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シンクロナイズド  作者: 響野旬悟
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 昼食まで、通太に喋りかけてくる者はいなかった。この日、一緒に登校してきた綾乃でさえ喋りかけてきていない。そこはいつも日常。誰も自分には無関心。でも何かが違う。

 授業が終わる度、通太は机に伏せ、いつものように休み時間を過ごすのだが、クラスの生徒の声は聞こえてくる。

「マジか? 稀川がか?」

「そうらしいよ、本当は強いんだって」

「かっこいいよな、あいつ」

 様々な声が聞こえてくる。そのどれもこれもが全部自分に直結している話のようだ。

 休み時間に彼の意識を支配していたのは、他の生徒の声。その声だけに集中していて、つくえのことを悲観している暇さえなかった。

 綾乃は、休み時間になる度、ほくそ笑む。

 もはや三時限目終了時には、クラス全員が通太を羨望の眼差しで見つめていた。

 計画成功! 

 彼女は心の中で絶叫していた。

 通太はクラス中の生徒に奉られている。計画は成功したと言っていい。

 時間は経ち、昼食の時間となった。

 通太は弁当を机の上に出した。食欲はあまりなかったが少しでも食べようと思った。

 そして、食事のあと、三年六組に行くつもりだった。もちろん笹山露子に逢いに行くためだ。先週の金曜日、駒野の喫茶店で別れてから連絡は取り合っていない。露子の携帯番号は知っている。多納宏美がノートの端に書いてくれた電話番号が通太のポケットに残っていたからだ。土日の休みの日に電話する機会はあったのだが、通太の精神状態が不安定なこともあり、できずにいたのだ。

(露子さんいるかな)

 通太がそう思いつつ弁当の包みを開こうとした時だった。

「稀川、ごはん一緒に食べに行こう」

「え?」

 顔を上げると、一波綾乃と彼女の友達数人が通太を取り囲むように前に立っていた。

「私たち食堂で食べるの。稀川も食堂で食べよ」

 綾乃としては、一年五組での通太のイメージアップ作戦は、ほぼ完了したと判断し、次は全校生徒にむけて、彼を触れこんでいこうと目論んだ。

 綾乃がなぜ通太にここまでこだわるのか? 彼女は小中、そして今の高校と通太と同じ学校に通い、小学校五年の時は一緒のクラスにもなり放送委員で共に活動したこともあった。ただそれだけだ。少し通太とは喋ったこともあったが、それだけ。五年生の時も、別段彼に対して特別な感情は持たず、それは中学を卒業して高校に入学してからもそうだった。ただ彼女としては、通太を見下したり、邪険にしたりといった感情はまったくなく、静かで、人と接するのが嫌いなのかなという感想を持っていた。周りの友達に合わせて、あのコ気持ち悪いねとふられた時は、相槌等はした時はあったが、彼のことを本心から嘲笑うといったことはなかった。別に自分に嫌がることはしないヤツを批評しても仕方ない。彼女はそういった物の考え方をする。それに抜本的な事として女子と男子の垣根もある。やはり基本的に女子は女子と喋るし、男子は男子となるのが普通であろう。だから通太のことは関心がなかった。

 だが、彼が必死の形相で自分に訴えかけてきて心境ががらりと変わり、このコ本当は迫力ある人間じゃないのか? と思った。それが彼女の恋の始まりだった。初めて異性を好きになった。ときめいたのだ、心が。

 しかしどうしていいかわからない。恋愛未経験の一波綾乃は恋愛に対して何をどうしたらいいのかわからなかった。そう、彼女は言うならば、恋愛音痴。それまで生きてきた中で恋愛というものをしたこともなければ、恋愛感情を持ったこともない。で、彼女なりに結論を出した。

 通太を成長させる。上昇させる。これだ! と思った。普通は、好きな相手と手をつなぐ、デートしたいとかを思う。そのことは、漫画だったり、小説だったり、テレビだったり、または、友達からの情報で疑似経験を体験し願望する。だけれども、彼女は異性を好きになることに興味がなかったので、その下地がまったくできていなかった。

 その欠落した感情が通太をどうしてやろうと過剰に、あるいは異常に働いたと思われる。

 しかし綾乃が異常に行動してしまう理由がもう一つある。それは、つくえは彼女の体から去ったが、つくえの想い――通太を成長させる――は余情みたいな形で一波綾乃の中に残ったということだ。通太のことが好きになったということも右記した通りあるが、このつくえの思いもより一層、彼女の心情を燃え上げさせる結果となった。

 それは、彼を幸せにする、わたしが彼をハッピーにするというものに繋がり、今彼女は計画成就のため奮闘している。

「行くよ!」

 一波綾乃はニコニコしている。

 だがそんな彼女とは裏腹に、通太は困惑顔を浮かべている。

 まだ綾乃の計画を知らない通太は、彼女がなにを考えているのかわからない。

「あの……でも、僕はここで食べます」

「たまには食べる場所かえるのもいいわよ。それに稀川、食堂でごはん食べたことないでしょ? 行こ」

 強引に通太の手をとる綾乃。

「あわわ、わかりました、行きます!」

 通太は急いで弁当を持ち、綾乃に続いた。

 舞峰南高校の食堂は、校舎を南の方角に出て、そこから渡り廊下と通じている。食堂の二階部分は体育館にあたる。つまり、通太と一波の外見をしたつくえが会話した、体育館裏の階段とは、食堂の裏手に繋がっていることになる。

通太も食堂の場所はもちろん知っていたが、食堂が食堂として最大限に利用される時間――昼食時には、足をむけたことはなかった。

 今、その食堂を目の前にして、通太は正直、驚いている。空気が生徒の喧騒によってどよめいている。それにお腹を刺激するとてもいいにおいもする。カレーのにおいが大部分を占めているように思えた。

「稀川、あそこ」

 綾乃が指さした。

 生徒でひしめきあう食堂のテーブルで、不自然に誰も座っていない席がある。

 テーブルは食堂のど真ん中にある。明らかになにか理由があって空いているようだ。

「さき座ってて。わたしらごはん注文してくるから」

 そう言うと綾乃らは、食券販売機の方に歩いて行った。

 通太は指示されたテーブルに向かった。おどおどキョロキョロ挙動不審ぎみに席に着いた彼は、綾乃らが来るのを待った。テーブルに置いた弁当箱を見たり、昼ごはんを買いに行った一波綾乃らを探したりキョロキョロする。そこで気がついた。

 通太のことを周囲の生徒たちが黙って見つめている。あるものは立ち止ってお盆を持ったまま。あるものは、通太のテーブル近くの席で、うどんをすするのを止めて。彼を中心にして、放射状にその凝視は広がっているように思える。

(…………)

 通太としては、黙って様子を見るしかない。

 そこへ

「おいおまえ」

 と通太の背後からドスのきいた声。

「はい、はい?」

 通太は振り向いた。

 そこには、堂地ほどではないが、中々の体格の男子学生が、椅子に座ったまま、上半身だけを通太に向け肩越しに凄んでいた。彼だけでない。彼のテーブルには、他に三人のいかつい男子学生が腰を下ろし、通太を睨んでいる。

「なにしてんだおまえ?」

「えっ? あのその――」

「あのそのじゃねえんだよ。その席は指定席なんだよ」

「指定、席?」

「その席は一波綾乃さんの指定席。おまえは座れねえんだよ。――早くどけ!」

 男子学生は、素早く通太の腕を取ると、無理矢理立たせた。

「ひゃわわわわ!」

 通太は、悲鳴に近い声を出して立たされた。

 次に男子学生は通太の背中をこづき強引にテーブルから押し出す。

「忘れもんだ」

 男子学生は、わざわざ身を乗り出し通太のいたテーブルに置かれた弁当箱を掴むと、通太の胸元にそれを投げつけた。

 通太は、しっかりと弁当箱を抱き締めると、その場から逃げるように歩き去った。

 これを機に教室に帰ろうと思った。通太としては、初めての昼食時の食堂で、座る席にも誰それの席と決まっていると思いこんだ。そんな決まりなどもちろんない。あの席は、一波綾乃の美しさ見たさに、空手部が主立ち(他に、サッカー部、ボクシング部も協力)食堂のど真ん中のテーブルを彼女専用に占拠したのだ。もちろん、強制的にそうしたのではない。その席に座ろうとした者が現れた時は、その者を睨みつけ、追っ払う。食堂が混雑してテーブルに一波綾乃がつけないと知ると、自然と誰かが近寄り、「あそこの席、空いてますよ」とさり気なく忠告して、座らせるようにした。今となっては、それは、いつもの昼食時のしきたりみたいなものとなっていて、一波綾乃らもその恩恵を受けていた。そんな事実を知らない通太は、空手部の二年生軍団に厳しく叱責されたのだ。

 通太としては、強制的に食堂を去る理由ができてよかったと思う気持ちもあった。一波綾乃に見つからないようにそそくさと彼が食堂を離れようとした時だ。

「稀川さん?」

 と、あと数歩で食堂の出入り口という所で声を掛けられた。

 振り返れば、巨漢堂地だった。堂地は、うどん、カツ丼をトレイの上にのせ、突っ立ていた。

「やっぱり、稀川さんだ。どうしました? 席を探しているんですか?」

 堂地は、優しい口調で通太に接してくる。

「はい……。でもなくて……。それで教室に戻ろうと思っていたとこです……」

「それなら、俺がいつも座っている――」

 ――そんな通太と堂地のやり取りを、さっき通太に対して恫喝した男子高校生のグループの一人が目撃した。

「お、おい、権藤。さっきのやつ、堂地さんとあそこで久しげに喋ってるぞ」

「ああ?」

 権藤と呼ばれた男子学生は、箸を動かすのをやめ、振り返った。

「――――うっ、 さっきのやつ、堂地さんの知り合いか?」

 権藤という男子学生の顔色が蒼くなってくる。

「あの様子じゃあ、明らかに親しい関係だ。やべっ――」

 男子学生は、跳ねるように椅子から立ち上がると、通太と堂地の元に急いだ。

 生徒を跳ねのけ跳ねのけ堂地たちの元に辿り着いた男子学生は

「堂地さん!」

 と言い、身を低くして、すがるように堂地の傍らについた。

「なんだ、権藤じゃねえか。どうした血相変えて」

「堂地さん。こちらの方は知り合いですか?」

 権藤は、通太の方に手のひらを向け、恭しく聞いた。

「知り合いもなにも、稀川さんは、土曜に説明した通り、俺の親分、一波綾乃嬢の彼氏さんだぜ」

 土曜に説明――とあるが、これは、先週の土曜日に空手部の練習が高校の道場であり、その時に、堂地が部活で後輩に語ったことを示している。

「ええ! そうだったんですか! それで一波さんの席に……。そんなこととは知らずに先ほどはとんだ無礼を――」

 権藤は通太に対して、深々と頭を下げた。

「なんなんだ、どうした権藤?」

 話がわからない堂地は、トレイを持ったまま、権藤の頭頂部を見た。

「とにかく立ち話もなんなんで、こちらに――。もちろん稀川さんも」

 顔を上げると、権藤は先導してテーブルに急いだ。

「どうしたんだあの野郎。まっ、とにかく稀川さん、行きましょう」

「あの……でも……」

「ささっ――」

 堂地は、顔で通太を促す。

「はあ」

 通太は渋々堂地に続いた。

 テーブルに着くと、権藤はじめ、男子学生ちが直立の姿勢で待っていた。

「どうしたんだ、権藤?」

 堂地はテーブルにトレイを置き、座ると尋ねた。

「それがその……、さっきこちらのテーブルに座っていた稀川さんに暴言を吐いてしまって……。挙句テーブルから追い立ててしまったんです……。まさか一波綾乃さんの彼氏とは知らずに……」

「バカ野郎!」

 堂地は、叫んだ。

「土下座して稀川さんに謝れや!」

「はい!」

 権藤たちは、ゾロゾロ通太の前まで進むと、跪き、

「すんませんでした!」

 と声を合わせ土下座した。

「ちょちょ!」

 通太は狼狽する。

「俺の方からも謝ります」

 堂地は立ち上がると、頭を下げた。

「止めてください、堂地さん!」

「こいつらは俺の空手部の後輩です。そのバカ共があなたに対して無礼働いたんです。頭下げるのが筋です」

 周囲で昼食をとる者たちは、一部始終この出来事を見ている。誰もが箸を止め、見ていた。

 綾乃たちも、各々の昼食をトレイにのせ、通太がいるであろうテーブルを目指していたが、食堂内の異様な雰囲気を感じ取り、周囲を観察した。生徒たちは、食堂の中心に視線を送っている。自然彼女たちも顔をそちらに向ける。

「稀川?」

 視線の中心には、通太がいる。その彼に頭を下げている巨漢。彼女の位置からは、権藤ら土下座組は見えない。

「なにかあったのかな?」

 近藤加奈が、立ち止る綾乃に声をかけた。

「かな? ――行こ」

 食堂の中心に進む一波一行。

「頭を上げてください、堂地さん!」

 綾乃らが向かう食堂の中心では、謝罪劇がまだ繰り広げられていた。

「いや、まだまだ。こいつらが稀川さんにおこなった非礼はこんなもので済まされません」

 堂地は、頭を下げたまま言った。

 この状況に悩む通太は、頬に滴る汗をハンカチで拭くため、弁当箱をテーブルに置く。

 弁当箱を包む風呂敷には、シミがいくつもついていた。どうやら弁当から、おかずの汁が染み出しているようだ。今までその弁当を胸に当てて持っていた通太の白のシャツにも、くっきりと茶色のシミがついていた。だが通太にはそんなことに気がつく余裕などない。

 途方に暮れる彼の視界に、こちらに近づく一波綾乃一行が確認できた。通太は、ホッとした。一波綾乃がこの場をなんとかしてくれると、何の根拠もなく確信した。

「どうしたの稀川?」

 一波綾乃は、通太にさきに座っておいてと指さしたテーブルにトレイを置くと尋ねた。

「それが、どう説明していいか……」

「――俺から説明します」

 堂地は、頭を上げると、綾乃の方を向き直り、喋り出した。

「このバカ共が、稀川さんに無礼を働いたんです」

「無礼?」

「そうです。なんでも、稀川さんに罵声を浴びせ、このテーブルから追いやったって言うんです。だから今謝罪させていました。こいつらがお嬢の美貌を見る為、専用の席を用意しているっていうのは、話として聞いていましたし、俺自身も実際この席にお嬢がいるの見て知っていました。無法っちゃ無法な行いですが、俺がしゃしゃり出るこでもなかろうってことで黙認ていうかほっといたんですが……。しかし俺の監督不行届きで、稀川さんに不快な思いをさせてしまって……。ほんとすんません!」

「いいのよ、これからは気をつけて。それにわたしも黙って恩恵に預かって、ちゃっかりいつもこの席に座ってたんだから。早く頭あげてよ」

「いいんですか?」

「いいよ、ね? 稀川」

「も、もちろんです! 早く頭上げて下さい!」

「おい、お許しが出たぞ。頭上げさせてもらえ」

「はい!」

 権藤らは、立ち上がり

「すんませんでした!」と、もう一度大きい声で通太に謝った。

「おまえらメシ食え」

 堂地はそう言うと、自分のトレイを綾乃らのいるテーブルに置き直し、

「お嬢、今日ここで食べていいですか」

 と聞いた。

「いいわよ」

 綾乃は席に着いた。

「みんな、食べよ」

 綾乃は友達に声をかけた。

 みんな席に着き、食べ始めた。

 通太だけは、まだ突っ立てる。

「何してるの稀川、早く座んなよ」

 そう言われ、通太は、恐る恐る席に着く。

「いやぁ、改めて謝ります。すみませんでした、稀川さん」

「いいんです、本当に……」

 食堂はそれから徐々にいつもの喧騒に戻った。

 が、通太だけは、ベトベトとなっている風呂敷も広げず、黙ったままじっとしている。

「稀川、食べないの? それともさっきのことまだ気にしてる?」

「いえ、気にはしてません……。食べます……」

 通太は風呂敷を広げ、弁当の蓋をとった。中は、いわゆる、寄り弁(一方に片寄った弁当)となっており、おかずの汁が、各々を区別する垣根を越えて、白ごはんの領域まで侵食していて、通太のシャツ同様、茶色になっている部分がある。原因は、どうやらソースを使った野菜炒めのようだ。このソースが、通太のシャツ、白ごはんにと、着色したようだ。

 通太はまず、そのソースがついたごはんに箸を伸ばし、口に入れた。

(おいしい)

 通太はこのソースが染みたごはんが大好きだった。この偶然の産物が大好きだった。胃が急に動き出した。食べ物を欲している。

「稀川、すごい寄り弁ね」

 綾乃が笑う。

「ほんとですね」

 堂地が相槌を打つ。彼のカツ丼は、もう殆ど平らげられていて、今左手に持つわかめうどんも、もう一吸いで終了となろう。

「ねえ、稀川くん。綾乃と付き合ってるってほんと?」

 近藤加奈が首を伸ばし、先週とはうって変わってしおらしく聞いてきた。

「いや、そんなこと――」

「――そうだよね」

 否定しようとする通太の言葉を遮るように綾乃が強引に口をはさむ。

「そうだよね」

「……」

 通太は無言を通し、弁当をむさぼる。普段、ゆったりと昼食をとる彼が、ガツガツと口の中にごはんを運ぶ。

「うっ! ――ゲホゲホ」

 頬張りすぎたのか、通太はむせ込む。

「ちょっと大丈夫、稀川?」

 綾乃が通太の背中を叩く。

「稀川さん、これ」

 続いて堂地が連係プレーのように、すかさず自分のお茶を差し出す。

「あみがとう、ございもす」

 通太はお茶を飲み、のどの奥へと頬張った物を押しこもうとする。

 近藤加奈らは、キョトンと通太を眺める。

 彼女たちも、通太の隠れた真実を一波綾乃から聞いている。そして通太のことを見直した。

 稀川通太は、強靭な心の持ち主で、それに見合う武術も身につけていると信じた。

 でも今の通太の様子を見て、正直疑問が湧く。

 ――本当に強いの?

 と。

 よくよく見ても、腕には、筋肉もついていないようだし、首も細いし、強そうに全然見えない。

 先週の金曜日、通太と綾乃が早退する時、彼の強さが一時垣間見えたような気はした。

 冷静沈着で、先生、または教室にいる生徒の視線にも物怖じせず振る舞っていた。

 綾乃の話に納得できるところはある。あるが、この今の稀川通太を見て、首を傾げたくもなる。

 そういった心中で顔を曇らせていた彼女らの視線が一斉に動いた。

 通太が動いたからだ。

「すみません、ぼく、さきに行きます」

 食べ残しが少しあったが、もう弁当に蓋をして、それを風呂敷に包んでいて、通太は立ち上がっていた。

「な、何よ。みんなが食べ終わるまで待っててよ」

「すみません、ちょっと行きたい所があって」

 通太は、隣に座る一波に礼をすると、一目散にその場から離れた。

 なにか一波綾乃が言っているのはわかったが、通太は構わず食堂から出た。

 出たところで、歩く速度を落とし、校舎に向かおうとした。もちろん目指すは三年六組、笹山露子のところだ。

「――今日は来てないわよ」

 背後で一波綾乃の声がした。

「今日は来てないわよ、笹山露子は」

「――なんで? ……」

 通太はゆっくり彼女の方に体を向ける。

「先週の金曜日の夜、彼女からわたしの携帯に連絡があったの。稀川くんに伝えておいてほしいことがあるってね。彼女、稀川の連絡先しらないから。それでその時、あの人の状況を聞いたの。そしたらおじいちゃん、命に別条はないらしいけど、当分おじいちゃんについてあげるみたい。学校に来るのは、明後日の水曜日ぐらいになりそうよ。だから彼女、今日は学校にいない」

「それを知っててなんで僕に真っ先に教えてくれなかったんですか」

 通太は腹を立てた。眉はつり上がり、目は血走っている。

「怒ってるの?」

 綾乃は、涼しい風にあたっているように、微笑をたたえる。

「――あんたには無理」

「なにがですか?」

「笹山露子よ」

「えぇ?」

「稀川、笹山露子のこと好きなんでしょ?」

「そ、そんなこと……」

 通太は顔を紅潮させた。

「顔にそう書いてあるわよ」

「え? えっ? えっ?」

 顔を撫ぜ回す通太を見て一波は、クスクス笑った。

「とにかく稀川は、わたしの言う通りしていたら大丈夫」

 通太は手を下ろし、綾乃を見つめた。

「一波さん、一体なにを……何を企んでいるんですか?」

「企む? よしてよ。なんだかわたしが稀川に悪い事してるみたいじゃないの。わたしはあんたのために動いているの……。大丈夫、わたしに任せておけばね。詳しい事は今日の放課後言うわ」

「…………」

 通太と綾乃のやりとりを、今食堂に来た者、または、食べ終わって出る者が、立ち止って見ている。綾乃いるとこ、注目されるといった感じか。

「さっ、食堂に戻ろ。みんな待ってる」

 綾乃は優しく諭す。

「……」

「行くわよ、稀川」

「……いやです……ごめんなさい!」

 通太は、走った。綾乃の元から逃げた。夢中で走った。一波綾乃が両手広げて追いかけてくるような気がしたが、実際の彼女はそうはしなかった。彼女は、笑みを浮かべ通太を見送った。

(まだこれからだ。説明すればわかる)

 綾乃の決心は揺らがない。


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