EP 4
異世界スパイスカレーの誕生
厨房のステンレス台にクーラーボックスをドンッと置くと、ホールからリリスとリーザが小走りでやってきた。
「マスター! お帰りなさい! その箱、なんですか!?」
「すっごく甘くて……ちょっとだけ、おじさんの匂いがしますぅ」
鼻をヒクヒクさせる二人に「厨房の準備をしろ」とだけ告げ、俺は手早く手洗いを済ませてコックコートの袖をまくった。
「さて。まずは『米麦草』の炊飯からだ」
脱穀の仕方で米にも小麦にもなるという、アナステシア世界が誇る炭水化物の究極完全体。これを『米』の状態で精米し、地球のネット通販(ルチアナのクレカ一括払い)で取り寄せた最新式のIH圧力炊飯器にセットする。
米麦草は吸水率が異常に高いため、地球のミネラルウォーターを使って硬めに炊き上げるのがコツだ。
炊飯のスイッチを押し、俺はまな板の前に立った。
いよいよ、異世界素材と地球のスパイスの融合(錬金術)を始める。
「まずは肉だ」
取り出したのは『シープピッグ(羊豚)』のブロック肉。
豚の豊潤な脂の甘みと、羊の野性味あふれる赤身の旨味を併せ持つ特級素材。これを一口大より少し大きめにカットし、塩コショウと地球の小麦粉を軽く叩く。
熱した厚手の鉄フライパンに牛脂を引き、肉を投入する。
『ジュワァァァァァッ!!』
厨房に、暴力的なまでの肉の焼ける音が響き渡った。
『マギー キッチンサイエンス』が教える【メイラード反応】。肉の表面のタンパク質と糖が150度以上の熱で結びつき、キツネ色の焼き目と強烈な香ばしさを生み出していく。
「ひゃうぅっ……! に、お肉の焼ける匂いが……たまりませんっ!」
ホールとの境目から覗き込んでいるリーザが、すでに涎を滝のように流している。
表面をカリッと焼き固めて肉汁を閉じ込めたシープピッグを一旦取り出し、同じフライパンに次の主役を投入する。
先ほど収穫した、賢者モードの『たまんねぎ』だ。
「成仏しろよ」
サクサクとみじん切りにしていくが、不思議なことに一切目に染みない。煩悩(辛味成分)を完全に捨て去り、純粋な糖度の塊へと昇華している証拠だ。
これをフライパンの肉の脂で炒め始める。
すると、驚くべき現象が起きた。
普通なら飴色になるまで一時間は炒め続けなければならない玉ねぎが、フライパンに入れた途端、自らの圧倒的な糖度によって、ものの数分で極上の黄金色へと変貌したのだ。
「……凄まじいな。調理の常識を完全に覆してやがる」
そこへ、すりおろしたニンニクと生姜を加え、香りが立ったところで、いよいよ【地球の極上スパイス】の出番だ。
クミン、コリアンダー、カルダモン、ターメリック、クローブ、シナモン、レッドチリ……。
ルチアナの口座から容赦なく引き落とされた最高級スパイスたちを、絶妙な黄金比でブレンドし、たまんねぎのペーストへ投入する。
『ジューッ……!!』
スパイスが油の熱に触れ、香りが一気に『開花』した。
異世界の豚羊の脂と、地球のスパイスが結びついた瞬間、脳髄を直接殴りつけるような、深く、複雑で、抗いがたい暴力的な『カレーの香り』が爆発した。
「はわわわ……!? な、なんですかこの匂いぃぃ!?」
「脳みそが……脳みそが溶けちゃいますぅぅ!! ダーリン、これ一体何の魔法ですかぁ!?」
リリスとリーザが、厨房の入り口でフラフラとゾンビのように揺れている。
俺は構わず、スパイスのペーストに地球の特選トマトピューレと、無添加のフォンドボー(仔牛のダシ)を注ぎ込んだ。
そこに、焼いておいたシープピッグの肉を戻し入れる。
さらに、気絶させたまま皮を剥き、乱切りにした『人参マンドラ』と、火の通りが早くホクホクとした食感の『太陽芋』を投入。
このまま、弱火でじっくりと煮込んでいく。
コト……コト……。
鍋肌から、琥珀色のスパイスの泡が弾ける。
煮込めば煮込むほど、たまんねぎの底なしの甘み、シープピッグの野性味、太陽芋と人参マンドラの大地の力が、地球のスパイスという『接着剤』によって一つに融合していく。
(……原価計算をしてみるか)
鍋をかき混ぜながら、俺は脳内の帳簿を開いた。
(異世界素材は、ネギオから譲り受けたものを含めてほぼタダ同然。だが、このカレーに投じられた地球のスパイスとフォンドボーの値段は、ルチアナのクレカで総額およそ5万円。……利益率どころの騒ぎじゃない。これは、神の金で作った究極の『原価無視カレー』だ)
およそ一時間後。
炊飯器から『ピーッ』という終了音が鳴り、米麦草が炊き上がった。
蓋を開けると、真珠のように白く輝く、一粒一粒がピンと立った完璧なライスが湯気を立てている。
真っ白なディナー皿に、ライスをふんわりと盛り付ける。
その横に、煮込み終わった『ポポロ・スパイスカレー』を、お玉でたっぷりと流し込んだ。
サラリとしたルーの中に、ゴロゴロと存在感を放つシープピッグの肉と、鮮やかな人参マンドラのオレンジ色。
立ち昇る湯気は、もはや兵器と呼んでいいほどの食欲増進効果を持っていた。
厨房だけでなく、すでにこの強烈な香りは店の外のメインストリートにまで漏れ出している。
窓の外を見ると、通りを歩いていた傭兵や村人たちが、全員ピタッと足を止め、鼻をヒクヒクさせながら『白雪』の方をガン見していた。
「よし。完成だ」
俺は皿の縁を布巾で拭き、厨房の入り口で完全に涎まみれになっているリリスとリーザに向かって告げた。
「お前ら、試食の時間だ。表のテーブルに座れ」
「「ぎゃあぁぁぁぁぁっっ!! いただきますぅぅぅ!!」」
歓喜の絶叫を上げ、二人は弾かれたようにテーブルへ走っていった。
さあ、異世界の舌に、三ツ星シェフの『スパイスカレー』がどう評価されるか。
俺は三皿のカレーをトレイに乗せ、ホールへと歩みを進めた。




