第四章『月兎の涙と、乙女たちの四段腹キック!』
神の財布ゼロと、定食屋の泥臭いリアル
神の財布が完全凍結されてから数日。
『三ツ星食堂・白雪』の朝の厨房で、俺は『エンジェルすまーとふぉん』のスプレッドシートと睨み合っていた。
画面には、容赦のない【原価率】と【人件費】の数字が並んでいる。
「……シープピッグの仕入れ値が金貨2枚。対して提供価格が銀貨5枚だから、原価率は約40%。ここに光熱費代わりの魔石代と、リリスたちの人件費(まかない代含む)を乗せると……利益率はトントンってところか」
俺は短く息を吐き、ポケットからLarkを取り出して火を点けた。
これまでは、地球の最高級スパイスや調味料を「ルチアナのツケ」で無限に引き出せたため、原価などあってないようなものだった。
だが、カードが止まった今、純粋にポポロ村の流通ネットワークと、店の日々の売上だけでやり繰りしなければならない。
「……ま、本来の飲食店経営ってのはこういう泥臭いモンだ。神の金がなくても、俺の腕と村の極上素材さえあれば、客の胃袋はいくらでも掴める」
紫煙を細く吐き出しながら、俺は不敵に口角を上げた。
限られた予算と素材の中で、いかに利益を出しつつ最高のメシを提供するか。三ツ星シェフとしての『経営者魂』が、むしろ心地よく刺激されていた。
「ダーリン! おはようございますぅ! 今日のまかないは何ですか!?」
「マスター! 私、お腹と背中がくっつきそうですぅ!」
ホールから、いつものように腹を空かせたリリスとリーザが飛び込んできた。
「今日は『ポポロ野菜とシープピッグの端肉炒め』だ。地球の調味料は使ってねえが、ネギオから安く仕入れた『たまんねぎ』の甘みだけで十分メシが進むはずだ」
俺が二人の前に大盛りの皿を置くと、リーザはボロボロと真珠の涙をこぼした。
「あぁぁ……パンの耳じゃない、ちゃんとしたお肉とあったかいご飯……っ! ダーリン、私、一生このお店でタダ働きしますぅ!」
「リーザちゃん、タダ働きは労働基準法違反ですよぅ! むぐむぐ……んんっ! マスター、お塩とお肉の旨味だけでこんなに美味しいなんて、天才ですぅ!」
頬をリスのように膨らませて食べる二人を見ながら、俺はコーヒーをすする。
今のところ、経営は順調だ。クラウスたち第十二大隊の常連も増え、店の評判は国境を越えて広がりつつある。
――だが、そんな平和な朝の空気は、けたたましい足音によってぶち壊された。
「え、えらいこっちゃ! 親父はん!! えらいこっちゃでぇ!!」
店の引き戸をバンッと開け放ち、ポポロ村の財務担当・ニャングルが、顔面を蒼白にさせて飛び込んできた。
いつもは冷静に算盤を弾く彼が、猫耳をぺしゃんこに伏せて息を切らしている。
「どうした、ニャングル。朝から騒々しいな」
「そ、それが……物流が! 村の物流が完全にストップしよったんや!!」
「なんだと?」
俺はコーヒーカップを置き、眉をひそめた。
「帝都からポポロ村へ続く主要街道が、ルナミス軍の部隊によって完全封鎖されたんや! 外部からの『塩』や『小麦』、それに『魔石』の搬入を積んだロックバイソンの荷馬車が、全部国境で足止め食らってる! このままやと、村の備蓄も親父はんの店のストックも、数日で底を突くで!」
「……ザック男爵は失脚したはずだ。クラウスの部隊も、そんな理不尽な封鎖をするわけがねえ。一体どこのどいつが街道を塞いでる」
俺が鋭く問うと、ニャングルはギリッと歯を食いしばった。
「ゲルド子爵や」
「ゲルド?」
「ルナミス帝国の中央貴族で、この辺り一帯の『広域行政』を管轄しとる男や。ザックみたいな小物の男爵とはワケがちゃう。奴は『ポポロ村で発生したザック男爵の汚職事件の特別調査』っちゅう大義名分を掲げて、強権を発動して村を【兵糧攻め】にしよったんや!」
「兵糧攻め、だと……」
俺の目がスッと細められた。
「あいつ、表向きは『調査』とか抜かしとるけど、本音は違う。あの好色豚……ウチの村長を狙っとるんや」
ニャングルの口から飛び出した言葉に、まかないを食べていたリリスとリーザの動きがピタッと止まった。
「……どういうことだ」
俺が低くドスを効かせた声で尋ねると、ニャングルは悔しそうに拳を震わせた。
「ゲルド子爵は、無類の『希少種族マニア』として有名な変態や。特に、あの美しい『月兎族』の生き残りであるキャルルはんを、ずっと自分のコレクション(妾)にしようと狙っとったんや。……奴は、キャルルはんが自ら『夜伽』に応じるまで、この村の物流を一切再開せえへんつもりやで!」
静寂が、厨房を包み込んだ。
権力を笠に着て、村の食料(兵站)を人質に取り、女一人を犠牲にしようとする卑劣極まりないやり口。
「……」
俺は無言でまな板の上の包丁を手に取り、トントン、とリズム良く残りの野菜を切り始めた。
「お、親父はん……?」
「ニャングル。俺は定食屋の親父だ」
俺は野菜をボウルに移し、Larkの煙をゆっくりと換気扇へ向かって吐き出した。
「客にメシを食わせるための『仕入れ(物流)』を邪魔するハエは……どこのどいつだろうが、容赦なく叩き潰す」
三ツ星シェフの静かな、しかし確かな怒りの炎が、厨房の奥でメラリと燃え上がっていた。




