EP 9
紫煙と男たちの夜
カチャン、と。
空になった皿とレンゲが重なる音が、深夜の店内に響いた。
「……食った。もう一粒も入らねえ。俺様、生まれて初めてこんなに幸せな満腹感を味わったぜ……」
イグニスがカウンターに突っ伏し、だらしない顔で腹をさすっている。
「同感だ。胃袋が重い。……だが、この重さこそが『生きてメシを食った』という確かな実感を与えてくれる。宮廷のフルコースでは、決して得られない充足感だ」
ルーベンスもまた、満足げなため息をつきながら、空になったイモッカのグラスを置いた。
大盛りのおかわりを含め、計四皿の『油ギトギト焼き飯』は、見事なまでに彼らの胃袋へと消え去った。
「お粗末さん。食後の口直しだ、飲め」
俺は二人の前に、キンキンに冷えた氷水を置き、自分の口にコーヒーキャンディを放り込んだ。そして、ポケットから愛用の『Lark12ミリ』を取り出し、金のオイルライターで火を点ける。
「……フッ。美味いメシと酒の後は、やはりこれに限るな」
ルーベンスが懐から防湿ケースを取り出し、極上の『ポポロシガー』を咥えた。指先に微弱な闇魔法の火種を灯し、スマートに葉巻に火を入れる。ゴルド商会の会長も愛する、深く芳醇な土と太陽の香りが店内に漂い始めた。
「ちぇっ。俺様も一服してえが、ドカタの給料は全部スッちまったからな。シケた葉っぱしか残ってねえや」
イグニスがポケットを探り、クシャクシャになった安物の巻きタバコを取り出して愚痴をこぼす。
「これでも吸ってろ」
俺は『エンジェルすまーとふぉん』のネット通販(ルチアナの口座)で密かに買い溜めしておいた箱を一つ、イグニスに向かって放り投げた。
「おっ? なんだこれ。『マルボロ・アイスブラスト』……? 見たことねえ銘柄だな」
イグニスは不思議そうに箱を開け、一本取り出して咥えた。俺がライターの火を差し出してやると、彼はスゥッと煙を吸い込み――
「ぶはぁッ!? な、なんだこれ! 口の中がスースーする! 氷魔法でも仕込んであんのか!?」
「メンソールタバコだ。油っこいメシの後に合うだろう」
「す、すげえ……! 焼き飯の脂が、一気に爽やかにリセットされやがる! ありがたくもらうぜ親父!」
Lark、ポポロシガー、そしてマルボロ。
三者三様の紫煙が、深夜の厨房の換気扇へと吸い込まれていく。
言葉はなくとも、美味いメシを共有し、共に煙を燻らせるこの時間。男同士の奇妙な連帯感が、そこには確かに存在していた。
「……しかし、これほどの腕を持つ料理人が、なぜこのような国境の村にいる?」
静寂を破り、ルーベンスがポポロシガーの煙をくゆらせながら問いかけてきた。
「ルナミス帝国の帝都に行けば、皇帝の専属料理人にすらなれる腕前だ。いや、我がアバロン魔皇国でも大歓迎されるだろう。あの狂気的な『ORP型』の改善に、ぜひ貴方をスカウトしたいものだ」
「ORP型?」
俺が聞き返すと、ルーベンスは苦虫を噛み潰したような顔で肩をすくめた。
「我が国の軍用糧食だよ。魔法陣から直接アツアツの飯が召喚されるのは良いのだが……うちの魔王様が、最近人間の『アイドル』にどハマりしていてな。レーションの中に『朝倉月人』とかいうアイドルのブロマイドをランダム封入させやがるのだ」
「……は?」
俺は思わずLarkを落としそうになった。魔王が、地球のアイドルのオタクをやっているだと?
「おかげで前線の魔族兵士たちは、塹壕の中でカードのトレード大会に明け暮れている。士気は高いが、軍の防衛予算の30%が『ホログラム加工費』に消える始末だ。……内政を預かる身としては、胃に穴が空く思いだよ」
ルーベンスは自嘲気味に笑い、グラスに残った氷水を煽った。
「へえ、魔皇国も大変なんだな。俺様が日雇いに行ってるルナミスの連中もヤバいぜ」
マルボロを指に挟みながら、イグニスが会話に加わってきた。
「あいつら、QR決済とか魔導兵器とか、表向きはすんげえ近代化してやがるけどよ。裏じゃ内務官のオルウェルってメガネが、ドローンと通信石で監視網をガチガチに敷いてる。……それに、末端の兵士が食ってる『ゲロオムレツ(MRE型)』。あんなもん食わされてりゃ、そのうち反乱が起きるぜ」
「……なるほどな」
俺は煙を細く吐き出しながら、脳内の『帳簿』に彼らの言葉を書き込んでいく。
魔皇国はトップの浪費癖(オタ活)による予算圧迫。
ルナミス帝国は過剰な管理社会と兵站の質の悪化による、末端の不満蓄積。
(どの国も、外装(軍事力)ばかり立派で、内情はボロボロじゃねえか)
俺はふと、二人に視線を向けた。
「なら、お前らはどうするんだ。このまま国が傾くのを、黙って見てるつもりか?」
俺の問いに、二人は少しだけ目を伏せた。
「……俺様は、親父に『城が建った』なんて大見得切っちまった手前、英雄になるまで田舎(実家)には帰れねえ。ポポロ村の自警団でドカタやりながら、デカい獲物を待つしかねえんだ」
「私も似たようなものだ。現実が見えていない魔王を諫めつつ、国が完全に崩壊しないよう、裏でバランスを取る。……まあ、たまの休日にこうして美味いメシを食って、ストレスを誤魔化すのが精一杯だよ」
愚痴をこぼす二人の顔は、どこにでもいる『組織にすり減らされた中間管理職』と『夢破れたフリーター』のそれだった。
(……魔族の貴族も、竜人の若造も。結局、腹を空かせて悩んでるただの客(男)だな)
俺はシンクでグラスを洗いながら、短く笑った。
「そうかよ。まあ、せいぜい胃袋だけは空にするな。戦(仕事)の基本は、よく食い、よく眠ることだ。腹が減ったら、いつでもここに来い。今日みたいな大穴(臨時収入)がなくたって、腹一杯食わせてやる」
俺の言葉に、ルーベンスとイグニスは顔を見合わせ、そして同時に吹き出した。
「ハッハハハ! 違いない! どんな絶望的な状況でも、美味いメシがあれば明日は戦える!」
「ああ、全くだ。親父、あんた最高の料理人だよ。……また必ず、美味いものを食いに来させてもらう」
夜が更けていく。
マンルシア大陸を動かす力を持つ強者たちが、ただの男に戻って紫煙を燻らせる時間。
俺の『三ツ星食堂・白雪』は、着実にこの世界の要人たちの胃袋と心を掌握し始めていた。
――だが、優也はこの時まだ知らなかった。
彼が馬券代としてルチアナのクレカで『純金インゴット(5,000万円分)』を買い叩いた結果、天界でとんでもない【地獄の肉体労働】が始まっていることを。




