EP 2
騎士の涙と究極のオムライス
荒れ果てた胃袋に、いきなり重い肉やスパイスは劇毒だ。
俺はまず、付け合わせのスープから取り掛かった。
皮を剥いた『太陽芋』を薄切りにし、少量のバターで透き通るまで炒める。そこに地球の無添加コンソメと、ポポロ村の聖なる泉の水を加え、芋が崩れるまで柔らかく煮込む。
これを裏ごしして極限まで滑らかなペースト状にし、温めた特濃ミルクを少しずつ加えて伸ばしていく。
「よし。太陽芋の特製ポタージュだ。まずはこいつで、胃の粘膜を優しく保護する」
続いてメインのオムライスだ。
フライパンにバターを溶かし、細かく刻んだ『トライバード』の胸肉と、賢者モードの『たまんねぎ』を炒める。
そこに米麦草の冷や飯を投入し、特選トマトピューレと少量のフォンドボー(仔牛のダシ)を絡めながら、パラリと、しかししっとりとしたチキンライスに仕上げる。
そして、オムライスの命である『卵』。
ボウルに平飼いの新鮮な卵を三個割り入れ、生クリームをひと回し。空気を抱き込ませるように素早く撹拌する。
よく熱した鉄のフライパンに多めのバターを落とし、ジュワッと泡立った瞬間に卵液を一気に流し込む。
『ジューゥゥッ!!』
菜箸で手早くかき混ぜ、半熟のトロトロ状態になった瞬間に火から下ろし、チキンライスの上に滑らせるように乗せた。
仕上げに、赤ワインとトマトを煮詰めた特製の特濃ケチャップソースをひと筋かける。
「お待たせしましたぁ! マスター特製、オムライスとポタージュですぅ!」
リリスがトレイを運び、カウンターでうずくまっていたクラウスの前にコトンと置いた。
その瞬間。
皿の上の『黄色い卵の山』を見たクラウスが、ビクッと肩を震わせ、顔を青ざめさせた。
「き、黄色い……オムレツ……。うっ、頭が……。またあの、濡れたゴムと腐った泥の味が……」
一ヶ月間の『ゲロオムレツ』連食によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)が発動しているらしい。美しい顔に冷や汗を浮かべ、スプーンを持つ手がガタガタと震えている。
俺はカウンター越しに、クラウスの前に立った。
「安心しろ。そいつは『食べられる産業廃棄物』じゃない。三ツ星のシェフが、アンタの胃袋を労るためだけに作った『本物のメシ』だ。……騙されたと思って、まずはそのスープから飲んでみろ」
俺の静かな、しかし有無を言わせぬ声に押され、クラウスは恐る恐るスプーンでポタージュをすくい、口へと運んだ。
「――っ」
クラウスの動きが、ピタッと止まった。
口当たりはシルクのように滑らかで、太陽芋の強烈な甘みとミルクのコクが、荒れ果てた胃の腑にジンワリと、温かい毛布を被せるように染み渡っていく。
「あ……あぁ……。温かい……。痛みが、溶けていく……」
「胃が落ち着いたなら、メイン(オムライス)を食え」
クラウスは震える手で、オムライスの中心にスプーンを入れた。
薄い卵の膜が破れ、中からトロットロの半熟卵が、真珠のように輝くチキンライスを包み込むように溢れ出す。
それを一口、口に含んだ瞬間。
「…………ッ!!」
クラウスの美しい蒼い瞳から、ブワッと大粒の涙が溢れ出した。
「な、なんだこれは……ッ! 卵が……卵がこんなにフワフワで、甘くて……! チキンライスの旨味が、酸味の効いたソースと絡み合って……噛まなくても、口の中で優しく解けて消えていく……ッ!!」
ポロポロと涙をこぼしながら、クラウスは夢中でオムライスを口に運び続けた。
誇り高き白銀の騎士が、まるで迷子から見つかった子供のように、しゃくりあげながらメシを食っている。
「美味しい……本当に、美味しい……。私にも、そして私の部下たちにも……本来、食事とは……これほどまでに温かく、幸せな時間だったはずなのに……ッ!」
最後の一口を飲み込み、空になった皿を見つめながら、クラウスは両手で顔を覆って号泣した。
胃袋の痛みが消え去ったことで、彼がこれまで背負い込んできた精神的な重圧と絶望が、一気に決壊したのだろう。
俺は黙って、食後の温かい陽薬草茶を彼の前に置いた。
数分後。
ようやく落ち着きを取り戻したクラウスは、居住まいを正し、俺に向かって深く頭を下げた。
「……取り乱してしまい、申し訳ない。貴方の料理に、心底救われた。私はルナミス帝国辺境軍・第十二大隊指揮官、クラウス・クラインだ」
「俺は優也。この定食屋の親父だ。……で、公爵様がなんであんな『毒』を一ヶ月も食う羽目になってたんだ? 帝国の補給線はどうなってる」
俺が単刀直入に尋ねると、クラウスは悔しげに拳を握りしめた。
「……本来、我々辺境軍には、栄養価の高い『1型(タロ缶)』や『2型』が配給されるはずなのだ。予算も国庫からしっかりと下りている」
クラウスの蒼い瞳に、明確な怒りの火が灯る。
「だが……この地域の補給を一手に握る兵站将校、ザック男爵。あの男が、我々の食料予算を不当に横領しているのだ。奴は浮いた予算で、部下には廃棄物同然の『MRE型』を押し付け……自分は安全な後方の屋敷で、ポポロ村から不当な税として巻き上げた極上の食材と酒で、連日連夜の宴会を開いている……ッ!」
「なんだと?」
俺の目が、スッと細められた。
「本来、ポポロ村は不可侵の緩衝地帯のはずだ。だが奴は『帝国軍の防衛圏内にあるのだから、みかじめ料(食材)を納めるのが当然だ』と法を曲解し、村の農家や自警団を不当に締め付けている。私は何度も上層部に訴えたが……奴はゴルド商会とも裏で繋がっており、証拠が掴めないのだ」
飢える兵士と、私腹を肥やす悪徳貴族。
そして、俺の仕入れ先であるポポロ村の農家までが、その豚の餌食になっているという事実。
(……兵士にゴミを食わせ、美味い食材を独占して腐らせる。料理人(俺)に対する、これ以上ない冒涜だな)
「……クラウスさん。アンタ、そのザックって男爵を、本気で法の下に引きずり出す覚悟はあるか?」
俺が低い声で尋ねると、クラウスは迷いなく頷いた。
「もちろんだ! だが、奴の屋敷は私兵で要塞化されており、手出しができない。私とて、不正な横領の【決定的な証拠(帳簿)】さえあれば……ッ!」
俺はポケットから、コーヒーキャンディを取り出した。
「なら、その証拠……俺たちが引きずり出して、アンタの足元に転がしてやるよ」
――ガリッ。
奥歯で硬いキャンディを噛み砕く音が、静かな厨房に響く。
カフェインの苦味と共に、俺の脳内で『悪徳男爵・完全解体』のプランが急速に組み上がり始めていた。




