EP 3
村長の決意と、定食屋の怒り
夕暮れ時。
暖簾を下ろす前の『三ツ星食堂・白雪』に、キャルルが静かに入ってきた。
いつもは元気にウサギの耳を揺らして「優也さぁん♡」と飛びついてくる彼女が、今日はどこか影を背負い、無理に作ったような薄い笑みを浮かべていた。
「優也さん。……あの、私、今日から少しの間だけ、村を留守にします。ですから、お店には来られなくなっちゃうんですけど……」
「キャルル! やめなさい!!」
キャルルの言葉を遮るように、バンッ!と勢いよく引き戸が開けられ、ダイヤが飛び込んできた。
彼女の目は赤く腫れ上がり、息を切らしている。その背後には、無言で俯くリバロンの姿もあった。
「どうした、騒々しい」
俺が仕込みの手を止めて尋ねると、ダイヤは涙を堪えきれずに叫んだ。
「ゲルド子爵よ! あの豚、村の物流を再開させる条件として……キャルルを自分の屋敷の寝室に連れ込もうとしてるの! キャルルは、村と優也のお店を守るために、自分の身を犠牲にする気なのよ!!」
「……ッ!」
ホールで賄いを食べていたリリスとリーザが、同時にフォークを落とした。
「なっ……なんて卑劣な!! 乙女の純情を人質に取るなんて、絶対に許せませんぅ!!」
「そんなのダメですぅ! 悪徳貴族なんて、私が毎日食べてるその辺の雑草の刑にしてやりますぅ!!」
激怒する二人に対し、キャルルは寂しそうに首を振った。
「いいんです。……月兎族は、昔からそういう運命なんです。綺麗な毛並みと希少さだけで、権力者のおもちゃとして狙われ続ける。……でも、私の身体一つで、大好きな村と、優也さんのお店が守れるなら……安いものですから」
キャルルはギュッと両手を握りしめ、必死に涙をこらえて笑おうとした。
「あの豚の『ブラッシング』さえ我慢すれば、また、優也さんのご飯が食べられますから。……だから優也さん、行ってきま――」
「座れ」
俺の低く、地を這うような声が店内に響いた。
思わずキャルルがビクッと肩を震わせ、カウンターの丸椅子に腰を下ろす。
俺は無言で冷蔵庫を開け、オレンジ色の『人参マンドラ』を一本取り出した。
「ギィッ……!?」
まな板の上で逃げようとしたマンドラの急所を指で突き、一瞬で気絶(下処理)させる。
それを手早くシャトー剥き(フットボール状)に切り揃え、小鍋に放り込んだ。
たっぷりのバターと、ポポロ村の聖なる泉の水。そして『ハニーかぼちゃ』から抽出した極上のシロップを加え、中火でコトコトと煮詰めていく。
「ゆ、優也さん……? 私、もうお迎えの馬車が来ちゃうから、行かないと……」
「黙って待ってろ」
数分後。
鍋の中で水分が飛び、バターとハニーシロップが乳化して、人参の表面に宝石のような黄金色の艶が出た。
「お待ち。『人参マンドラとハニーかぼちゃの極上グラッセ』だ」
俺は真っ白な小皿に盛り付けたそれを、キャルルの前にコトンと置いた。
立ち昇るバターの芳醇な香りと、脳を溶かすような甘い匂い。
「……あ、私……」
「食え。村長として村を出るなら、最後にうちのメシを腹に入れていけ。……それが嫌なら、ここから一歩も外には出さねえ」
俺の有無を言わせぬ視線に圧され、キャルルは震える手でフォークを握り、オレンジ色に輝くグラッセを一口かじった。
「――――っ」
瞬間、キャルルの大きな瞳から、堪えきれなかった大粒の涙がボロボロと溢れ出した。
「あ、あまっ……。甘くて、ホクホクで……バターの香りが、胸の奥までいっぱいに広がって……ッ。美味しい……本当に、美味しいですぅ……ッ」
恐怖も、絶望も、理不尽な運命も。
極上の甘味がもたらす『暴力的なまでの幸福感』の前では、全てが決壊する。
キャルルは子供のように声を上げて泣きじゃくりながら、人参のグラッセを夢中で口に運んだ。
「うわぁぁぁんっ……! 嫌だ……っ! 嫌です、優也さん……! 汚い豚の部屋になんて行きたくないっ! ずっと、ずっと優也さんのそばで、美味しいご飯を食べてたいよぉ……ッ!!」
ついにこぼれ落ちた、彼女の本当の『本音』。
俺は空になった小皿を下げ、ポケットからLarkを取り出して火を点けた。
ふぅ、と紫煙を細く吐き出し、泣き崩れるキャルルを見下ろす。
「……お前な。俺を誰だと思ってる」
俺はコックコートの襟を正し、冷たい怒りを帯びた声で言った。
「俺は三ツ星のシェフだ。……自分の店を守るために、常連の女に股を開かせるようなダサい真似はしねえ。死んだ目をした女に食わせるメシなんて、俺の厨房にはねえんだよ」
「優也、さん……」
「ダイヤ。リバロン。それにリリスとリーザ」
俺が声をかけると、四人がビシッと姿勢を正した。
「今夜、あの豚子爵の屋敷で『キャルル歓迎の宴』が開かれるらしいな。なら、極上の料理とサービスで出迎えてやるのが、一流の飲食店の礼儀ってもんだ」
俺は愛刀『白雪』を手に取り、ニヤリと不敵に笑った。
「野郎ども、準備しろ。これより、ゲルド子爵邸に『出張ケータリング』に向かう。……村の物流を止めた悪食の豚に、三ツ星の【フルコース(物理)】を味わわせてやるぞ」
「「「はいっ!!」」」
四人の乙女(と一人の執事)の、気合の入った返事が店内に響き渡る。
月兎の涙を拭うため、定食屋の親父と史上最凶の従業員たちが、悪徳貴族の館へと乗り込もうとしていた。




