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「はぁはぁはぁ――」
通太は、二人の少女の傍らで息を整えた。いつもの下校時、正門から繋がる坂道の風景を見るということは当然せずに一目散に二人のところまで来た。
「す、すみ、すみませんささやまさん。歩きましょう、歩きながら説明します。つくえさんにも説明しないと」
「つくえさん? じゃあ本当にこの人……つくおくん?」
「本人から説明ありましたか? はい、そうです、彼女がつくえさんです。正確には、中身がです。ええと、と、とりあえず歩きましょう」
通太は早口に説明し歩きだした。
「あの、ええとささやまさん。急いでいる時に本当にすみません。ささやまさんって、電車通学ですか? それとも家はこの辺なんですか?」
「電車通学よ。でもどうしてつくおが、こんな女の子の姿に――」
笹山露子は、一波の全身をくまなく眺める。まだつくおがこの女の子の中にいるということが信じられない様子だ。というか、中身がつくえという表現自体理解に苦しんでいるようだ。
「じゃあ電車に乗る時間、急がなきゃいけないですよね?」
「ええ、できるだけ早く帰って、実家に帰る用意して、出発しないと。うん」
笹山露子は、急く気持ちもあるが、つくおが少女に入ったいきさつの方も気になっていた。
「駅に着くまで、簡単に説明します。ええとですね、色々訳があって、つくえさんの意思がこの人――一波綾乃さんていうんですが、この人にのりうつっちゃったんです」
あまりのはしょりように笹山露子の理解は、まったくついていけなかったが、「一波」という名字だけには反応した。たぶん同じ学年にいる一波藤子さんの妹さんなのだという推測はできた。そういえば顔も似ている。
「で、僕は、さっきささやまさんが明日つくえさんと逢うのが無理ときいてその場では納得したんですが、つくえさん、本当にささやまさんに逢うの楽しみにしていたので、一目でもと思ってつくえさんを伴ってここまできたんです。つくえさんは、今見ての通り動けるので……。ささやまさんが急いでいるっていうのは、わかっていたんですが……」
「そう……。でも本当に彼女がつくお?」
通太の説明を受けても、笹山露子の疑問はすっきりと解消しない。
そんな眉間にしわを寄せている彼女に、一波の姿をしたつくえは、さきほどから笑顔をむけている。それは違和感のない綺麗な笑顔であった。
が、その笑顔がふいに消えた。
「えっ? ということは、明日は逢えないのか?」
その疑問で笑顔が消えたのだ。
「そうなんです。確かこっちに帰ってくるのは……」
通太は顔を笹山露子に向け、答えを促した。
「まだ、わからないの。おじいちゃんの具合次第なの」
「そうか……、そうなのか……、でも今日逢えてよかった。本当によかった」
三人は、坂を下りきった。
そこはT字路になっていて、ここからは堤防があって見えないが、前方には海が広がり、右に堤防に沿って行けば駅の方へ、左は通太の家もある住宅街へと続く道がある。
「稀川くんは、電車通学?」
「いえ、僕はこっちです。一波さんもです」
通太は、親指で住宅街へと続く道を指す。
「そう、じゃあここで――」
「駅までついて行くぞ」
一波の姿をしたつくえは身を乗り出してきた。
「つくえさん、ここで別れましょう。また近いうちに逢えますよ。ね、ささやまさん」
「ええそうよ、こっちに戻ってきたら――、そうだ、稀川くん、携帯の番号教えてくれる?
学校に行く日が判れば連絡するわ」
「……あ、あの、僕……携帯持ってないんです……」
通太は、俯き加減になる。
「ああ、そうなの……」
「――一波綾乃は携帯持ってるぞ! ああっと今は教室にあるか。番号なら教えられる! 番号を教えるぞ! 番号は――」
「ちょっと待ってつくお! 今携帯出すから」
つくえから一波綾乃の携帯番号を教えてもらった笹山露子は、
「それじゃあ、帰ってきたら連絡するから。稀川くん、つくお、またね、ありがとう」
と言い、駅の方に足早に立ち去ろうとした。
「待って! ささやまさん」
「はい?」
「あの、つくえさんが一波さんの中に入っているということは――」
「わかってるわ、誰にも言わない。大丈夫よ。じゃ!」
にこりと微笑むと、露子は、駅に向かっていった。
通太は、露子の後ろ姿を、彼女が見えなくなるまで、そして見えなくなっても、いつまでもうっとりとした表情で見つめていた。
彼の横ではこれまた彼といっしょの表情をした一波の顔がある。
「ううう、あああ、逢えた、笹山露子に逢えたぁぁ」
一波の表情は満面の笑みだ。
「よかったですね、つくえさん」
「ありがとう! ありがとう! 稀川通太ぁ!」
どさりと一波の体が通太に覆いかぶさってきた。
通太は一瞬なにが起きたのか把握できない。
しかし、自分の顔のすぐ横に一波の顔があると理解できて、
「ぎゃああああああああああ」
と顎が外れんばかりの大口を開け、絶叫を腹から押し出した。
と同時に、自分の両腕を自分と一波綾乃の体の間につっかえ棒のように入れ、距離を保とうとした。
「なにやってるんですか!」
一波の姿をしたつくえは、キョトンと通太を見ている。
「なにやってるって、喜びの表現だろ、抱きつくのは」
「ちょ、ちょっとこっちに」
通太は、一波の腕を強引に掴むと、近くの木の陰に移動する。このT字路には、まだ下校の生徒がたくさん集まってくる。誰が見てるかわからないこの場所で誤解を受けるような接触はなるべく避けたいと通太は思ったのだ。彼ほどのおとなしく、情報通でない生徒でさえ敏感になるぐらい一波綾乃の名前は舞峰南高校では知られている。男が彼女の隣に居てるだけで、きっと注目を集めてしまう。それなのにつくえは公然憚らず抱きついてきたのだのだ。人から注目されるのが苦手な通太が焦るのも無理ない。
「どうした?」
「どうしたじゃないですよ! なんてことするんですか、男に抱きつくだなんて」
「いいのではないのか? 俺はとても喜んでいるのだ。それを表現しただけにすぎない」
「今のつくえさんは、外見は女の子なんです。男と女が抱き合うのは、まずいです! しかも一波さんは、ただでさえ注目を集めるんです、それを――」
「ああ、笹山露子に逢えた、逢えたぁ」
つくえは通太の話など聞いていない。
「ふう。とにかく僕たちもここで別れましょう。僕はこのまま家に帰ります。つくえさんは、荷物がまだ教室にあるだろうし――」
「荷物? 荷物なんてどうでもいい。それより俺の嬉しい気持ちをもっと聞いてくれ!」
つくえは一人で大興奮している。両の拳を震わせながら歓喜しているのだ。
「駄目ですよ、荷物をちゃんと取りに戻らないと――」
通太の話が終わるか終わらないうちに、どうしたものか、突然一波の姿をしたつくえは、坂の方に走り始めた。
「荷物を取ってくる!」
そう言い残すと、猛然と坂道を駆け上って行った。
「ちょっと!」
通太が放った声は当然、つくえには届かず。
(つくえさんを待つのか? いやいやいや)
通太は、家に帰るために木の陰から離れた。
その木の周辺には、先ほどから下校途中の何人かの生徒が遠巻きに足をとめ通太ら二人を見入っていた。立ち止る黒集りは次の黒集りを呼ぶ。何事だ何事だと生徒がどんどんT字路に集結してくる。当然の如く、彼らが興味を引くのは、学校で美人で有名な一波綾乃が男子生徒と会話しているということだ。しかもさっきは抱き合っていたのだ。そのような話が、たとえヒソヒソ囁くように友達同士喋っていても、話はその場にいた生徒たちに自然と伝染していき、最終的には大きなどよめきへと変化していった。そして彼らが納得して出した答えが、ついに一波綾乃も彼氏を作ったんだということだった。あと一つ、不思議に、いや不思議でないか、彼らに共通した感想があった。彼氏、悲弱そうだな、という感想がそうだ。そこまでじっくり周知されるほど通太が隠れた木の陰は、人目から逃れるには十分に役割を果たしていなかった。木の陰と言っても、人が興味を持って観察しようと思えば、いくらでも陰が見られる場所だったのだ。
通太は、そんな興味の目に気がつかないのか、気にもせず家路につこうとした。
彼自身が分析できなかったが、彼に代って分析してみれば、彼は疲れ切っていて注意散漫となっていた。そのぐらいこの日は彼の今までの人生の中で一番慌ただしい一日であったろう。
しかしまだ、彼の一日は終わりでなかった。まだまだ濃い出来事が彼を待っていた。




