第二話 草原(令嬢、走る)
#第二話 草原(令嬢、走る)
翌朝はすっきりとした気持ちで目覚めた。
お屋敷の布団はふかふかだけど、ここの布団はそれ以上に温かい。
山の上だから保温性能が高いものを用意してあるようだ。
今日はグレイグさまとやりたかった事の一つ、草原を二人で走り回るのを実現する。
そのために設えた細身で動きやすいドレスにブーツ姿でリビングに行くとクリスタがほとんど用意してくれていた。
「クリスタ、私もやりたい!」
「ではあとはパンを焼くだけですから、グレイグ様を起こして来てください」
「グレイグさま、おはようございます。起きないとお仕置きですわよ」
「ううーん」
まだ夢の世界から抜けきれていないので、おはようのご挨拶をした。
はっ!
グレイグさまは慌てて起き上がられる。
「シェリ、今」
「ご挨拶しました」
「ううん、寝ていた。もう一度挨拶してくれ」
「ダメです。そろそろ起きてください。朝ご飯にしましょう」
グレイグさまは上半身裸で寝ていらっしゃる。
つい、いけない想像をしてしまい、逃げるように部屋を出た。
朝食の支度は及第点が取れるくらいにはうまく出来た。
パンも焦げなかったし、鍋を吹きこぼす事も無かったし、コーヒーは街で飲ませる安価なものよりも美味しい。
目玉焼きは一つ潰れてしまったけど、私は黄身もしっかり焼いた方が好きなので大丈夫。
後片付けはグレイグさまも手伝っていただいて、一緒に並んで作業すると話しながら出来るのでそれもとても楽しい。
出掛ける支度をして更に高地を目指す。
お屋敷の尖塔から見た事があるので、山側から見たらどうなのだろうと気になっていた。
馬車はゆっくりと道に沿って登って行く。
どこまで行くのかと思っていると馬車が停まった。
「ここからは歩きだ。この上にはクロイツベルクがまだグランベル王国に組み込まれる前の監視所があるそうだ」
今も監視所は残っているが、だからこそクロイツベルクが独立されるとヴェルナー領はずっと監視され続ける事になる。
グレイグさまと手を繋いで監視所のある辺りまで昇ると下草だけが茂るステキな草原が広がっている。
「ねえグレイグさま、監視所から見せてもらいましょうよ」
「そうだな」
監視所の職員はグレイグさまの勲章を見て中に入れてくれた。
普通は入れてくれないだろうが、相手が伯爵ともなると現場の人間だけでは判断出来ない。
一旦見せて後から報告するのだと思う。
監視所はヴェルナー伯爵領どころか、アルドワーズ伯爵領も見える。
それに隣国ガルディア王国も見える。
クロイツベルクがここから眺めたから独立する気持ちが高まったのだと想像した。
いや、逆にヴェルナーもアルドワーズもクロイツベルクに従属していたが、グランベル王国に取られたので仕方なく組する事になったのかも知れない。
「そんな事よりグレイグさま、折角他領に来ているのだし、令嬢も走りますよ!」
言って建物から出た。
「シェリ、わざわざ走らなくても」
「これから一生走る事はないかも知れません。それなら今ここで走っておけば一生の思い出ですわ。さあ、グレイグさま、捕まえられるものなら捕まえてごらんなさい」
私はグレイグさまから逃げるように離れた。
「シェリ」
グレイグさまが三歩大股で近寄って来るので私は走って逃げた。
「グレイグさま、ここですわ」
小走りで近付いて来るのをかわして逃げる。
「そろそろ本気を出すぞ」
私も本気だ。
グレイグさまの手が肩に伸びるので身体をひねって交わしてから手が届かない距離を取る。
左に来る、と見せかけて右に来た。
分かり易すぎる。
軽くかわして、本当なら足を払いたいけれど、だんなさまにそれは可哀想なので距離を取る。
「あはは、シェリ、逃げるのがうまいな」
「子供の頃から走るのは好きだったんです。でもグレイグさまの方がもっと好き。一生走れなくなる前にグレイグさまと一緒に走れて嬉しい」
「シェリ、俺も好きだ」
言いながら迫って来る。
それもお見通し。
後ろにステップして右に逃げる。
そして振り返って微笑もうとした時、捕まった。
「うふふ、捕まりましたわ」
そのまま後ろに背中から倒れていく。
柔らかい草のおかげで怪我はないけれど倒れた衝撃で肺が圧迫されて呼吸が出来ない。
「シェリ、大丈夫か?」
グレイグさまは心配なさるけど大した事はない。
もう少し落ち着けば呼吸も戻る。
そして呼吸が戻った時、グレイグさまの首に手を回して引き寄せた。
勝者へのご褒美。
グレイグさまはびっくりされたけれど、すぐに意図を理解してもう一度ご褒美を要求された。
いつものご挨拶よりも何倍も長い時間を掛けて確かめ合ってからようやく立ち上がった。
「グレイグさま、街へ降りてみましょう。誰も私たちの事を知らないし、お茶を飲ませるお店に行きたいのです」
「ああ、話には聞くが行った事がない。デートでも行きそびれたので是非行ってみたい」
グレイグさまは立ち上がり私を引き起こしてくれた。お互いの服に付いた草を払って馬車に戻る。
街の雰囲気はだいたい似たり寄ったりだ。アルドワーズにあるものはヴェルナーにもあり、ヴェルナーにあるものはここクロイツベルクにもある。
けれど少しずつ異なる部分もある。
ヴェルナーは一つ一つのお店が大きく、クロイツベルクは逆に小さい。
小さいけれどお店がより細分化されている気がする。
隣国との交易で得られた様々なものがそれぞれ専門店として並ぶ。
おかげでお茶もコーヒーも専門店になっている。
「グレイグさま、お茶とコーヒーとどちらになさいますか?」
「シェリと一緒ならどちらでもいいよ」
んもう、甘い言い方のふりして優柔不断。
「私もですわ。ではどちらのお店も外に看板があるのでそれを見ておいしそうなケーキがある方にしましょう」
じっくり吟味してコーヒーを飲ませる店にした。
お茶は少し落ち着いた雰囲気でドレスを着た人が多いのに対して、コーヒーのお店はもう少し庶民的な雰囲気がしたからだ。
席に着いてコーヒーとケーキを頼む。
グレイグさまはチーズケーキ、私はチョコレートケーキだ。
お店の中はやはり全員が女性でグレイグさまは目立っている。
けれどグレイグさまはその事に気付きさえしないで私を見つめてにこにこされる。
「私の顔に何か付いてますか?もしかして草?」
「いや、目も鼻も口も耳も頬も全てシェリだ。じっくり見ておきたい」
「これから毎日ずっと見られますよ」
お店の中がざわつく。
分かる。その言葉の意味が分かるからつい聞き耳を立ててしまうのだ。
そうして私はグレイグさまといちゃいちゃした。
具体的には、グレイグさまは私の指に指を絡ませたり、ご自身のチーズケーキを私に食べさせようとしたり、私のチョコレートケーキを口に入れたりと甘々だった。
店の中に広がるこの空気、絶対に反省会が開かれる。
「シェリ、あそこには湯を沸かす装置があるらしい。湧き水があるから水は用意してあるし、帰ったら薪を割って湯を湧かそう」
店の中が混乱中。
普通、領民は布で身体を拭いて清めるだけ。
子爵とかはサウナがあったりするけれど、お湯に浸かれるのは伯爵とか侯爵。
でもそんな人たちは薪を割らない。
全部使用人がやってくれる。
グレイグさまの言葉に偉いのか偉くないのか頭に疑問符が浮かんだ人が多そう。
「ええ、私も何かお手伝いします」
私たちはコーヒーを飲み終わると手を繋いで出て行った。
その他にも色々と見て回り、お土産を色々物色してから別荘に戻った。
「さて、薪を割るか」
グレイグさまは宣言通り薪を割り始めたけれど、途中で上着を脱いでしまわれた。
ちょっと、恥ずかしいんですけど。
少し汗ばんで盛り上がった胸板とか、なんとなく抱きかかえられた時とか、後ろから抱きしめられた時とかを思い出してしまう。
「火種をもらって来ます」
慌てて逃げるように家の中に入り火種を持って出た。
湯釜の下に乾燥した落ち葉を敷き、その上に薪を焚べて火を付けてふうふうと息を吹きかけると、ぽっと火が付いた。
その火を大事に大きくしてから釜に水を入れていく。
薪を割るリズミカルな音が聞こえ、振り向くとグレイグさまが斧を振り下ろされている。
全身の張った筋肉とか、無心で薪を見つめる表情とかやっぱり普段見ない姿はドキドキする。
お湯が沸く頃にはグレイグさまは汗だくになられて、タオルで拭いたけれどやっぱり一番にお風呂に入って欲しいと思う。
「グレイグさま、ちょうどいい湯加減です。お入りください」
「シェリを入れようと頑張ったんだ、シェリから先に」
「いいえ、グレイグさまから」
「そうか、では先に。早く一緒に入りたいものだ」
新婚旅行なのに何故一緒に入れないのか、それはまだ全てが終わっていないから。
クロイツベルクの事が終わるまでは例え新婚旅行と言えど別々に寝るように、とヴェルナー伯爵がおっしゃった。
グレイグさまが衝立越しにうっすらと見える。
「ああ、気持ちいい。シェリが沸かしてくれたお湯はとても気持ちいいよ」
「グレイグさまに割っていただいた薪ですからね」
子供の頃の話を二人して話、グレイグさまが上がられて着替えられるまでにお湯を追加で沸かした。
「シェリ、湯加減はどうだ?」
「とても気持ちいいです。お湯に溶けるまでこのままでいたいです」
そういうわけにもいかないけれど、とても身体が温まった。
クリスタがご飯の用意をしてくれている。
いい匂いが家の中から漂ってくる。
着替えると私は髪を乾かすために先に入って、グレイグさまはお風呂の後片付けをしていただいた。
こうして二日目も幸せな内に終わるかと思われた時、グレイグさまのレイが足に手紙を巻きつけて飛んで来た。




