってきたの。
だからあなたに、この腕時計が“修理できる可能性”があるのか、先に確かめてもらっていたの。
そしてあなたは――修理は不可能ではない、と判断した」
ローラはそこで一度言葉を切り、まっすぐ俺を見つめた。
「では……私の考えを説明するわ」




