26
通太も一波綾乃の隣に恐る恐る座った。
このバスのベンチは、彼ら以外座る者がいない。
というより、先ほどからバス待ちの客はいるのだが、空いたベンチに座る人は一人もいない。
四、五人の客らしき人はバス停を遠巻いて、バスが来るのを待っている。
先ほどから常軌を逸した行動をとる高校生二人に近づくのを厭がっているのだろう。バス待ちベンチは通太と綾乃の独壇場となっている。
「わかるんですか、今までの出来事が?」
通太は、信じられないという表情で綾乃を見る。
「わかるよ。落ち着けばね、思い出せる」
通太は声もない。
「記憶が曖昧なとこもあるけど大体はわかる。寝ている時に夢見るでしょ? そんな感覚で記憶してる。もっとも、寝て見る夢より鮮明に画像だったり音声は確認できてる」
「はぁ」
「だから、あんたとつくえだっけ? が、体育館裏で喋ったりしてるのも知ってるし、教室であんたを庇ってわたし……いや、つくえが盛奥蹴ったのも知ってる。大抵のことはわかるわよ。ただ、今日の朝からのことは部分的に思い出せることもあるし、そうでないとこもある」
通太は頷く。
「それにしてもとんでもない体験ね。こんなことが起こるなんて」
「はい」
綾乃は通太の覇気のない反応に苛立った。
「あんたねぇ、わたしとの対応とつくえとの対応に違いありすぎるんじゃない? つくえと喋ってるときは、もっとはきはきしてたわよ。それなのにわたしとわかったら……うぅんどう言えばいいか……わたしの体がわたしに戻ったら……えぇいもうどうでもいい!」
綾乃はつい声を荒げた。
しかし通太には、彼女が言いたいことがわかった。それは通太でさえ困惑していることだ。
外見は一波綾乃のままなのに、中身がつくえから一波綾乃本人に変わった途端、喋る言葉が見つからない上に、自分の心が卑屈になっていくのがはっきりと認識できた。
二人は沈黙した。
綾乃はそっぽ向いている。
通太は、自分の手に握られた一波綾乃の携帯に目を落としている。
それで気がついた。
「あ! ……あの……」
綾乃は、無言で振り返った。
「これ、すみません借りてました」
通太は携帯を差し出した。その時、携帯が振動した。通太は画面を見た。
「この番号……露子さんだ!」
通太は反射的に素早く通話ボタンを押した。
「はいもしもし露子さんですか? 駒野に着きましたか? ――――それが……すみませんがとにかく、ローターリーの方へ来てくれませんか? 来た時詳しい状況をお話します。改札を出て左手にあるバス乗り場に僕たちいます」
通太は電話を切ると、改札に繋がる駅建物のアーチに目をやった。寂しげな顔で。
「ちょっと!」
「はい!」
「返してよ!」
「え? あっ、すみません」
通太は携帯を綾乃に返した。
「もう、画面があんたの汗でびしょびしょ」
綾乃はそう言うとスカートで携帯の画面をゴシゴシ拭いた。
その動作は明らかにイライラしていて、もう拭き終わっているはずなのに、まだ画面をゴシゴシしている。
「あんた……」ゴシゴシしながら綾乃は言う。
「はい?」
「声の切り替え上手ね」
「声の切り替え?」
「そうよ。今の電話笹山露子って人よね。その人との会話だと、しっかり声出して喋れてたじゃない」
「そうですか?」
「まず声のトーンが違うわよ」
「はぁ」
綾乃もなぜかしつこくこだわる。
「――これ」
彼女は携帯を通太に放りなげた。
「い、い、い」
通太はお手玉してなんとか携帯を握った。
「わたし、スカートのポケット小さいの。稀川が持ってて」
通太は辟易して、その携帯を自分のポケットに押し込めた時だった。
「稀川くーん」
と声がした。
通太は立ち上がり、反応した。
笹山露子は手を振りながら駆け足でバス停に近づいてきた。
通太は、頬を赤らめた。
笹山露子は、上は日の光を受けてか輝くような白のTシャツを着用しており、腰にウエストポーチを巻いている。下は肌に張り付くようなぴっちりとした水色のデニムを通し、足元は茶色のサンダルを履いている。シンプルな身なりだが、彼女の着こなしが上手いのか素材以上のものが全身から溢れている。
制服とは違う彼女の雰囲気に彼の心はときめいた。
「ちょっとあんた、さっきまで泣いてたのに、もうにやけてるわよ」
一波綾乃が、首を伸ばして通太の脇のそばからにゅっと入ってきた。
「そんなことないです」
「だって鼻の下伸びてるわよ」
通太は鼻下を擦る。
「バカじゃない」
綾乃はそっぽむく。
笹山露子が息を切らせながら彼らの元に辿り着いた。
「稀川くんごめん、遅くなった」
「いいえ、わざわざありがとうございます」
通太はうやうやしく頭を下げた。
「さっきの電話じゃよくわからなかったんだけど、つくおは大丈夫? ねぇ、なにかあったの?」
「それがその……」
通太は言葉に詰まる。
「正直に言った方がいいんじゃない」
綾乃がぶっきらぼうに言った。
「どういうこと? ――まさか……」
笹山露子は綾乃の方をまじまじと凝視し何かに感づいたのか、不安を表情に出した。
「まさかもう、つくお……」
「はい……もうつくえさんは一波さんの体にはいません……。でもね、でも露子さん、僕思うんですけど、つくえさんは元の教室の机に戻ってると思うんです。僕、そう思うんです……」
「うん……」
通太と露子は目線を下げた。机に戻っていてくれればいいのにと、二人の胸中は一致していたが、そんな確証どこにもない。
通太と露子の暗澹とした表情を見ていた綾乃は、罵声を吐いた。
「ちょっと、なによあんたたち! わたしの気持ちも考えてよ? わたしはずっと自分の体を乗っ取られて、ようやく自分の体を取り戻せたのよ! それなのになによ、そんなわたしの前でその乗っ取っていたやつばかりを悲しむなんて! よかったね自分に戻れての一言ぐらいあってもいいのに! 何? わたしは意識を取り戻したらいけなかったの?」
「いいえ、そんなこと思ってなんかいませんよ、でもただ――」
「ただなによ?」
「僕をここまで導いてくれたのはつくえさんだったんです。ここ最近の僕の数日間は、つくえさんのおかげで活気に満ち溢れていました。躍動していました。怖い目もしたけど、ワクワクしていた自分がいたんです。今日は何があるんだろう? 明日は? でももうそれも無くなるかもしれません。前みたいな、つくえさんと出逢う前のいつもの日常に戻るんだろうなって思うと何だか僕……悲しくなります」
「知らないわよ、あんたのことなんか」
綾乃はぷいっと横向いた。
丁度その時、停留所にバスがやってきた。
中からは、たくさんの乗客が降りてきた。そのあとすぐに早くこの場から抜け出したかったのか、バス待ちしていた客がそそくさとバスに乗り込んでいった。
停車しているバスのエンジン音とバスが放つ排気ガスが三人を取り巻いた。
「ごめんなさいね、一波さん。あなたの気持ちも考えずに……。ねえ、ここ直射日光もきつくて暑いから涼しい所へ場所を移さない?」
笹山露子は、謝ったあと、場所を移すことを提案した。
でも綾乃は、
「いいです、わたし帰ります。話すこともありませんし」
と言って、駅方面に歩きだした。
「あっ」
露子は、手を突き出し一波綾乃を制止しようとするが、見る間に彼女は駅へと遠のいて行く。
通太は、別段動こうとしなかった。というよりできなかったと言ったほうがいいか。
つくえと笹山露子を逢わすという目的を達成するためここまで来たが、それが叶わず水泡に帰した今、脱力感だけが残り、一波綾乃を走って追いかける気力が残っていなかった。 それに自分が駆け寄ったところで、彼女がとどまるとも思えなかった。
「稀川くん……」
笹山露子は、振り返る。
通太は歪んだ笑顔を見せた。それは彼が今できる最大限の意思表現だった。




