EP 9
騎士の敬礼
「――そこまでだ!! 帝国軍第十二大隊、突入!! 抵抗する者は容赦なく斬り捨てる!!」
重厚なオーク材の扉が蹴破られ、大広間に怒号が響き渡った。
白銀の甲冑を身に纏い、抜身のミスリルソードを構えたクラウス・クライン。その後ろには、彼に絶対の忠誠を誓う数十名の精鋭騎士たちが、決死の覚悟で雪崩れ込んでくる。
要塞化された男爵邸。数多の私兵と強力な魔導兵器を相手に、多大な犠牲を払うことを覚悟しての強行突入だった。
「ザック男爵! 貴殿の横領と暴挙、これ以上は見過ごせ――」
クラウスが正義の刃を突きつけ、大音声で叫んだ。
しかし、彼の言葉は途中でピタッと止まった。
「……え?」
クラウスと騎士たちの目に飛び込んできたのは、彼らが想像していた『激戦』の光景ではなかった。
広間の中央には、小国を滅ぼせるはずの特級魔導ゴーレムが、まるで空き缶のようにひしゃげてスクラップになっている。
周囲の壁際には、一滴の血も流さずに気絶している私兵の山。
そして、部屋の隅には……自身の尿で絨毯を汚し、虚ろな目で「カネが……私のカネがぁ……」と譫言を繰り返す、完全に精神と社会生活が崩壊した豚男爵の姿があった。
「な、なんだこれは……。一体、何が起きたというのだ……?」
蒼白な顔で立ち尽くすクラウス。
その視線の先で、ふぅ……と細い紫煙が立ち昇った。
「よぉ。遅かったな、公爵様」
大広間のバルコニーを背にして、愛刀『白雪』を肩に担いだ優也が、Larkを燻らせながら気怠げに手を挙げた。
「ゆ、優也殿!? なぜ貴方がここに! まさか、この惨状は……貴方が一人で!?」
「一人じゃねえよ。俺の店の常連(仲間)たちと、ちょっとした『お片付け』を手伝っただけだ」
優也の背後には、両手斧を担いでニヤリと笑うイグニス、涙目で奪還した物資を抱きしめるダイヤ、優也の腕にぴとっと抱き着くキャルル、そして算盤を弾くニャングルの姿があった。
「クラウス大隊長殿。お疲れ様でございます」
ポポロ村の宰相兼執事、リバロンが一歩前へ進み出て、美しい所作で一礼した。
そして、彼の手から分厚い革張りのファイルがクラウスへと差し出される。
「こ、これは?」
「ザック男爵による、軍資金の横領およびポポロ村への不法徴税の全てが記録された『魔導裏帳簿(原本)』です。……ちなみに、デジタルデータの写しは、すでに帝都のオルウェル内務卿の直属監査部へと提出済みでございます」
「オ、オルウェル内務卿に!? すでに!?」
クラウスは雷に打たれたように目を見開いた。
帝国の法において、これほど確実で完璧な【社会的死刑宣告】はない。もはやザックが言い逃れをする隙は、ミリ単位で残されていなかった。
「……ザック男爵の隠し口座も、すでにスッカラカン(ショート)にしておきましたんで。あとは騎士はんたちで、こんがり焼くなり、蟹工船に乗せるなり、好きに料理したっておくれやす」
ニャングルが猫耳を揺らして、カラカラと笑う。
クラウスは震える手で裏帳簿を受け取り、そして、床で白目を剥いているザックを冷ややかに見下ろした。
「……ザック男爵。貴殿を、軍規違反および国家反逆罪の容疑で拘束する。貴族の特権など、もはやどこにも残っていないと思え」
クラウスの合図で、騎士たちがザックの両腕を乱暴に拘束し、引きずり起こした。
「さ、さてと」
優也はLarkを携帯灰皿に落とし、エプロンの紐を軽く締め直した。
「俺たちの仕事(下処理)はこれで終わりだ。村の食材と、自警団のメンテ代はきっちり持ち帰らせてもらうぜ。……おいダイヤ、イグニス。荷車に積め」
「おう! 任せとけ親父!」
「優也、本当に……本当にありがとう……っ!」
仲間たちが次々と大広間を後にしていく。
優也もまた、夜風にコックコートを揺らしながら、振り返ることなく歩き出した。
「待ってくれ、優也殿!」
クラウスが、その背中に向かって叫んだ。
「貴方は……なぜ、ここまでしてくれたのだ。民間人である貴方が、これほど巨大なリスクを冒してまで……私や、辺境の兵士たちを救ってくれた理由は……!」
優也は足を止めず、首だけを少し後ろに向けた。
その口元には、不敵で、どこまでも料理人としてのプライドに満ちた笑みが浮かんでいた。
「言っただろ。俺は定食屋の親父だ」
夜の闇に、彼の低い声が響く。
「客にゴミ(ゲロオムレツ)を食わせ、美味い食材を腐らせる豚を……料理人として見過ごせなかっただけだ。うちの店で暴れた『ツケ』を、払わせたに過ぎねえよ」
ヒラヒラと片手を振り、優也の背中が廊下の闇へと消えていく。
「…………」
クラウスはその背中を、ただ静かに見送っていた。
法も、権力も、圧倒的な武力すらも届かなかった理不尽の壁。それを、ただ『メシを不味くしたから』という理由だけで木端微塵に打ち砕き、一切の恩着せがましさもなく去っていく男。
ノブリス・オブリージュ(高貴なる者の義務)を誰よりも重んじるクラウスの心に、その定食屋の親父の生き様は、どんな英雄の伝説よりも深く、熱く焼き付いた。
「……総員、剣を抜け」
クラウスの静かな、しかし威厳に満ちた号令が広間に響いた。
数十名の精鋭騎士たちが、一糸乱れぬ動きでミスリルソードを抜き放ち、その刀身を自らの胸元(心臓)へと垂直に立てた。
ルナミス帝国における、最高の敬意を示す『騎士の敬礼』。
「我らが恩人にして、最高の料理人に――敬礼ッ!!」
『ハッ!!』
甲冑の鳴る誇り高い音が、夜の男爵邸に響き渡る。
白銀の騎士たち全員が、去り行く『三ツ星食堂・白雪』の店主の背中に向かって、深々と、そして長く頭を下げ続けていた。




