EP 7
将軍の怒り、天極流の解放
「死ねや、ウサギのネエチャン!!」
血を吐き、膝をつくキャルルに向けて、ならず者の凶刃が振り下ろされる。
彼女は逃げることもできたはずだ。だが、背後の負傷した傭兵を庇うように、その小さな体を盾にして目を閉じた。
己の命を削ってまで、民を、客を守ろうとするその背中。
それを嘲笑い、己の欲望のままに踏みにじろうとする下劣な悪。
……俺の胸の奥で、決して触れてはならない逆鱗が完全に弾け飛んだ。
口の中に放り込んだコーヒーキャンディを、奥歯で力強く噛み砕く。
――ガリッ。
その硬質な音が店内に響いた瞬間。
空間の温度が、数度下がったような錯覚が店中を支配した。
「……あ?」
凶刃を振り下ろそうとしていた男が、首だけをこちらへ向けた。
遅い。あまりにも遅すぎる。
俺はすでに、【小野派一刀流】の音を殺した歩法『送り足』で、男の懐に完全に潜り込んでいた。
「なっ――!?」
男が驚愕に目を見開くのと同時。
俺は男の剣を持つ手首を下から跳ね上げるように掴み、【関口流柔術】の極意をもってその関節を逆方向へと極め抜いた。
『ゴキパァァンッ!!』
「ぎゃああああああああっ!?」
乾いた破裂音が響き、男の腕が不自然な方向へぐにゃりと曲がる。
俺は悲鳴を上げる男の胸ぐらを掴み、そのまま背負い投げの要領で、他のならず者たちが固まっている場所へと砲弾のように投げつけた。
「うおっ!? な、何だコイツ!?」
「料理人の親父じゃねえのかよ!?」
ドサドサッと折り重なって倒れた男たちが、パニックに陥りながらも一斉に立ち上がり、俺に向けて武器を構える。
俺はキャルルの前に静かに立ち塞がり、腰に帯びた愛刀『白雪』の柄に手をかけた。
「じいちゃんが崇拝した『吉宗公』の時代なら、お前らみたいな外道は問答無用で叩き斬って、その首を市中引き回しにしてる所だ」
チャキ、と親指で鍔を押し上げ、白刃をわずかに覗かせる。
「だが、ここは俺の店だ。お前らみたいな薄汚いゴミの血を床に撒き散らして、美味いメシの匂いを台無しにしたくはない。だから……」
俺は白雪を抜かず、鞘に収めたまま、左手でその中程を掴んだ。
鞘ごと振るう、【宝蔵院流】の槍術を応用した長柄の打撃術へのスイッチ。
「……五体不満足で、生きて店から追い出してやる」
「舐めやがって!! ぶっ殺せ!!」
三人の男が、同時に俺へと殺到する。
俺は低く身を沈め、先頭の男の膝関節に向けて白雪の鞘(石突き)を音速で叩き込んだ。
メシャッ!
「あぎゃっ!?」
膝の皿を粉砕された男が前のめりに倒れ込む。
その背中を足場にして跳躍し、続く二番目の男の顎下へ、鞘の先端を正確に突き上げる。
ゴガッ!!
「あぶっ……」
脳震盪を起こし、白目を剥いて崩れ落ちる男。
着地と同時に、最後尾から迫っていたリーダー格の男が、大剣を俺の脳天へと振り下ろしてきた。
「死ねェェェッ!!」
「遅えよ」
俺は半身になってその大剣を紙一重で躱すと、男の懐へと滑り込む。
そのまま、鞘を持った手を男の首に絡めつけ、関口流柔術の『首絞』の体勢に入り――大外刈りの要領で、男の後頭部を強かに床のステンレスに叩きつけた。
ドグォォォンッ!!
「がっ……はっ…………」
リーダーの男は、口から泡を吹き、痙攣しながら完全に意識を刈り取られた。
静寂が、店内に戻る。
キャンディを噛み砕いてから、わずか十秒足らずの出来事だった。
「……ふぅ」
俺は白雪を腰に戻し、乱れたコックコートの襟を正した。
一滴の血も流さず、店の備品を一つも壊すことなく、暴漢たちを完全に制圧する。これが祖父から叩き込まれた『天極流』の実戦における最適解だ。
「す、すげえ……」
「なんだあの親父……。あの動き、ただの料理人じゃねえぞ……!」
唖然としていた傭兵たちが、戦慄と畏敬の混じった声を上げる。
俺は厨房の奥で震えているリリスとリーザに向かって、顎で入り口をしゃくった。
「おい、リリス、リーザ。そこの生ゴミ共を店の外につまみ出しておけ。少しでも抵抗するなら、その『すまーとふぉんの角』で頭をカチ割っていいぞ」
「は、はいっ! えーいっ!」
リリスがゴツいスマホケースの角でリーダーの頭をポクポクと殴りながら(すでに気絶しているが)、リーザと二人で男たちの足を引っ張ってズルズルと店の外へ放り出していく。
「あ……あの……」
ふと、足元からか細い声が聞こえた。
見下ろすと、口元を血で赤く染めたキャルルが、呆然と俺を見上げていた。
「……怪我はないか、村長さん」
俺がしゃがみ込み、彼女の目線に合わせて問いかけると、キャルルはハッとしたように身をすくませた。
その瞳には、先ほどまでの勇敢さはなく、限界を超えて魔力と体力を消費したことによる濃い疲労の色が浮かんでいる。
「わ、私は大丈夫です……でも、彼が……」
キャルルは自分のことよりも、背後の傭兵を気に掛けていた。
傭兵の傷は彼女の魔法で完全に塞がっているが、出血が酷かったせいで顔面が蒼白になっている。そして何より、魔法の代償として吐血したキャルル自身の顔色も、幽鬼のように真っ白だった。
「他人の心配をしてる場合か。自分の顔を鏡で見てみろ」
俺は短くため息をつき、キャルルの小さな体をヒョイと横抱き(お姫様抱っこ)にした。
「ひゃうっ!?」
「暴れるな。手当てをしてやる」
顔を真っ赤にしてウサギの耳をピンと立てるキャルルを抱えたまま、俺は厨房の奥へと歩き出す。
暴力による『成敗』は終わった。
ここから先は、三ツ星シェフとしての『救済』の時間だ。




