EP 7
鉄火場のデータ分析と、大穴の衝撃
「いよいよ第7レースの出走です! 各竜、ゲートに収まりました!」
魔導スクリーンから実況の声が響き渡り、野外コロシアムのボルテージが一気に跳ね上がる。
俺は柵に寄りかかり、Larkの煙を細く吐き出した。
「頼むぜェ……! 1番の『赤のサンダーボルト』! 俺様の今月の給料の半分が乗ってんだ! 実家の親父とお袋に、また嘘の合成写真を送るような惨めな真似はさせねえでくれェッ!」
右隣で、赤い鱗を持つ竜人の若者――イグニスが、ルナミス新聞を力いっぱい握りしめて天に祈っている。プライドの高そうな風貌に反して、その懐事情は涙が出るほど切実らしい。
「フッ。血気に逸る若者はこれだからいかん」
左隣では、上質なスーツを着た魔族の紳士――ルーベンスが、ポポロシガーを優雅に吹かしながら薄く笑っていた。
「血統と過去のタイムだけで『赤のサンダーボルト』のような圧倒的一番人気に群がるのは、大衆の愚かな心理だ。真の勝負師は、オッズと実力が乖離した『3番』の伏兵を狙うもの。……そうだろう、そこの貴方?」
ルーベンスが、ふと俺に同意を求めてきた。
俺は携帯灰皿に灰を落とし、魔導スクリーンを見つめたまま答えた。
「……3番も悪くないが、今日の馬場(魔場)状態には合ってない。俺が買ったのは『8番』だ」
「8番……『サイレント・シャドウ』だと?」
ルーベンスの眉がピクリと動く。
「あれは過去五戦、一度も掲示板に乗っていないロートルだぞ。オッズ100倍を超える大穴……いや、ただの紙屑だ。素人のビギナーズラック狙いか?」
「親父ィ! 夢見んのもいいが、博打はもっと現実見ねえと素寒貧になるぜ!? 俺様みたいに確実な本命を――」
イグニスがドヤ顔で説教を垂れかけた、その瞬間。
『ゲートオープン! 一斉にスタートしました!!』
土埃を上げ、8頭の恐竜型魔獣が猛烈な勢いでコースに飛び出した。
観客席から地鳴りのような歓声が上がる。
「いけェェェッ! そのまま逃げ切れ一番ァ!!」
イグニスが柵から身を乗り出して絶叫する。彼の言う通り、圧倒的なパワーを誇る1番がスタートダッシュを決め、先頭をひた走っていた。ルーベンスの狙う3番も好位につけている。
一方、俺が金貨50枚(約50万円)を突っ込んだ8番は、最後尾をのそのそと走っていた。
「見ろ。やはり8番は使い物にならん。勝負は見えたな」
ルーベンスが勝ち誇ったように煙を吐く。
だが、俺の【日商簿記1級】によるデータ分析回路と、三ツ星シェフとしての『コンディションを読む嗅覚』は、微塵もブレていなかった。
(……今日のルナミス帝都の気温は例年より低く、昨晩の雨で土が深く湿っている。筋肉量の多い1番や3番は、直線のパワー勝負では強いが、この『重い馬場』では自身の体重が仇となり、コーナーで泥に足をとられる)
レースは最終コーナーへ差し掛かろうとしていた。
先頭を走る1番が、スピードを落とさずにコーナーへ突っ込む。
『さあ、最終コーナー! 1番のサンダーボルト、ここで一気に突き放しに……あっ!?』
実況が悲鳴を上げた。
重い泥に足を取られた1番が、コーナーで大きく外側に膨らんだのだ。それに巻き込まれる形で、3番も急減速を余儀なくされる。
「なっ!?」
「あァァァァッ!?」
ルーベンスとイグニスの顔から、同時に余裕が消え去った。
(……対して、8番のサイレント・シャドウ。事前のパドック映像を見た限り、筋肉の張りが薄く見えたが、それは脂肪を極限まで絞り込んだからだ。歩様の柔らかさから、足元のグリップ力も申し分ない)
『内がぽっかりと空いた! そこに突っ込んでくる黒い影! 8番、サイレント・シャドウだァァァッ!!』
泥を苦ともしない軽やかな足取りで、8番がインコースを鋭く突き抜け、ごぼう抜きにしていく。
「嘘だろォォォッ!! 前走れ前ェェェ!!」
「バ、バカな……! 展開のあやとはいえ、あんなロートルが……っ!」
二人の悲鳴を置き去りにし、8番はそのままトップでゴール板を駆け抜けた。
コロシアムが、大番狂わせの静寂と、一部の穴党の狂喜乱舞に包まれる。
俺は静かにLarkの煙を吐き出し、クシャリと丸めた予想紙をゴミ箱に放り込んだ。
「……クソがァァァァッ!! 俺様の……俺様の日雇いドカタの血と汗の結晶がァァァ!!」
イグニスが外れ馬券を粉々に引き裂き、その場に崩れ落ちて咽び泣いている。
「あり得ん……。私の完璧なロジックが、あんな大穴に敗れるなど……」
ルーベンスも、優雅なスーツ姿に似合わぬ呆然とした顔で、手元の馬券を震わせていた。
俺は黙って二人の横を通り過ぎ、払戻窓口へと向かった。
数分後。
ズッシリと重い麻袋を二つ提げて戻ってきた俺を見て、魂の抜けたイグニスとルーベンスが目を見開いた。
「お、おい……親父、嘘だろ。まさかあの100倍超えの大穴に、そんな大金を突っ込んでたのか……!?」
「……ただのビギナーズラックにしては、出来すぎている。貴方、一体何者だ? なぜ8番が来ると分かった?」
俺は麻袋(金貨5000枚=約5,000万円)をドサリと足元に置き、二人に視線を向けた。
「偶然じゃない。数字とコンディションの計算(原価計算)だ」
「計算、だと……?」
「1番や3番のパワーは確かに魅力的だが、あの筋肉量だと昨晩の雨を含んだ『重馬場』では、体重を支えきれずコーナーで外へ流れる。パドックの映像で、8番は極限まで馬体を削ぎ落としていた。あいつの歩様と今日の泥の粘度を相殺すれば、インコースの最短距離を突けるのは8番しかいない。……帳簿は嘘をつかないのさ」
俺の完璧な論理を聞き、ルーベンスはハッと息を呑んだ。
「……天候による土の成分変化と、魔獣の筋繊維の構造まで読み切っての投資……! 素晴らしい。まさに神眼の相馬眼だ!」
魔族の貴公子の瞳に、明らかな敬意と好奇心の光が宿る。
「す、すげえ……! 親父、あんたマジですげえよ!! あんたの予想に乗ってりゃ、俺様の実家にもう一度『金の像が建った』って合成写真じゃなくて、本物の仕送りができたのに……ッ!」
イグニスが、俺の足元にすがりついて号泣し始めた。
「合成写真って……お前、見かけによらず苦労してんだな」
俺はため息をつき、泣きじゃくる竜人の若者と、興味深そうにこちらを見つめる魔族の紳士を見比べた。
「これも何かの縁(御縁)だ。大勝ちした分、奢ってやる。……美味いモン、食いたいか?」
「食う!! なぁ親父、一番高くて美味いモン食わせてくれ!!」
「フッ。私はアバロンの宮廷料理のような、上品で気取ったメシには飽き飽きしているんだ。もし貴方が奢ってくれるというなら……」
ルーベンスはネクタイを少し緩め、ニヤリと『素のオヤジの顔』で笑った。
「とにかく体に悪そうな……油と塩の利いた、ジャンクなヤツを頼みたい」
「……上等だ」
俺はLarkを携帯灰皿にしまい、二人に背を向けた。
「俺の店に来い。とびきり油ギトギトの『漢の焼き飯』を作ってやる」




