EP 3
豚男爵の暴挙と、踏みにじられた誇り
「……定食屋の親父殿。貴方たち民間人を、軍の不正に巻き込むわけには――」
「案ずるな。俺はただ、美味いメシを邪魔するハエを追い払うだけだ。アンタは少し休んでから、部隊に戻って吉報を待ってな」
俺はクラウスの言葉を遮り、空になったオムライスの皿を下げた。
真面目な騎士は深く一礼し、少しだけ足取りを軽くして店を後にした。彼の背中を見送りながら、俺は冷たい目で細く煙を吐き出した。
(……兵士にゴミを食わせ、私腹を肥やす兵站将校か。料理人として、最も許せねえ部類のクズだな)
――同刻。ルナミス帝国領、国境付近の豪奢な屋敷にて。
「モグモグ……クチャ、クチャ……。おいシェフ! この『肉椎茸』のソテー、焼き加減が甘いぞ! もっとバターをたっぷり使って、ギトギトに焼かんか! 太陽芋のペーストも甘みが足りん!」
ルナミス帝国辺境軍・補給部隊トップ、ザック男爵。
その名の通り、丸々と太った豚のような巨体を揺らし、特注の軍服のボタンを弾け飛ばさんばかりに腹を膨らませた男が、皿の上の極上食材を汚らしい作法で貪り食っていた。
「ひぃっ! も、申し訳ございません閣下! すぐに作り直します!」
雇われた料理人が震え上がりながら、半分以上残っている極上の肉椎茸をゴミ箱へと放り捨てる。
「ふん。まあいい、ポポロ村から巻き上げた食材はまだ腐るほどあるからな。……おい副官。クラウスの第十二大隊への今月の『補給』は済ませたか?」
「はっ。予算の9割を中抜きし、残りの1割でゴルド商会の下請けから『MRE型』を大量に買い叩き、前線へ送りつけました」
副官の報告を聞き、ザック男爵は下劣な笑い声を上げた。
「ゲハハハハッ! 素晴らしい! あの堅物のクラウスめ、今頃は黄色い泥を食って胃を壊している頃だろう! 『ノブリス・オブリージュ』だと? 反吐が出る! 貴族たる者、愚かな平民から搾取し、美味いものを食って肥え太るのが正しき義務というものよ!」
ザックはグラスに注がれた最高級の『サケスキー』を一気に飲み干し、ゲップを放った。
「よし、副官! 次の宴会の準備だ。あのポポロ村は美味い食材の宝庫だからな。『帝国軍の防衛圏内にあるのだから、みかじめ料を払うのは当然の義務』という名目で、もっと絞り上げろ! 逆らうなら、村の自治権ごと叩き潰してやると脅せ!」
「御意のままに!」
かくして、強欲な豚の差し金により、武装した徴税部隊がのどかなポポロ村へと放たれたのだった。
「ふざけないで! 私たち自警団の『武器メンテナンス費用』まで没収するなんて、法外にもほどがあるわ!!」
ポポロ村の中央広場。
紅蓮のクリムゾンアーマーを身に纏った賞金稼ぎ兼・自警団リーダーのダイヤが、帝国の軍服を着た徴税部隊の男たちを前に、激しい怒りに肩を震わせていた。
「法外? ハッ、何をおっしゃるお嬢ちゃん。我々帝国軍が国境を守ってやっているからこそ、この村は平和に農業ができているんだろう? ザック男爵閣下への『感謝の印(特別税)』を納めるのは当然の義務だ」
部隊長であるザックの副官が、ダイヤの足元に置かれた革袋――ダイヤが日々のゲロオムレツ生活に耐え、血の滲むような思いで貯めた武器のメンテ代(金貨)――を、ニヤニヤと笑いながら蹴り飛ばした。
「それに、この『ポポロシガー』も上物だな。男爵閣下の食後の楽しみに、全部没収させてもらうぜ」
副官の背後では、兵士たちがネギオの畑から強引に巻き上げた極上の野菜や、タローマートの倉庫から運び出した物資を、次々と荷馬車に積み込んでいる。
「……っ!! 返しなさい! それは村のみんなが汗水垂らして作ったものよ!!」
ダイヤが腰の『天魔竜聖剣』の柄に手をかけた。
彼女の【ウェポンズマスター】の力とSランクの実力があれば、目の前の兵士十数人など、一分もかからずに血の海に沈めることができる。
だが。
「……おっとぉ? 帝国軍人に剣を向ける気か? いいぜ、やってみろよ」
副官がいやらしく笑い、自らの首をトントンと指差した。
「お前が俺たちを一人でも傷つければ、それは『ポポロ村によるルナミス帝国への反逆』とみなされる。男爵閣下はそれを大義名分にして、この村に軍隊を進め、完全に制圧するだろうよ。……お前の一時の感情で、この村の平和を終わらせる覚悟があるなら、抜いてみろよ!」
「くっ…………!!」
ダイヤはギリッと唇を噛み破り、剣の柄を握る手をブルブルと震わせたまま、俯いた。
彼女は知っている。ここで自分が暴れれば、キャルル村長や、村の農家の人々に取り返しのつかない迷惑がかかることを。だからこそ、理不尽な略奪を前にしても、耐えるしかなかったのだ。
「ゲハハ! 賢明な判断だ! さあ、野郎ども! あらかた積み込んだら、次はあの最近できたっていう定食屋に向かうぞ!」
副官が、いやらしい舌なめずりをして広場の奥を指差した。
「『白雪』とかいう店だ。そこにも極上の肉や酒がたっぷり隠してあるらしいからな。『税の検閲』と称して、全部巻き上げてやる。ついでに、そこの可愛い給仕のネエチャンたちも、男爵閣下の宴会のコンパニオンとしてお持ち帰りしてやろうぜ!」
「やめなさいっ! あの店には手を出させないわよ!!」
ダイヤが叫ぶが、副官は嘲笑いながら、部下たちを引き連れて広場を後にした。
「……くそっ……! 私に……私にもっと力があれば……こんな理不尽……ッ!」
ダイヤはその場に膝をつき、ポツリポツリと悔し涙をこぼした。賞金稼ぎとしての正義感も、自警団としての誇りも、国家という巨大な『権力の盾』の前には無力だった。
――だが。
彼女はまだ知らなかった。
権力の盾を笠に着て、最も怒らせてはいけない『三ツ星の悪魔』の厨房に土足で踏み込もうとしている愚か者たちが、数分後にどのような末路を辿るのかを。




