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稀川通太の不思議なところは、いやな学校生活にも関わらず、毎日通学していることだ。時々休んだりすることもなく、ましてや不登校にもならず、登校しても誰とも交流せず、ただ時間をおくるという日々でも学校を休むということはしなかった。。精神が折れず、通学することに対し彼は、この物語の前半でつくえになぜ学校に来るのだ、という質問で答えている。家に居ては、母親がうるさいだの、学校の正門からの眺望が好きだのと発言していたが、それは彼自身の確固たる理由ではない。学校に行く理由は彼自身もよくわからないのだ。つくえに対しての発言は、ただ自分に言い聞かせている無理矢理な理由だったのかもしれない。
彼に代わって彼も気付いていない彼の行動の源を表現するなら、それは、渇望。
自分から何もせず、毎日机に突っ伏し、しかし、人との接触を大いに期待するということは、道理に合わず意味がないようだが、彼のそれがその時の学校生活における自分の表現方法だった。机に突っ伏しているだけでも何かが起こる。彼は、そのことに希望を見出していた。
そしてその机で寝るという行動が、摩訶不思議に実を結んだ。渇望は達せられた。つくえとの出逢いでだ。
それによって彼は、色々な奇行をして、奇異の目でクラスメイトに晒されたが、結果的には、彼の内、外で彼が無意識に望んでいた変化が生まれた。
その外での変化――この日の学校内では、朝からある噂でもちきりであった。それは、ついに一波綾乃にも彼氏ができた、である。
一波綾乃の姉、一波藤子は、その情報に関しては昨日から確認済みであった。友達からの携帯電話でのメール、もしくは通話によって知っていた。
フジの妹が、学校の坂下ったとこで一目気にせずハイテンションで男の子と抱き合ってたよ
え~、まさかぁ、あの子がぁ、という友達への返事で、その噂について藤子は、否定した。姉から見ても綾乃は男っ気がまったくなく、部屋にアイドルのポスターもなし。好きな俳優もいないよう。実生活でも、校内に男子生徒はおろか、他校の男子生徒のつき合いの告白も全拒否の妹が急に男の子と抱き合うなんて信じられなかった。夕食の時も直接妹に問いただすこともなく、何かの間違いでしょう、ということで彼女の中で落着していた。
ただ、いつもと雰囲気が違うなと感じとっていた。異様に静かだった。友達の情報では、坂の下ではえらく大きな声と動作で男の子とはしゃいでいた、とのことだったが、ご飯時は、黙りこくったまま黙々と食べ物を口に運ぶということだけをしていた。その様子を見た藤子は気味悪いとも思った。それは両親と三女涼香も同じだったようで、綾乃以外の家族全員が目だけでどうしたんだろうとやり取りしていた。母親が代表して「綾乃、調子悪いの?」と尋ねたが、娘から返ってきたのは「大丈夫」の一言。家族全員本当に調子が悪いんだろうと思い、納得した。その食事の様子を見て藤子は尚更、坂の下で抱き合っていたのは妹綾乃ではないと確信したのだ。放課後、大はしゃぎしていた妹が、夕食時はうって変わって静か。
だから次の日、藤子は登校して友達に同じことを聞かれても、違う子と見間違えたのよと笑いながら答えていた。情報を否定された友達らは、いやいや絶対藤子の妹、綾乃ちゃんだよと食い下がるが、藤子は取り合わない。
そのように藤子が、教室で妹の話題で友達と喋っているところへ、登校してきた女学生が血相を変え飛び込んできた。
「フジ! 綾乃ちゃんが!」
藤子は、
「もういいのよ。知ってるし、それ綾乃じゃないし」
と手を振って友達の声を遮る。
「いや、あれは絶対そうよ」
「違うって。あのコが男の子と抱き合うなんてこと――」
「抱き合う? 違うわよ、化粧よ!」
「化粧?」
「そうよ。本人と判別できないくらい塗りたくられてるけど、あれは間違いなく綾乃ちゃんよ」
「ちょっと待って、何の事言ってんの?」
「フジ、今日朝、綾乃ちゃん見た?」
「見たわよ。一瞬だけど朝ごはんの時。私が起きてごはん食べようとした時には、あのコ食べ終わっていて、すぐに部屋に戻っていたわよ」
「顔は?」
「見たわよ、当たり前でしょ。見たって言ってんだから」
「化粧してた? 綾乃ちゃん」
「してないわよ、朝起きたてなんだから。なによ一体? 化粧がどうしたっていうの」
藤子は昨日から妹の件で質問攻めされていて、少し気が立っているようだった。しかも今、化粧という意味不明の単語も出現して、彼女の苛立ちはさらに強まった。
しかし友達は、藤子のイライラにはおかまいなしで話続ける。
「さっき正門で、化粧を厚塗りした女の子がいたの。私、はじめはそれが綾乃ちゃんだってわからなくて、見て笑ってたの。すごくおもしろかったから。なんたって、顔面全体に白色が塗られていて、唇はタラコでしょ。目の周りはパンダの目のふち取りみたいだったし、とにかく笑えたの。でもね、よく見たら、これって綾乃ちゃんじゃないの? って思ったの。思えば思うほどやっぱり綾乃ちゃんだぁってなって、急いで教室まで来たの。フジ知らないのかなって思ったから」
藤子は、素早く教室の時計に目をやり、始業ベルまで時間があることを確かめると、ダッシュで教室を出た。
行先は、妹がいるクラス、一年五組。
(なにがあったの?)
一波藤子の心身は、妹になんらかの異変が起きているのだと直感し、彼女の自覚なしに勝手に動いた。
昨日まで、いや、さっきまで、余裕の態度で友達の語る情報をあしらっていたが、今聞いた化粧の話で、妹に対しての不安が一気に炸裂したのだろう。
自分の中では、処理した出来事――妹は、男の子と抱き合ったりもしていないし、昨日の夕食時の静かさも体調が良くないからだと強引に納得させたが、反芻してみると、抱きつき事件に関しては、目撃者が多いのに加えみんな至近距離から見ていること、夕食時の妹の異変は、やっぱりただならない雰囲気を醸し出していたことと、消化しきれない部分が藤子にはあった。
(どうしたんだろ?)
疑問が渦巻く思考のまま、一年五組に着いた藤子は、教室の様子を首だけ突っ込み、瞬時に妹がいないか見渡す。
「いない。まだ正門?」(いく?)
自問した藤子だが、今から正門に行けば出欠の点呼に遅れる。というより、正門とかいう問題ではなく、今すぐに自分の教室に戻らなければ、遅刻扱いになるだろう。
「仕方ない」
と言って、藤子は自分の教室に戻るため踵を返した。
廊下を走って階段に全速力に近寄った藤子は、曲がればすぐ階段という角で人と激しく衝突した。
「痛っ」
「あふ!」
ぶつかった衝撃で、藤子は腰が引き尻もちをつきそうになったが、太股の筋力をフルに活かし無様な格好になるのは免れた。だが、ぶつかった相手は大げさといえるぐらい激しく後方にでんぐり返しし、結果、三角座りの状態で静止した。
「大丈夫?」
と藤子が心配して声をかけた相手は通太であった。
「……」
通太は、何が起きたかまだ把握できていないようで、大きく目を開いて、一点を見つめている。そして目に前に女子生徒がいるのをようやく確認すると、いきなり立ち上がり大きな声を出した。
「つくえさん!」と。
「はっ?」
藤子は、腰を抜かしたように佇んでいた男子生徒を見て、線が細く、頼りげないなと印象したが、そのコが急に立って大声をだしたのにはびっくりした。
「な、なに?」
「つく! え、え? あ……、すみません」
通太としては、藤子が一波綾乃に似ていて思わず声が出てしまっていたが、よくみると別人だと思ったのでどう弁解したものかと考えたが、小さな声で謝るしかなかった。彼は、一波綾乃の姉の存在は知っていたが、顔は知らない。
「大丈夫? 怪我は無い? 」
「はい、大丈夫です。すみません。考え事しながら歩いていて、前をよく見ていなかったものですから……」
藤子は、通太ののんびりした喋り方に、もどかしさを感じた。時間がないのだ。
「平気だったら私行くわよ。あなたも早く教室行かなきゃ。でしょ?」
「はい!」
藤子はその場を立ち去った。
通太は、それにしても一波さんに似ていたな、と風のように去った女子学生を思い返しながら教室へと歩いた。




