EP 2
農園の賢者と、原価ゼロの哲学
「さあ、始めようぜ。究極の論破ゲーム(哲学問答)をよォ!」
ポポロ村の農場エリアの最奥。
巨大な樹人・ネギオは、紫煙を燻らせながらニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
彼の足元からは、彼自身の魔力で形成された鋼鉄のネギ……『ネギカリバー』が数本、刃のように突き出している。
「いいだろう。お前の問題を聞こうか」
俺は灰皿を片手に、Larkの煙を細く吐き出した。
ネギオはロッキングチェアをギシ、と鳴らし、深い声で問いを投げかけた。
「よく聞け、料理人。俺の足元に埋まってる極上の『たまんねぎ』。こいつは100日かけて大地のマナを吸い上げ、俺が手塩にかけて育てた芸術品だ。……さて、ルナミスの貴族ならこいつに『金貨10枚』を払う。だが、路地裏の飢えた孤児は『銅貨1枚』も持ってねえが、こいつを食わなきゃ死ぬ」
ネギオは葉巻を指に挟み、俺をギロリと睨みつけた。
「教えてもらうぜ。大地が育んだ100日の時間。貴族の金貨。飢えたガキの命。……この『たまんねぎ』の【真の価値】は、一体どれだ? 綺麗事や矛盾を少しでも吐いたら、その瞬間にネギカリバーでお前の首を刎ねる」
(……なるほど。労働価値説と効用価値説、そして道徳的ジレンマを混ぜ合わせた複合問題か)
農家の親父がふっかけるには、随分とインテリジェンスの高い問いだ。並の冒険者や商人なら、ここで「命だ」と綺麗事を言うか、「金貨だ」と強欲を晒して斬られるのだろう。
だが。
俺はポケットからコーヒーキャンディを取り出し、無造作に口へ放り込んだ。
――ガリッ。
奥歯で硬いキャンディを噛み砕く。
カフェインの苦味が舌に広がるのと同時に、俺の脳内で『日商簿記1級』の原価計算回路と、数多の書物の知識が完全にリンクした。
「……お前、生産者としては一流かもしれないが、経営者としては三流だな」
「あ?」
ネギオの眉間(樹皮)に、不快げなシワが寄る。
「『100日の時間』ってのは、簿記で言えばただの【製造原価】だ。そして『金貨10枚』は市場がつけた【販売価格】に過ぎない。どちらも、その野菜の【真の価値】とはイコールじゃない」
俺は一歩前へ出て、ネギオの鋭い眼光を真っ向から受け止めた。
「古代ローマの哲人皇帝、マルクス・アウレリウスは『自省録』でこう言っている。『事物は魂に触れることなく外側に静止している』と。つまり、土に埋まったままの玉ねぎ自体には、善も悪も、絶対的な価値も存在しない。ただの『植物の塊』だ」
「……ほう? じゃあ、お前はどうやって価値を決めるってんだ」
「『孫子』の兵法に曰く、『戦勢は奇正のみ』。物事は組み合わせとタイミングで無限に変化する」
俺は足元に生えているネギカリバーを、革靴のつま先で軽く叩いた。
「いいか。どれだけお前が100日かけて育てようが、そのままじゃ貴族は生でかじらねえし、孤児には腹を下すだけの刺激物だ。お前は供給を握ってる気でいるが、需要を満たす形に【変換】できなきゃ、ただの堆肥と同じなんだよ」
ネギオの目が、わずかに見開かれた。
「俺の答えはこうだ。その『たまんねぎ』の真の価値は――俺が包丁を入れ、火を通し、皿に乗せるまで【ゼロ】だ」
静寂が、農場を包み込む。
ネギオの咥えていた葉巻から、ポトリと長い灰が落ちた。
「俺が調理を加えて初めて、貴族の舌を満足させる100倍の価値(金貨10枚)が生まれ、飢えたガキの五臓六腑を温めて命を救う無限の価値(効用)が生まれる。……だから、素材の価値を最強の料理(100)に昇華させてほしけりゃ、黙って俺にその玉ねぎをよこせ」
俺が言い切ると同時に、風が吹き抜け、ネギオの麦わら帽子をわずかに揺らした。
「…………」
ネギオは沈黙したまま、ゆっくりと俺を見下ろしていた。
周囲の空気が張り詰め、一触即発の気配が漂う。彼が指を鳴らせば、無数のネギカリバーが俺を串刺しにするだろう。
だが。
「…………クッ。アッハハハハハッ!!」
突如、ネギオは腹を抱えて大爆笑し始めた。
巨体が揺れ、農場の木々の葉がザワザワと音を立てる。
「傑作だ! いや、恐れ入ったぜ! 『真の価値はゼロ』だァ? 100日かけた俺の苦労を真っ向から否定しやがって! だが、一切の矛盾も隙もねえ、完璧で傲慢な論理だ!」
笑い転げた後、ネギオは指を鳴らした。
すると、足元のネギカリバーがシュルシュルと土の中へ引っ込んでいく。完全な『降伏』の合図だった。
「お前の勝ちだ、料理人。いや……三ツ星のシェフ殿よ」
ネギオは懐から、見事な装飾が施された防湿ケースを取り出し、中から太い葉巻を一本抜き取って俺へ投げ渡した。
「受け取れ。村長のウサギ嬢ちゃんが検品した、最高級の『ポポロシガー』だ。……お前みたいな面白ェ男には、こいつを吸う資格がある」
俺は宙を舞った葉巻を片手でキャッチし、匂いを嗅いだ。
……凄まじく芳醇で、土と太陽の力を凝縮したような深い香りだ。ゴルド商会の会長すら愛飲するという超高級品。
「ありがたく頂こう」
俺は咥えていたLarkを灰皿に捨て、ポポロシガーを咥え直した。
カチン、と金のオイルライターで火を点け、ゆっくりと煙を吸い込む。
「……ふぅ。悪くない」
「だろ? 俺の育てたタバコ葉は大陸一だからな」
木陰の下、三ツ星シェフと毒舌樹人は、しばらくの間言葉を交わすことなく、男同士の静かな紫煙の交換を楽しんだ。
「で? お前さん、たまんねぎの他に『人参マンドラ』も欲しいって言ってたな」
葉巻をふかしながら、ネギオが口角を上げる。
「ああ。最高のカレーを作るために必要なんだ」
「いいぜ。許可してやる。……ただし」
ネギオはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ、広大な畑の方を指差した。
「あいつら(野菜)、収穫するにはちょっとばかり『コツ』と『体力』がいる。いくら口が達者でも、捕まえられなきゃ意味がねえぞ?」
畑の方に視線を向けると、二本足で走り回るオレンジ色の影(人参マンドラ)と、土の中から「たまんねーなオイ! ゲヘヘ!」という親父くさい笑い声が聞こえてきた。
「……論破ゲームより、よっぽど手こずりそうだな」
俺はポポロシガーを咥えたまま、静かにエプロンの紐を締め直した。
極上のスパイスカレーを作るための、狂気の収穫祭が始まろうとしていた。




