第一話 別荘(泊まる)
#第一話 別荘(泊まる)
馬車はヴェルナー領を抜け、細い谷を抜けてクロイツベルク領へと入っていく。
左手に山、右手は崖になっており見下ろす形で湖から流れ出た川に山からの湧き水が合流して流れていく。
「シェリ、ほら右手をごらんよ。川がある。あの川はどこから来てるのかな?」
「まあ本当、水がきれいなので山からも知れませんね」
「川遊びもいいな」
グレイグさまはそうおっしゃるけれど、川遊びは大変そう。
石がごろごろして不安定だし、川の流れは甘く見ると危険だし。
やはり令嬢に似合いなのは草原よ!
「シェリ、来るならそろそろだ」
崖沿いの道に入り込んだばかりなのにそんな事をおっしゃる。
まさかそんなにすぐに?
新婚旅行はこれからなのに。
クロイツベルク侯爵はグランベル王国から独立を企んでいる。
そのために隣国のオルデンブルク伯爵と繋がっているのでは、というのがヴェルナー伯爵のお考え。
いつの間にか途中の脇道から近付いて来たのだろう、何頭かの馬が馬車の進路を遮るように前に出る。
馬車を引く馬はたまらず前脚を上げて悲鳴のように嘶いた。
覆面をしているために顔は見えないけれど山賊を装ったクロイツベルク、もしくは隣国の誰かだと思う。
こんな場合逃げるのは余計に危ない。
御者がやられて制御を失った馬が崖を落ちてしまう。
大人しく停まって迎え撃つに限る。
「停めてくれ。迎え撃つ」
グレイグさまは当たり前のようにおっしゃる。
「私も出ます」
「シェリにそんな危険な事はさせたくないが、一緒に戦ってくれるのは嬉しい」
グレイグさまを助けた時も私のおかげで敵の不意を突いたと言っても過言ではない。
だからグレイグさまは馬車の中で待ってろとはおっしゃらない。
馬車が停まるとすぐにグレイグさまが出た。
賊は五人。
今回の旅は新婚(婚前)旅行だけど、潜入捜査も兼ねている。
賊が来るのも想定の内だし、私も身動きしやすい服装にしてある。
あ、草原も走りたいからね。
「お前たち、誰に頼まれた」
グレイグさまがおっしゃる。
これ、事情を知らないと本当に間抜けよね。
正直に話すはずないのに。
でも時間稼ぎにはちょうどいい。
「聞かれて素直に言うと思うか?」
「クロイツベルクか?」
単刀直入に聞かれる。
誰も何も言わない。
中からでは表情が見えないので馬車を降りた。
傘をさして皆の前に出る。
「あら、皆さまお揃いでどうされたのです?」
私は傘を畳んだ。
伯爵夫人はナイフを持っている。
いざという時、辱めを受ける前に自ら命を絶つためだ。
けれど私はそんなのは嫌なので特別に傘の柄を細身の剣に仕立ててもらった。
鞘から抜くように傘から柄を抜き、傘の部分を御者台に投げて柄の中に隠されていた剣を構えた。
「おい、罠じゃないか?」
賊のうちの誰かが言う。
あ、やる気満々で出て行ったらそうなっちゃうか。
「貴方達、オルデンブルク伯爵からいらしたの?それともケストナー侯爵から指示されて?」
「おい、どうする?やっぱり罠っぽいぞ」
グレイグさまお許しください。
賊を捕まえる絶好の機会を逃してしまいそうです。
後ろからバルト様達の馬が走って来る。
今回の旅の護衛はグレイグさまの部下のバルト様が率いている。
賊が現れる事を見越して少し離れてついてきていたのだけど、ようやく追いついた。
こうなっては賊側もただでは帰れないだろう、少しでも手柄を、と一番弱そうな相手を選ぶはず。
御者は馬が暴れても馬車が走らないようにブレーキを掛け、馬車の屋根の上に避難する。
私は邪魔にならないように馬車に戻って中に入った。
無力な御者と私に刃が向けられる心配をよそに賊はあっと言う間に確保されてしまう。
手柄もなく身元もばれそうな状態では抵抗するよりも捕まった方が口封じされないだけマシだ。
バルト様は賊を捕まえて戻って行ったけれど、今の状態ではただ馬車に近付いただけ。
礼儀を欠いた通り抜け、特に崖の脇を通るので無言で通り抜けるのは危険なのでそこを問うはず。
でも二三日で釈放されると思う、とグレイグさまがおっしゃる。
けれどそれこそが本当の罠で敵は失敗に焦り今度こそはと再び行動に出るはず。
旅に出る前の晩、最後の晩餐での話し合いでそのための策を練っていた。
「父上、旅行に行くのにシェリから一つ提案があるそうです」
「ほう、シェリルの案であれば聞いてみたい」
ヴェルナー伯爵は私の事を買い被り過ぎだ。
「伯爵家が多数の兵を動かすと、クロイツベルクも黙っていられません。けれど、私の実家のラングリス子爵が護衛するなら文句も言われないのでは?」
「なるほど。だがラングリス子爵が仕えるアルドワーズ伯爵が許すと思うか?」
まあ普通は許さないに決まっている。
他の伯爵の護衛を配下の者にさせるなどありえない。
「ヴェルナー領は国境を守る立場、私のわがままで行く旅行に兵は出せません。だから実家に泣きついたと言えば仕方ないというのではないでしょうか」
「さすがシェリルだ。グレイグ、アルドワーズ伯爵には貸しを作ると話しておけ。お前から話した方が乗るだろう」
「分かりました。表向きは護衛、真の目的はクロイツベルク伯爵の糾弾」
馬車はその後は何事もなく別荘に着いた。
街からは少し離れているけれど、昼は街が遠くに見え、きっと夜は街の明かりが星のようできれいに決まっている。
更に遠くを見ると日が傾き始め夕焼けが辺りを赤く染めている。
「グレイグさま、まだ初日だというのにこんなにもステキなところで過ごせるなんてしあわせです」
ちょっとだけ甘えてしまった。
グレイグさまがそっと肩に手を置かれると外套がちょうど私を包むようになって少し冷えた風から守られているようだ。
「ああ、シェリと一緒に夕焼けを見られるなんてしあわせだ。さあ、そろそろ冷えて来る。中に入ろう」
別荘の中は暖炉の火で暖かくいい匂いがする。
クリスタは二人の邪魔をしないように既に料理をテーブルに運んで奥に控えている。
簡単な事は私がやるので可能な限り二人にしておいて、と言ってある。
今までゆっくり二人きりで会話をする事が少なかったので、ディナーを食べながら色々な話をした。
「間違いで求婚の手紙が届いた時には、手紙を返すのについて行けばきっとおいしいお菓子が食べられると思ったのです」
正直に打ち明けるとグレイグさまは面白かったらしくずっと笑ってらっしゃる。
何だか悔しくて両手で顔を挟むと、その手を掴まれて危うく食事が終わってしまうところだった。
グレイグさまのシチューが無くなっていたのでお代わりはどうですか、と尋ねるとクリスタを呼ぼうとされるので慌てて手で口を塞いだ。
「私がやります」
グレイグさまの唇が手に触れてしまった。
これはいけない。
一度しあわせを知ってしまうと、次はもっとしあわせが欲しくなる。
手に触れてしまったので、次は別の場所に。
グレイグさまも同じ事をお考えになったので、私の顔に手を近づけられる。
私はその手にそっと口付けをした。
シチューのお代わりをよそい、席に着くとグレイグさまの顔を見た。
「人は自分に無いものを欲しがるのだな。シェリがこうして世話を焼いてくれるのも愛おしい。領民は当たり前にこのしあわせを味わっているのだな」
「そうですね、その代わり領民は『伯爵様は毎日専属のシェフの料理を食べているのだな』と思っていますよ」
「違いない。シェリと一緒にいられる事が幸せという事だけは忘れないようにしたい」
「私もです」
もう隠す事もないし、照れる事もない。
世界で一番大切な人だ。
グレイグさまの目が少し横に逸れた。
「シェリ、月が登り始めているね」
「一緒に外で見上げましょう!」
立ち上がり外へ出る。
グレイグさまは私と手を繋ぎたがった。
今はまだそれ以上は許されない。
だから、互いの唇が触れた場所同士を触れ合いたい。
街の明かりの一つ一つから幸せが溢れているような気がして、自分達もそうありたいと思った。
「覚えてらっしゃいますか?月の事」
「もちろん。離れていても一緒の時も同じ月が見られる。今もこうして」
しばらく月を見ていたら冷えて来てグレイグさまに包まれていても身体が震えて来た。
「ああ、しまった。シェリ、そろそろ中に入ろう」
再び中に入るとクリスタが後片付けをしていた。
「今日はお二人ともお疲れ様でした。ここは山なので外は冷えたのではないですか?シェリル様は布団に包まって温まった方がよろしいですよ」
クリスタのいう通りだ。
折角の旅行なのに初日から頑張り過ぎる必要はない。
「せめて部屋まで運ぼう」
グレイグさまは軽々と私を抱き上げると部屋まで連れて行かれる。
クリスタも後片付けの手を止めて付いてくる。
「シェリル様をベッドにお運びになったらすぐ出て来てくださいね!」
ドアがしまる時にちらと見えたクリスタは両手を腰に当て仁王立ちしていた。
「グレイグさま、おやすみなさい。明日もまた一緒に過ごせますね」
「ああ、おやすみ、シェリ」
おやすみの挨拶は、いつもはおでこだったけど、今晩から少しだけ違う場所になってしまった。
手では我慢出来なくなったみたい。




