EP 5
【調理開始】魔法陣 vs 科学と包丁
ポポロ村の中央広場は、かつてないほどの熱気と喧騒に包まれていた。
急造された特設の調理台が二つ並び、その正面には審査員席が設けられている。
審査員は三人。
帝国軍第十二大隊長、クラウス・クライン。
ポポロ村宰相、リバロン。
そして、なぜか『付け髭とサングラス』という怪しすぎる変装をした初老の男――帝国最高権力者の一人、内務卿オルウェルである。(リバロンが帝都への報告ついでにこっそり呼び寄せていたのだ)。
「さあ、見とれるがいい! 辺境のゴミ屑ども! これが帝都の至高たる【魔法調理】だ!」
ユリウスが高らかに宣言し、指を鳴らした。
瞬間、彼の調理台の下に幾重もの複雑な『火の魔法陣』が展開され、目にも鮮やかな真紅の炎が舞い上がる。
「おおおっ! すげえ魔力だ!」
「炎が踊ってるみたいだぞ!」
観衆がどよめく中、ユリウスは魔導冷蔵箱から、宝石のように輝く『幻帝竜』の極上リブロースを取り出した。
「燃え盛れ! 【紅蓮焼き(クリムゾン・ロースト)】!」
ユリウスが肉を炎の魔法陣に放り込む。
ジュワァァァァァッ!!という凄まじい音と共に、ドラゴンの極上の脂が溶け出し、広場中に暴力的なまでに美味そうな匂いが充満した。
「スゥゥゥ……ハァァァッ! あぁぁ……匂いだけでご飯が三杯いけそうですぅ!」
審査員席の横で見学していたリーザが、たまらずヨダレを拭う。
だが、ユリウスの真骨頂はここからだった。
「仕上げだ! 皇帝陛下すらも虜にする、私のユニークスキル! 【味覚付与】!!」
ユリウスの右腕から、黄金の魔力の粒子がキラキラと降り注ぎ、分厚いステーキ肉へと吸い込まれていく。
それは、食材のポテンシャルを強制的に引き上げ、脳に直接『極上の美味』を錯覚させる、まさに反則級のチート魔法。
エンチャントが完了した瞬間、幻帝竜の肉は後光が射しているかのように神々しく輝き始めた。
「フハハハハ! 完成だ! これが魔法と才能の結晶! 誰がどう足掻こうと超えられない、絶対的な美味だ!」
観衆は完全にユリウスの魔法の演出と匂いに呑まれ、ゴクリと息を呑んでいた。
一方。
そんなド派手な宮廷魔法のショーの隣で、優也の調理台は……お通夜のように静まり返っていた。
「……ダーリン、大丈夫ですかぅ?」
「優也さん……火も使わずに、ずっとお鍋を見つめてるけど……」
リーザとキャルルが不安そうに見守る中、優也は口にLarkを咥えたまま、コトコトと微かな湯気を立てる大鍋の前に腕を組んで立っていた。
彼が取り出したのは、昨夜、ヒロインたちが集めてきた『酸腐れワイン』と『鬼食い草』のドス黒いマリネ液に一晩漬け込んだ、マッドボア(泥豚)のブロック肉だ。
優也はその肉をマリネ液から取り出し、耐熱性の魔導ポリ袋に密閉し、お湯を張った大鍋の中に沈めていた。
「アッハッハッハッ! なんだその真っ黒な汚物は! しかもお湯に浮かべて、一体何をしている!?」
ユリウスが腹を抱えて嘲笑う。
「沸騰すらしていない温いお湯で肉を煮るなど、料理の基礎すら分かっていない証拠! 帝国では、そんな調理法は豚の餌にすら使わんぞ!」
ユリウスの言う通り、優也の鍋の湯はグラグラと沸き立つわけではなく、わずかに気泡が上がる程度の温度を保っていた。
観衆からも「諦めてスープでも作ってんのか?」という落胆の声が漏れる。
だが、優也はそんな嘲笑を気にも留めず、温度計の魔道具で湯の温度を厳密に測りながら、火の魔石をミリ単位で調整していた。
「……温度は摂氏63度。完璧だ」
優也の目は、一切の妥協を許さない『三ツ星の料理人』のそれだった。
(あのバカは知らない。肉のタンパク質は66度を超えると急激に硬く収縮し、水分(肉汁)を失ってパサパサになるという科学的真理を)
優也が行っているのは、地球の最新の料理科学――**【低温調理(真空調理法)】**である。
マッドボアのゴムのように硬い筋繊維は、昨夜のたまんねぎの酵素と、酸腐れワインの強酸によって、すでに細胞レベルでボロボロに破壊されている。
そして今、タンパク質が硬くならない『63度』という絶妙な温度帯でじっくりと熱を入れることで、硬いコラーゲンだけが溶け出し、肉の中に極上の肉汁を100%閉じ込めたまま、ゼリーのように柔らかな状態へと変化していくのだ。
魔法のエンチャントなど不要。
ロジック(科学)と時間こそが、安い肉を化けさせる最強の魔法である。
「おい、定食屋。もう降参したらどうだ? 見ろ、審査員たちも私の『幻帝竜の魔法焙煎ステーキ』を待ちきれなくてヨダレを垂らしているぞ」
ユリウスが、黄金に輝く肉を皿に盛り付けながら勝ち誇った笑みを浮かべる。
「急ぐな。……美味いメシってのは、待ってる時間もスパイスなんだよ」
優也はLarkの灰を携帯灰皿に落とし、大鍋から密閉袋を引き上げた。
袋を開けると、中から取り出されたマッドボアの肉は、最初のどす黒い色から一変し、ほんのりと桜色に色づき、ぷるんぷるんと震えるほどの信じられない柔らかさになっていた。
「なっ……なんだその肉は!? 泥豚のくせに、なぜそんなに柔らかそうに……!?」
ユリウスの笑みが、わずかに引き攣る。
「……下ごしらえ(科学)は完璧だ。ここからは、親父の包丁(腕)の見せ所だぜ」
優也がまな板の上に桜色のブロック肉を置き、包丁を手に取った瞬間。
空気が、ピンと張り詰めた。
魔法の炎が舞う宮廷シェフと、静寂の中で包丁を握る定食屋の親父。
両極端のふた皿が、いよいよ審査員の前に運ばれようとしていた。




